出羽湊利吉
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出羽湊 利吉(でわみなと りきち、1907年3月20日 - 1964年5月17日)は、秋田県南秋田郡土崎港町(現在の秋田県秋田市)出身で出羽海部屋所属の元大相撲力士。本名は佐藤利吉(さとう りきち)。身長177cm、体重98kg。得意手は、右四つ、外掛け、腕捻り、切り返し。最高位は関脇。
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[編集] 来歴
昭和3年5月初土俵、昭和7年1月の春秋園事件で幕下から脱退した数少ない力士の1人である。昭和8年1月に幕下格で帰参してからは負け越すことなく1934年5月に十両で全勝(当時は11日制)して、1935年1月に新入幕、その後も着実に昇進して昭和12年1月には関脇まであがった。しかし2勝9敗と大敗して跳ね返された。その後左足の負傷で2場所連続途中休場したが休場明けの昭和14年1月場所には西前頭17枚目という下位にさがったが初日から連勝、結局羽黒山と玉ノ海の両小結を倒し13戦全勝優勝、奇しくも双葉山の連勝が同部屋の安藝ノ海によって69で止まった場所だった。しかし翌場所には双葉山が15戦全勝優勝、出羽湊の全勝額の両脇に双葉山の全勝額がかかるという皮肉な結果となった。それでも昭和11年1月場所(この場所は横綱玉錦)から8枚連続で掲げられた全勝額の中にその名を連ねたことには大いに価値がある。その後も三役から平幕上位で活躍して昭和19年11月場所を最後に引退。双葉山との対戦は15回あるが全敗である。引退後は年寄・濵風を襲名した。
[編集] 戦績
- 幕内在位 21場所
- 幕内成績 121勝120敗1分35休
- 金星 1個(男女ノ川)
[編集] 改名歴
- 佐藤 利吉(さとう りきち)1928年3月場所-1930年5月場所
- 土ヶ嵜 利吉(つちがさき りきち)1930年10月場所-1933年5月場所
- 出羽湊 利吉(でわみなと りきち)1934年1月場所-1935年1月場所
- 出羽湊 利市(でわみなと りいち)1935年5月場所
- 出羽湊 利吉(でわみなと りきち)1936年1月場所
- 出羽港 利吉(でわみなと りきち)1936年5月場所
- 出羽湊 利吉(でわみなと りきち)1937年1月場所-1944年11月場所