内分泌攪乱物質
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内分泌攪乱物質(ないぶんぴつかくらんぶっしつ、endocrine disruptors)は、環境中に存在する化学物質のうち、生体にホルモン様作用をおこしたり、逆にホルモン作用を阻害するものとされる。
「外因性内分泌攪乱化学物質」(がいいんせいないぶんぴつかくらんかがくぶっしつ)などとも呼ばれ、「攪」の字が難しいことから、「内分泌撹乱物質」や「内分泌かく乱物質」とも表記される。
日本では1998年5月に環境庁(当時)が発表した「環境ホルモン戦略計画 SPEED '98」にて、「内分泌攪乱作用を有すると疑われる化学物質」67物質をリストしたことにより、強い不安感が高まり、一気にメディアに「環境ホルモン」の言葉が氾濫するようになった。
ただし、その後に検証実験事実が蓄積されるに従い、ほとんどの物質は哺乳動物に対する有意の作用を示さないことが一部に報告されている。その知見等を踏まえ、環境省は上記リストを取り下げた。現在では、リストは単に調査研究の対象物質であり、それらを環境ホルモン物質もしくは環境ホルモン疑惑物質などと言うことは根拠がなくなったとされている。
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[編集] 「環境ホルモン」の呼称
日本放送協会と井口泰泉(横浜市立大学教授、当時)による造語で、「環境中に存在するホルモンのような物質」という意味合いの「環境ホルモン」という通称が広く使われている。ただし、体内で合成されるというホルモンの本来の定義から外れており、実際にはホルモンとはいえないため、「環境ホルモン」はあくまでも便宜的な呼び方である。
エストロゲン(女性ホルモンの一種)に似た作用を誘発するものがあったことから、以前には「エストロゲン様物質」とも呼ばれていた。
[編集] 研究の起源
『沈黙の春』が発表された直後の1960年代後半からすでにDDTなどがホルモン的作用をする可能性が指摘されていたが、一般には1997年に出版された『奪われし未来』[1]が指摘したことから注目された。またフォム・サールらがDES(ジエチルスチルベストロール)について「低濃度でだけ」影響が現れる場合があると報告したが[2]、従来の毒性学によれば低濃度で出た影響は「高濃度でも」見られるはずであることから、学術的にも問題視された。
定義をそのまま解釈すればホルモン類似物質である医薬品をも含むことになるが、実際には、より狭義に、環境中に意図せず存在する化学物質が体内へ取り込まれる危険性が予想される場合にのみこう呼ばれている(#環境ホルモン以外の内分泌攪乱物質を参照)。本来のホルモンと同様、非常に低濃度でも生体に悪影響を及ぼす可能性があるため、有害物質が高濃度に蓄積されて初めて問題になりうることを前提とした従来型の環境汚染の濃度基準では規制できないのではと危惧され、社会問題化した。
特にヒトや動物の生殖機能は、男性(オス)も女性(メス)も、性ホルモンと呼ばれる一群のステロイドホルモンの影響を非常に強く受けて微妙な調節がなされているため、体外のホルモン類似物質の影響を受けやすいとされている。河川、湖、海岸付近など、人間社会の近くに生息する魚類、貝類などの調査により、環境水中の内分泌攪乱化学物質の影響で生殖機能や生殖器の構造に異常が生じる現象が報告されている。ただし、こうしたメス化は、化学物質の作用ではなく、下水から排出される屎尿、つまり女性の尿に含まれる女性ホルモンのせいではないかという報告もあり、現在では人間の人口が爆発的に増えたため人のもつホルモン自体が他の生物に影響をあたえたものも多く指摘されている[3]。
[編集] 研究の現状
内分泌攪乱物質の研究は経済協力開発機構などを中心として各国が協力する形で進められている。日本では環境省を中心とするプロジェクト "SPEED '98" として進められ[4]、当初内分泌攪乱物質の可能性が高いと考えられた物質から順に次のような試験で検討されてきた。
- 動物試験
- ラットを用いた繁殖試験、子宮肥大試験(女性ホルモン様作用を検出)、ハーシュバーガー試験(前立腺肥大により男性ホルモン様作用を検出)など。
- 試験管内試験
- ホルモン(女性ホルモン、男性ホルモン、甲状腺ホルモン)受容体への結合性試験、レポータージーン試験(ホルモン受容体による作用を調べる)、乳がん細胞試験(女性ホルモンによる増殖促進を検出)など — これらは動物での実際のホルモン様作用を検出するのでなく、その可能性があるかどうかを短時間で調べる方法である。検出感度は高いが、これで検出されたものがすべて環境ホルモンとは限らない。
- 魚類等に対する試験
- 繁殖試験、試験管内試験、ビテロジェニン試験(卵黄たんぱく質ビテロジェニンによりメス化の有無を調べる)など。
これまでにノニルフェノール、4-オクチルフェノール、ビスフェノールAが魚類に対してのみホルモン様作用を示すと発表されたが、高濃度で実験的に起きることが示されたのであって、自然界で実際に起きたことが示されたわけではない。また一般に哺乳動物のホルモン受容体は魚類のものより感受性が低いことなどから、これらの物質のヒトに対する影響はまずないとも考えられている。
SPEED '98 で取り上げられた物質のリストについては一部で「すでに環境ホルモンとして確認された」との誤解を招き、批判を受けた。現在このリストについては、拙速でまとめたリストであり根拠の乏しいものもあったこと、重点的な調査研究でも明確な内分泌攪乱作用を確認することができなかったことなどのため、実質的に廃止された。
なお、貝類で見られるメスのオス化は防汚剤として船舶に使われたトリブチルスズの影響である可能性が高いといわれているが、これは貝類特有の反応とされている。
上述のフォム・サールらの「逆U字効果」についても再現されなかったとの報告が多く、現在では疑問視されている。また、男性の精子濃度が低くなってきたなどの報告もいくつかあるが、統計的妥当性に異論も多く、とうてい環境ホルモンの影響を議論できるものではない。
このように、環境中の化学物質は当初考えられたような危険性を持っているとは考えにくい。極端な論者によれば、環境ホルモンは「人心を攪乱しただけだ」という主張もなされるようになっている[5]。
[編集] 環境ホルモン以外の内分泌攪乱物質
環境ホルモンの定義には当てはまらないが、次のように内分泌に影響すると考えられる(または可能性がある)物質がある。多く二次性徴期にその影響が明らかとなったため、発見に時間がかかり、被害が広まる要因となった。
- 医薬品
- 1960年代に合成女性ホルモン剤(流産防止効果があるとされたが、実際にはなかったらしい)として使われたDESが女児に膣がんなどの影響を与えた例がある。
- 天然物
- 植物中には女性ホルモン(エストロゲン)類似の作用を及ぼしうる物質が含まれ植物エストロゲンと総称される。これらは摂取量が合成物質よりもはるかに多いと考えられる点で無視できない。オーストラリアでヒツジの不妊が目立つことから研究され、クローバーに含まれる物質として明らかにされたのが最初であるが、ヒトの食物にもダイズに含まれるダイゼイン、ゲニステインをはじめとしていろいろなものがあり、イソフラボンと称される。東洋人で乳がん発生率が低い原因はダイズ摂取ではないか(良い影響)とする疫学的研究もある[6]が、これらの物質の胎児に対する悪影響の有無なども詳しく検討されるべき課題である。
[編集] 脚注
- ^ シーア・コルボーンら著 『奪われし未来』 長尾力訳、増補改訂版、翔泳社、2001年。ISBN 4881359851
- ^ 「逆U字効果」、vom Saal, F. S. et al. (1997). Proc. Natl. Acad. Sci. USA 94: 2056. 全文(英語) など
- ^ ポリカーボネート・ニュース
- ^ 環境省(環境ホルモン問題関係)
- ^ 西川洋三著 『環境ホルモン-人心を「撹乱」した物質』 日本評論社、2003年。ASIN 453504824X
- ^ Yamamoto S, Sobue T, Kobayashi M et al. "Soy, isoflavones, and breast cancer risk in Japan" J Natl Cancer Inst, 18;95(12), 2003 Jun, P906-13.
[編集] 参考文献
- 『内分泌かく乱作用が疑われる化学物質の生体影響 データ集』 東京都立衛生研究所、1999年3月。