吉見町
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吉見町(よしみまち)は、埼玉県中部、比企郡の東部にある人口約2万2千人の町である。 横穴古墳群「吉見百穴」(よしみ・ひゃっけつ/ひゃくあな)があることで知られる。また、イチゴの産地としても知られている。
目次 |
[編集] 地理
町域の大部分は荒川流域の荒川低地に属し田園地帯となっている。町の中央部西側は東松山市との境にある松山城跡と最高地点に比企丘陵から連なる吉見丘陵が広がっており湖沼が多いほか近年では長谷工業団地を中心とした工場や小規模な住宅団地が多く立地している。吉見丘陵は、県立比企丘陵自然公園の一部に指定されている。
[編集] 歴史
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、横見郡の43ヶ村が東吉見村、西吉見村、南吉見村、北吉見村の4ヶ村になる。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 府県制施行による埼玉県内の郡の再編により、横見郡が廃止、比企郡に統合される。
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 東吉見村、西吉見村、南吉見村、北吉見村が合併し、吉見村となる。
- 1972年(昭和47年)11月3日 - 町制施行により、吉見町となる。
- 平成の大合併における動き
いずれの合併に関しても成立には至らず、当面は単独での町政運営となる。
- 比企地区8市町村合併
- 東松山市・吉見町合併
[編集] 人口
吉見町と全国の年齢別人口分布図(比較) | 吉見町の年齢・男女別人口分布図 |
■紫色は吉見町
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
総務省統計局 / 国勢調査(2005年) |
[編集] 地域
[編集] 教育
- 小学校
- 吉見町立東第一小学校
- 吉見町立東第二小学校
- 吉見町立南小学校
- 吉見町立西小学校
- 吉見町立北小学校
- 吉見町立西が丘小学校
- 中学校
- 吉見町立吉見中学校
- 高等学校
- 町内に存在した埼玉県立吉見高等学校は2003年度より募集停止し、2005年3月に埼玉県立滑川高等学校との統合により、比企郡滑川町の滑川高等学校の校地に埼玉県立滑川総合高等学校が新たに発足したため、町内に高等学校は存在しない。
- 大学
- 武蔵丘短期大学
[編集] 電話番号
市外局番は町内全域が「0493」。同一市外局番の地域との通話は市内通話料金で利用可能(東松山MA)。収容局は埼玉吉見局、冑山局。また、市内局番は「54」または「53」が割り当てられている。
- 1984年(昭和59年)まで、吉見町は比企郡内で唯一市内局番が一桁であった。これは、農集電話が末期まで残っていたことも含め、吉見町が従前から通信会社の不採算地域であることを物語る一例である。詳しくは、第7項の「通信網の整備遅れについて」を参照。
[編集] 郵便番号
郵便番号は町内全域が「355-01xx」である。
- なお、吉見郵便局は郵政民営化に伴う合理化などで、2007年(平成19年)2月に時間外窓口及び集配機能を廃止し、無集配郵便局となり、「配達センター」の扱いとなったほか、集配業務については東松山郵便局の管轄下となった。同年10月の民営化により、郵便局株式会社東松山郵便局内に郵便事業株式会社の東松山支店が設けられた関係で、吉見郵便局内にも東松山支店吉見集配センターが設置されたが、郵便物・小包類等の集荷・再配達の依頼や配達全般に関する問い合わせは東松山支店へしなければならない。現行の吉見郵便局のほか、町内にある西吉見郵便局、北吉見郵便局、東吉見郵便局も郵便局株式会社管轄である。
[編集] 交通
[編集] 鉄道路線
- 町内に鉄道路線はない。
[編集] 道路
- 町内に国道はない。
※ 現在、埼玉県道27号東松山鴻巣線において、4車線化工事及び、国道407号線と接続できる新道建設工事が南吉見地区で進められている。
[編集] バス
[編集] タクシー
- 町内に事業者1社、吉見タクシーがある。
※ タクシーの営業区域は県南西部交通圏で、川越市・所沢市・東松山市・飯能市・和光市などと同じエリアとなっている。
[編集] 観光
- 吉見百穴
- 松山城址
- 吉見観音(坂東三十三箇所11番札所・岩殿山安楽寺)
- 息障院(伝源範頼館跡)
- ポンポン山(高負彦根神社)
- 八丁湖
- 黒岩横穴墓群
- 桜堤
- 道の駅いちごの里よしみ
- 吉見町は、「いちごの里」を冠した道の駅が設置されている事からもわかるように、県内有数のイチゴの産地(主にとちおとめ)である。いちご狩りのシーズンには、道の駅や町内各地のいちご農家および特設のいちご直売所で、観光客でにぎわっている。
- いちご街道-埼玉県道33号東松山桶川線、大串~飯島新田までのいちご農園が並んでいる区間の通称
- 大串毘沙門様縁日(大串毘沙門堂)2月13日
- 百穴温泉 東京から一番近い混浴温泉
[編集] 通信網の整備遅れについて
残念なことに、高速大容量通信回線網の整備も遅れたのは事実で、東京から約50Km圏内、住宅地として著しい人口増加を遂げたにもかかわらず、ISDN回線の使用もままならない時代が続いた。
- これは電話の項でも触れたとおり、吉見町は通信会社にとって不採算地域であることに現在も変わりない。その一つに、農集電話が1978年(昭和53年)まで残っていた。農集電話の全国廃止は1979年(昭和54年)であることから、末期まで吉見町では農集電話が残っていたことになる。このため、比企郡でも1983年(昭和58年)まで市内局番が1桁の時代が続いたが、その後も影響は残った。
- 1990年代後半、インターネットの普及はあっても、様々な事情から定額制通信サービスの利用意向数が低かったこともあり、定額制通信サービスの提供を吉見町で利用可能になるには、2001年(平成13年)末に定額制ISDNサービス開始まで待たねばならず、他の市町村に遅れること数年かかってようやく2002年(平成14年)に定額制のADSL回線(1.5M)が開通した。その後もADSLサービスの速度アップには他の市町村と比較しても大幅な遅れで開始に至るなど、通信回線の差や速度におけるデジタル・ディバイドが浮き彫りになった時代も長かった。2006年(平成18年)12月になって一部地域で光ファイバー回線が開通している(詳細は後述参照)ただし、ラストワンマイル地域とよばれる、交換局からの距離が遠い地域も多数あり、そうした地域における高速大容量通信回線網の整備が引き続き求められている。
- 携帯電話やPHSの回線についても、前途の理由などが大きく影響し、整備が後回しになる地域であった。PHSについては一部事業者においてサービス終了まで周辺市町村と異なり吉見町だけはサービスエリア外であったり、携帯電話についても基地局の整備が進まなかった。第三世代携帯電話では、一部の事業者において利用しにくい状態が続き、ユーザーにおいて補助アンテナを使わなければまだまだ電波が届きにくいことも事実だが、この数年ようやく基地局の整備が進み始め、近年新規参入した定額制携帯高速通信事業者でも2008年(平成20年)3月にエリア化するなど、ようやく利用状況に改善が見られ始めている。
- 特筆すべきこととして、光ファイバー通信網の整備を一部住民有志らの手によって実現させた経緯もある。2005年頃から、西地区住民の手により、署名活動と利用希望意向を積み重ねる運動がスタートし、一定の採算ライン(200軒以上)と見なされる利用希望意向を達成し、採算が取れると判断した事業者側により、2006年12月に一部地域で光ファイバー通信網が開通した。住民運動によって光ファイバー高速通信回線網を開通させた例としては大変非常に希な例である。
[編集] 出身有名人
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 吉見町 公式サイト
- 比企広域市町村圏組合
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