小川敏夫
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生年月日 | 1948年3月18日(60歳) |
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出生地 | 東京都練馬区 |
出身校 | 立教大学 |
学位・資格 | 法学士 |
前職 | 弁護士 検察官 裁判官 |
所属委員会 内閣役職 |
参・決算委員長 |
世襲 | 無 |
選出選挙区 | 東京都選挙区 |
当選回数 | 2回 |
所属党派 | 民主党(菅グループ) |
党役職 | 東京都総支部連合会幹事長 |
会館部屋番号 | 参・議員会館628号室 |
ウェブサイト | 小川敏夫 オフィシャルWEBサイト |
小川 敏夫(おがわ としお、1948年3月18日 ‐ )は、日本の政治家、弁護士。参議院議員(2期)。立教高校、立教大学法学部卒。高校同級生に本田明彦、宇野治がいる。北京オリンピックを支援する議員の会顧問。日韓議員連盟所属。
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[編集] 人物
1970年、22歳の若さで司法試験に合格。1973年からは静岡地方裁判所で裁判官として、1976年からは検事として東京地検などで勤務。1981年には弁護士となる。前妻は市毛良枝、馬主でもある。
新党さきがけ離党し1996年の第41回衆議院議員総選挙に民主党公認で、東京都第9区より立候補するが惜敗。1998年の第18回参議院議員通常選挙に東京選挙区より立候補し、100万票を超える得票で初当選を果たした。
2003年、静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている[1]。
2004年の第20回参議院議員通常選挙でも、前回並みの高得票で再選を果たし、参議院政審会長を務めた。2007年に辞任した角田義一参議院副議長に代わり副議長に就任した今泉昭の後任として、参議院幹事長に就任。
2007年3月5日の参院予算委員会で、米下院に提出された、従軍慰安婦問題をめぐる、日本政府に公式謝罪を求める決議案について、「政府としてきちんと責任を明確にしないと日本が戦争に対する反省をしていないと受け取られる」と主張した。小川の主張に対し安倍晋三内閣総理大臣は、「決議案は客観的事実に基づいていない。決議があっても謝罪することはない」と述べるとともに、「戦後60年の日本の歩みは高く評価されてきた。小川氏は日本の歩みを貶(おとし)めようとしている」と答え、「小川氏は決議案が正しいと思っているのか」とも切り返した。小川は「私が日本を貶めようとしているとはどういう意味ですか!」と反論した。
また同日、小川は予算委員会内で、松岡利勝農林水産大臣の資金管理団体「松岡利勝新世紀政経懇話会」が、光熱水費が無償のはずの議員会館で、平成17年だけで500万円超の光熱水費を計上していると指摘。大きな波紋を呼び、その後の国会に大きな影響を与えた。
同年7月2日に公開された国会議員の2006年度の所得において、小川は1001万円であり最下位となった。
新潟県中越沖地震党対策本部副本部長に就任。
同年8月7日、参院議外交防衛委員長に就任。
同年9月10日、参議院決算委員長に就任。11月2日、守屋武昌前防衛事務次官の証人喚問に関し、テロ新法の衆院通過による参院審議入り後の喚問という主張を無視する形で、11月8日に守屋前次官を証人喚問することを与党の了承のないまま野党単独議決という強行採決が行われた際、参議院決算委員長として議事を仕切った。しかし、与党の反発もあり、最終的に喚問日を11月15日にすることで与野党が合意した。
2008年1月、在日韓国人等に参政権を付与することを目的とする「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」に参加。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- 小川敏夫 オフィシャルWEBサイト(公式サイト)
- 民主党 東京都総支部連合会
- すえき亮(新宿区議会議員、小川敏夫元秘書)