大泉学園町
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大泉学園町(おおいずみがくえんちょう)は東京都練馬区は西武池袋線大泉学園駅北方約1.5キロメートルに所在する街区・地名であり大泉学園町1丁目から9丁目までがある。
また単に大泉学園と言う場合、大泉学園駅を中心とした地域全体を指し、大泉学園町に限らず東大泉・西大泉・南大泉・大泉町などの練馬区大泉地区一帯をいう。
なお、大泉学園駅は練馬区東大泉に所在する。
郵便番号は、178-0061。
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[編集] 開発の歴史
大泉地区は以前は練馬大根の生産が盛んで辺り一面大根畑が広がっていたが、現在はキャベツやブロッコリーなどに移行しており、練馬大根の栽培をしている農家はわずかである。現在でも区内の経営耕地の約44%が大泉地区にある。
- その後、武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)が開通したが大泉には駅は設置されなかった。しかし後に大泉学園駅(当初は東大泉駅)が設置され大泉の街は急速に発展した。
- 西友(2006年閉店)・PARCO・ゆめりあフェンテ・ゆめりあホール等の商業施設や文化センターなどが駅前に立ち並び、駅徒歩10分程度の場所にLIVIN OZ大泉やT-JOY大泉シネコンなどがある。
- また将来、大泉学園町方面へ都営地下鉄大江戸線が延長される計画もある。
[編集] 学園都市として
- 大泉学園町は、関東大震災以降の郊外住宅地への旺盛な需要に応えて箱根土地会社(後のコクド 現在プリンスホテルと合併して解散)が開発した学園都市の一つであり1924年から開発が始められた。
(他は国立学園都市(1925年)・小平学園都市(1925年))
- これは大学等の高等教育機関(大泉学園都市計画では東京高等師範学校(現筑波大学)若しくは東京第一師範学校(現東京学芸大学)を予定)を誘致し学園都市として開発する計画であった。
- 核となる大学誘致は失敗し学園都市としての開発は頓挫したものの、一帯は引き続き高級分譲住宅地として開発され、その名残が大泉学園町という町名と碁盤の目に整理された区画である。
- よってこの近くに同名の学校は存在しないが、後に町名由来の都立大泉学園高等学校(現在は廃校、後身校は都立大泉桜高等学校)、練馬区立大泉学園中学校・大泉学園小学校などが設けられている。
[編集] 現在
近接する埼玉県の和光市・朝霞市・新座市と共に国の機関(司法研修所・裁判所職員総合研修所)を受け入れ、特殊教育施設も町内にもつなど郊外の研修拠点として進展が著しい。