信楽高原鐵道
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場
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略称 | SKR |
本社所在地 | 529-1851 滋賀県甲賀市信楽町長野192番地 |
電話番号 | 0748-82-3391 |
設立 | 1987年2月10日 |
業種 | 陸運業 |
事業内容 | 旅客鉄道事業、売店業、レンタサイクル事業 |
資本金 | 4億3200万円 |
主要株主 | 甲賀市 55.1% 滋賀県 34.5% 近江鉄道 5.3% 甲賀市区長連絡協議会信楽地域区長会 2.9% 滋賀銀行 1.0% 他 |
外部リンク | www.biwa.ne.jp/~skr/ |
信楽高原鐵道株式会社(しがらきこうげんてつどう)は、滋賀県で旧国鉄特定地方交通線の鉄道路線を運営している、甲賀市や滋賀県などが出資する第三セクター方式の鉄道会社である。本社は滋賀県甲賀市信楽町長野192番地。
目次 |
[編集] 歴史
- 1987年(昭和62年)2月10日 設立。
- 1987年(昭和62年)7月13日 西日本旅客鉄道(JR西日本)信楽線を転換し信楽線開業。
- 1989年(平成元年)12月1日 信楽焼製の干支切符・記念切符を発売開始。以後毎年発売。ただし記念切符は以後不定期。
- 1991年(平成3年)5月14日 信楽線においてJR西日本から乗入れの臨時快速列車と信楽高原鐵道の普通列車が正面衝突事故(信楽高原鐵道列車衝突事故)を起こす。
- 1995年(平成7年)12月18日 SKR300形投入。
- 2001年(平成13年)11月6日 SKR310形投入。
[編集] 路線
- 信楽線 貴生川 - 信楽 14.7km(第一種鉄道事業者)
[編集] 車両
詳しくは、各車両記事を参照のこと。
- 200形
- 開業時に用意された車両。201~205の5両製造された。202と204が1991年の衝突事故で廃車になり、補充用に205が作られた。現在は205のみ残る。
- 300形
- 1995年に製造された車両。301の1両製造された。衝突事故の教訓を元に安全面を強化している。
- 310形
- 2001年に200形の置き換えで登場した。311と312の2両製造されている。SKR300形と同外観だが、エンジンの強化及びブレーキ系統の二重化がされている。
[編集] 編成
300形、310形は性能が他の車両と同じで、205との連結運転もできる。今は、行事以外は310形が主に運転されている。行事列車などは、長編成の3両編成で運転されることもあり、200形が見晴らしがよいため、下り3両編成では、常に2両目か最後尾に入る。しかし貴生川で車両を留置するための留置線がないため、200形は上りでは先頭になる。2両編成で貸切の場合、200形を貸し切ることが多い。普段、平日は単行、土曜・休日は2両編成で、一番多く312が運転される。通常の運転では、混んでいる時期などにまれに貴生川側に200形が連結されている。また、混雑期のラッシュ時間帯は、200形がオールロングシートであるため重宝されている。
[編集] 塗装
開業時は、白地に陶磁器を焼く炎をイメージした赤と「紫香楽」の紫で、山つつじ(信楽町花)の花びらをデザインした塗装だったが、事故後緑帯に変更された。今はその上に狸のキャラクターと会社のロゴが描かれている。
駅名板も、古いものが撤去され、下に緑のラインカラーが入った新しいものに全駅変えられている。緑は信楽線のラインカラーであり、「安全」のシンボルカラーでもある。
[編集] その他
現在、JR片町線と信楽駅を結ぶ新線を建設し、信楽高原鐵道信楽線と近江鉄道本線を改良した上で、大阪と滋賀県南部を直結する「びわこ京阪奈線」(仮称)構想があり、関係自治体により、建設期成同盟会が結成されている。
しかし、2005年(平成17年)度の同鉄道の経常損益は40,285千円の損失[1]、2006年(平成18年)度末の債務超過額は134,552万円[2]となっているほか、2003年度における営業収支率は約150%[3]となっており、経営的には極めて厳しいのが現実である。
また、同鉄道の一部に並行する形で、新名神高速道路の信楽ICへのアクセス道路となる「信楽道路」の建設も進められており、道路事情の改善が進展している。