大隊
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大隊(だいたい、英:battalion)とは陸軍(陸上自衛隊)編制上の戦術単位のひとつで、連隊の下位で、中隊の上位となる。通常は、単一の兵科によって編成され、中佐・少佐が大隊長となり、2から6個程度の中隊からなる。
大隊は独立した活動を行うことができる最も小さな戦術単位であるが、通常は師団・旅団・連隊の一部となる(旧陸軍では大隊以上を「部隊」と呼び、中隊以下を「隊」と呼ぶ。)。
陸上自衛隊では、師団に戦車大隊・施設大隊・高射特科大隊・通信大隊を置いている。(高射部隊では第7師団のみ高射特科連隊設置)
昭和27年7月24日の国会における政府答弁によると、当時の普通科連隊の大隊の定員は805名と、特科連隊の大隊の定員は609名と説明されている。
一般的に、連隊の隷下に入らずに直接上級部隊の指揮を受ける大隊を独立大隊という。独立大隊の例としては、旧陸軍の独立歩兵大隊等や、日本が初めて国連平和維持活動としてカンボジアに派遣したカンボジア派遣施設大隊(約600名)などがある。
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[編集] 帝国陸軍の大隊編制
[編集] 歩兵大隊
[編集] 明治23年平時編成
明治23年11月1日制定時の「陸軍定員令」(明治23年11月1日勅令第267号)によると、当時の歩兵大隊の平時定員は次の通りであった。1個大隊4個中隊から構成されていた。なお、本章において単に「軍曹」としたものは1等軍曹(判任官3等)又は2等軍曹(判任官4等)の意味である。また、銃工長は1等軍曹相当官であり、銃工下長は2等軍曹相当官である。
- 大隊本部(人員16名、乗馬3頭)
- 中隊(人員136名(内、将校5名、下士10名、兵卒120名、各部1名))
よって、大隊全体では、将校22名、下士47名、兵卒480名、各部11名、総計560名の定員となっていた。
[編集] 後年の編成
- 大隊長
- 大隊本部:約120名
- 中隊(4個):194名
- 機関銃中隊:約140名、HMG×8又は約80名で機関銃4機
- 歩兵砲小隊:56名
※大隊に歩兵砲小隊を置かず、連隊に歩兵砲中隊を置く場合もあった。
[編集] 野砲大隊
- 大隊長
- 大隊本部
- 中隊(3個)
- 大隊段列
※大隊段列を置かない場合もある
[編集] 陸上自衛隊の大隊の編成
- 大隊長(2等陸佐。上官の指揮監督を受け、大隊本部の事務を掌理し、大隊の隊務を統括する。一部部隊では1等陸佐(Ⅲ)が役職に就く場合もある。)
- 大隊本部
- 中隊(2個以上)
[編集] 関連項目
- 自衛隊カンボジア派遣(カンボジア派遣施設大隊)