小沢重政
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小沢 重政(おざわ しげまさ、生年不詳 - 元久2年(1205年)6月23日)は鎌倉時代の武将。鎌倉幕府の御家人。秩父平氏の一族。小沢城城主。父は鎌倉幕府の重臣・稲毛重成。母は北条時政の娘で、北条政子の実の妹といわれる。通称は二郎、小太郎。小沢小太郎の名で知られる。)
小沢城に入り、小沢小太郎と名乗ったとされる。(小沢城は、父の稲毛重成が築城したという。だが、重政が築城したという説もあり、さらに重政が城主か定かではない。)
建仁元年(1201年)1月12日の幕府の的初め儀に、叔父の榛谷(小山田)四郎重朝とともに一番射手となる。
元久2年(1205年)6月23日、北条義時に謀反の疑いをかけられた畠山重忠が二俣川の合戦で、討死した。 その翌日、三浦義村は経師谷(きょうじがやつ)入口で、榛谷重朝と嫡男の重季と次男の秀重を騙して殺し、その後大河戸に父の重成が殺され、子の小沢重政は宇佐美に殺された。
元久2年(1205年)11月3日、小沢重政の娘綾小路師三位季息女(当時2歳)は乳母夫小沢信重に伴われて鎌倉に下向し北条政子に会う。政子は実妹の孫娘の哀れさに涙し、猶子とした。(猶子とは仮の親子関係を結んだ子の総称である。)政子は孫娘に稲毛重成の遺領小沢郷(稲城市矢野口周辺)を与えたといわれる。
その子孫については『地誌編輯取調簿』によれば、「往古事蹟不詳、鎌倉府ノ頃稲毛三郎重成之ヲ領、後重成ノ族小沢左近将監信重之ヲ給シ、応安ノ頃小沢左エ門尉国高之ヲ領ス」などと記載されている。
参考資料 「小山田の風土と歴史」町田ジャーナル編