定州市 (平安北道)
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定州市 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 정주시 |
漢字: | 定州市 |
平仮名: (日本語読み仮名) |
ていしゅうし |
片仮名: (現地語読み仮名) |
チョンジュ=シ |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
ローマ字転写: | Chŏngju si |
定州市(チョンジュし)は、朝鮮民主主義人民共和国平安北道に属する市。
目次 |
[編集] 地理
平安北道の南部、黄海の西朝鮮湾に面し、郭山平野の中心に位置する。西に郭山郡、北に亀城市、北東に泰川郡、東に雲田郡と隣接する。
[編集] 歴史
平壌から北の義州へ向かう際の道筋に位置する。高麗時代、この地の人々はモンゴルの侵攻に降らず、その功績で定遠大都護府に昇格された。朝鮮王朝時代には定州牧であり、19世紀初頭には朝鮮王朝後期最初の大規模な叛乱事件である洪景来の乱が定州城で終焉を迎えた。
鍮器の生産で知られ、商業が発達した。1896年に十三道制が敷かれた当時は、平安北道の道観察使(道庁)所在地であった。
[編集] 年表
- 高麗 - 亀州に所属する。
- 1231年 - 定遠大都護府が置かれる。のち、定州牧となる。
- 朝鮮王朝 - 定州となる。
- 1811年 - 洪景来の乱。
- 1895年 - 義州府定州郡となる(二十三府制)。
- 1896年 - 平安北道定州郡となり、道観察使が置かれる。
- 1905年 - 京義線が開通。
- 1914年 - 郭山郡の大部分を編入。
- 1931年 - 定州面が定州邑に昇格(1邑12面)。
- 1939年 - 平北線が開通。
- 1952年12月 - 郭山郡を分離、定州郡を再編成(1面22里)
- 1994年 - 定州市に昇格。
[編集] 産業
伝統産業としては、馬山面納清(ナプチョン)でつくられる鍮器が「良大鍮器」と呼ばれ有名であった。朝鮮戦争時に越南した技術者(方字鍮器匠)が、韓国の重要無形文化財第77号に指定されている。
[編集] 交通
[編集] 出身者
- 李昇薫 - 商人、五山学校創設者、1864年定州生まれ。
- 方応謨 - 言論人、1883年定州生まれ。
- 李光洙 - 作家、1892年定州生まれ。
- 徐椿 - 言論人、1894年定州生まれ。
- 金億 - 作家、1896年定州生まれ。
- 李石薫 - 作家、1907年定州生まれ。
- 文鮮明 - 統一教会教祖、1920年定州郡徳彦面生まれ。
- 洪允淑 - 詩人、1925年定州郡生まれ。
- 洪成南 - 北朝鮮の政治家、1929年定州郡生まれ。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- (朝鮮語) 平安北道 (以北五道委員会)
- (朝鮮語) 中央日報北韓ネット・北韓地名辞典 定州市
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