山口勝 (陸軍軍人)
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山口 勝(やまぐち かつ、文久2年1月14日 (旧暦)(1862年2月12日) - 昭和13年(1938年)10月4日)は、日本の陸軍軍人。第10師団長、第16師団長、重砲兵監を歴任し、階級は陸軍中将功三級に至る。
[編集] 経歴
静岡県出身。明治6年3月陸軍幼年学校に入り、明治12年1月陸軍士官学校に進む。明治14年12月24日士官学校を卒業し、同日砲兵少尉に任官され山砲兵第1大隊付を命ぜられる。士官生徒第4期(陸士旧4期)の山口の同期には陸軍大臣の岡市之助中将、青島守備軍司令官の大島健一中将、第18師団長の斎藤力三郎中将らがいる。
明治18年5月砲兵中尉に進み、明治19年3月参謀本部第3局第2課員を命ぜられる。明治22年4月砲兵大尉進級と共に野砲兵第4連隊中隊長を拝命する。同年中にイタリアに留学し明治26年3月帰国する。帰国と共に要塞砲兵監副官に就き、明治27年7月から臨時東京湾守備隊参謀に移る。同年9月砲兵少佐に進み、明治28年臨時徒歩砲兵連隊大隊長、由良要塞砲兵大隊長を歴任する。
明治30年7月からフランスに駐在し、明治32年10月28日砲兵中佐任官と共に陸軍要塞砲兵射撃学校長に就任する。明治34年7月5日陸軍省軍務局砲兵課長に移り、明治35年11月15日砲兵大佐に進級する。明治40年11月13日陸軍少将・野戦重砲兵第1旅団長を命ぜられ、大正元年9月28日重砲兵監を拝命する。
大正2年7月3日陸軍中将に進級し、大正3年8月8日第10師団長に親補される。大正5年8月18日第16師団長に移り、大正6年8月6日から待命となるが大正7年2月教育総監部附を命ぜられる。大正8年4月1日には予備役編入となる。昭和13年10月4日逝去。