安楽好正
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安楽好正(あんらく よしまさ、1947年1月1日 - )は、イベントクリエーター、プランナー、プロデューサー、広告制作業者で、大津市の政治家。デザイナーとして活動しながら、大津市で市民活動を行い、2007年には大津市議会議員となった。所属会派は対話の会・杣で、副代表を務める[1] 。市民グループ「アクション21」の事務局長[2] 。大津市三井寺在住[3]。
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[編集] 経歴
1947年(48年?[4])、大津市に生まれる[5] 。父は労働組合幹部[5]。平野小学校を卒業、打出中学校では野球部のエースで、主将として「民主的な野球部」を目指すが失敗[5]。その後、定時制高校編入する[5]。1966年に京都産業デザイン研究所を卒業、1968年に大阪編集工房に入社[4] 。1971年に日本交通事業社(現ジェイアイシー)に入社、ディスカバー・ジャパンやジェイティービーの広告を手がける[4]。
1978年に株式会社キックオフを設立[4]。業務を拡大し、ジェイティービーの旅行雑誌『たびたび』の発行、掛布雅之の写真集の編集、国際花と緑の博覧会のアートディレクションなどに携わる[4]。1993年に「一身上の都合で解散」(京阪電車大津線のサイトには、1995年に会社が倒産したとある[5])、帰郷し、1994年に株式会社ワイアンドエーを設立し、大津に活動を移す[4]。
1996年に日常の風景を慈しむ考古学ならぬ「考現学」を考案し、「大津考現学倶楽部」を設立する[4][6] 。1997年には「大津の町家を考える会」を発足させ、この間フリーマーケットなどを開く[4]。1998年に季刊『三井寺』を制作[4]。2002年に京阪電車石山坂本線の応援団体、「勝手に京阪いっさか線学会」を設立[4][5]。2003年に京都大学客員教授になる[4]。
大津市役所の浜大津への移転計画の反対運動などにも関わる[7] 。2006年の滋賀県知事選挙では嘉田由紀子を支援し、2007年の大津市議会選挙でも嘉田知事の支援を表明、対話でつなごう滋賀の会の推薦を受ける[1][8]。「もったいない」をキャッチフレーズに無党派層の票を集め、40人の定数の中で最後尾に当選した[8] 。
2007年9月に2008年の大津市長選に向けて、「対話の会・びわこねっと」の沢田享子県議と、「大津市長選を探るシンポジウム」を開いた[9] 。
[編集] 議会での役職[3]
- 施設常任委員会委員
- 中核市移行対策特別委員会委員
- 特別・企業会計決算特別委員会委員
[編集] 外部リンク
[編集] 出典
- ^ a b "会派結成について" 対話でつなごう滋賀の会: 2003-4-12 . 2007年11月16日閲覧.
- ^ "大津市議選に向けて 市民団体が質問状 =今月中旬からHPで公開= " 滋賀報知新聞(第13431号): 2003-4-3 . 2007年11月16日閲覧.
- ^ a b "大津市議会" 大津市議会: 2007年11月16日閲覧.
- ^ a b c d e f g h i j k "安楽堂" 安楽堂(安楽好正): 2005. 2007年11月16日閲覧.
- ^ a b c d e f "o2 talk 安楽好正さん keihan-o2.com" 京阪電車大津線: 2004-2006 . 2007年11月16日閲覧.
- ^ "【「考古学」ならぬ、「考現学」で町起こしする安楽好正さん/大津考現学倶楽部主催】" 大津商工会議所女性会: 2007年11月16日閲覧.
- ^ "4月14日、高島市情報公開条例をめぐり市民団体が市長に条例改正を要望 大津市議選に向けて 市民団体が質問状" 市民運動ネットワーク滋賀・事務局: 2004-4-14 . 2007年11月16日閲覧.
- ^ a b "「もったいない」またも風 大津市議選 「対話」2人当選 " 京都新聞: 2007-4-23 . 2007年11月16日閲覧.
- ^ "民主・連合 候補者擁立へ産みの苦しみ 動き出した来年1月の大津市長選 最終的には4人の争いか =共産も今月中旬に発表へ=" 滋賀報知新聞(第14845号): 2007-10-4 . 2007年11月16日閲覧.