二十三府制
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二十三府制(にじゅうさんぷせい)は、1895年(高宗32年)閏5月から翌1896年8月にかけての朝鮮王国の地方行政区画である。
1895年5月26日公布・閏5月1日施行の勅令第98号「地方制度改正の件」によって実施された。それまでの朝鮮八道制を廃し、全国を23の府と337の郡に再編した。この際、従来の府、大都護府、牧、都護府、県といった下部行政区画の名称を廃して「郡」に一本化した。府の長官は観察使、郡の長官は郡守である。
しかし、翌年8月に二十三府制は廃止され、道制が復活した(十三道制)。
[編集] 二十三府一覧
- 漢城府
- 仁川府
- 忠州府
- 洪州府
- 公州府
- 全州府
- 南原府
- 羅州府
- 済州府
- 済州郡、大静郡、旌義郡
- 晋州府
- 東莱府
- 大邱府
- 安東府
- 江陵府
- 春川府
- 開城府
- 開城郡、豊徳郡、朔寧郡、麻田郡、長湍郡、伊川郡、安峡郡、兎山郡、平山郡、金川郡、遂安郡、谷山郡、新渓郡
- 海州府
- 平壌府
- 義州府
- 江界府
- 咸興府
- 甲山府
- 鏡城府
[編集] 参考史料
- (朝鮮語) ウィキソース(韓国語版) 高宗実録 32年5月