大久保徳二郎
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大久保 徳二郎(おおくぼ とくじろう、1908年3月6日 - 1974年8月19日)は、日本の作曲家、編曲家、映画音楽家である。ジャズバンドのサックス奏者から転向、作詞家の島田磬也、歌手のディック・ミネとのチームで第二次世界大戦前のテイチクレコードのヒットメーカーだった。
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[編集] 来歴・人物
1908年(明治41年)3月6日、東京市本所区(現在の墨田区本所)に生まれる。ジャズのサックス奏者として上海に渡る。帰国後、テイチクレコードに入社、専属バンドで演奏する。このころ結婚し、1936年(昭和11年)には、のちに衆議院議員(現在は政界引退)となる大久保直彦が生まれた。
1938年(昭和13年)、日活多摩川撮影所が製作したトーキー映画『指輪のワルツ』(監督吉村廉)の劇伴を作曲をし、映画音楽家としてデビューする。
1939年(昭和14年)1月に古賀政男がテイチクを退社すると、ディック・ミネは作曲者に大久保を指名、島田磐也の作詞、杉原泰蔵の編曲により生まれた『或る雨の午後』で大久保は作曲家としてデビュー、大ヒットを飾った。同年暮れ、日活京都撮影所が製作した異色のオペレッタ時代劇『鴛鴦歌合戦』(監督マキノ正博、主演片岡千恵蔵)にミネが出演することになり、島田の作詞およびオペレッタ構成とともに、大久保も作曲とオーケストラの指揮を執った。同作のミネの歌唱部分には一部『或る雨の午後』のメロディをフィーチャーする。同作は同年12月14日に公開された。ひきつづきマキノ監督の千恵蔵主演映画『弥次喜多 名君初上り』の劇伴を作曲、同作は翌1940年(昭和15年)1月13日に公開された。
1948年(昭和23年)、歌手の菊池章子と再婚するも、1956年(昭和31年)には離婚した。
1974年(昭和49年)8月19日に死去。66歳没。戦前戦後を通じて80作近くの映画音楽に携わった。
[編集] ディスコグラフィ
- ディック・ミネ『或る雨の午後』、作詞島田磬也、編曲杉原泰蔵、1939年 ※デビュー曲
- ディック・ミネ『上海ブルース』、作詞北村雄三、1939年
- ディック・ミネ、服部富子『鴛鴦歌合戦』、作詞島田磬也、1939年
- ディック・ミネ、藤原千多歌『長崎エレジー』、作詞島田磬也、1947年
- ディック・ミネ『夜霧のブルース』、作詞島田磬也、1947年
- 田端義夫『嘆きのピエロ』、作詞島田磬也、1947年
- 菊池章子『春の舞妓』、作詞萩原四朗、1954年
- 田端義夫、白鳥みずえ『親子舟唄』、作詞藤田まさと、1955年
[編集] フィルモグラフィ
- 指輪のワルツ 1938年 監督吉村廉 ※日活多摩川撮影所
- 鴛鴦歌合戦 1939年 監督マキノ正博、作詞島田磬也、主演片岡千恵蔵 ※日活京都撮影所
- 北上川悲歌 1961年 監督曲谷守平 ※第一プロ製作、新東宝配給