井原慶子
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井原 慶子(いはら けいこ、1973年7月4日 - )は、日本の女性レーシングドライバー。
[編集] 人物・略歴
元々競泳やマラソン等スポーツに万能なタイプの選手だった。父の仕事の都合で北海道に引越し、高校ではモーグルスキーの選手として活動。学生モーグルスキー大会で入賞した実績を積み、将来の大会出場のための合宿に遠征する費用を稼ぐ為に、大学生の頃にモデル業を始める。
そのモデル業の一環として取り組んでいたレースクイーンの仕事で、サーキットを訪れた際にモータースポーツの迫力に取り憑かれ、自らレースに出場したいと言う意識が強まった。しかし、当時は自動車免許すらを持っていなかったと言う事で、まず運転免許証を取得するべく教習所に通い、その後もメーカーのインストラクターとして走行法や技術スタッフからモータースポーツの心得を収得していった。
そして1999年、26歳でカーレーサーとしてのデビューを果たす。「フェラーリ・チャレンジ」のデビューレースでは、いきなり3位入賞の快挙を達成すると、イギリスのジム・ラッセル・レーシングスクールに短期留学を行い、その後にはフェラーリ・チャレンジで2戦連続勝利を飾る。更に世界の若手レーサーが集うフェラーリ・チャレンジの世界大会に出場し、決勝レースでスタート直後コースアウトするも18位にまで順位を上げて同シリーズの年度最優秀賞を獲得した。
しかし、最優秀賞を受賞した喜びよりもコースアウトをした時の悔しさ、そしてモータースポーツの魅力を改めて認識して単身渡英することを決断。2000年、イギリスの「フォーミュラ・ルノー」シリーズ、2001年にはフランスF3レースで活躍し、注目を集めた。
2002年には、レース出場の為の資金が充分に賄えず出場が危ぶまれたが、諦めずにトレーニングとスポンサー資金を集めて「アジアン・フォーミュラ2000」(AF2000)にシーズン途中からスポット参加。国際自動車連盟(FIA)の公認レースで女性が世界初優勝するなど、常に入賞(表彰台)をキープする快挙を果たす。また世界選手権「マカオグランプリ」のサポートレースAF2000でも大会史上初の女性入賞(3位)を獲得した。
2003年には、アジア各地を転戦する「フォーミュラ・BMWアジア」シリーズに参戦しシーズンランキング3位を獲得。翌2004年には、ホンダの主催するジュニア・フォーミュラである「フォーミュラ・ドリーム」に参戦している。2005年からは、イギリスF3(British F3)にフル参戦している。
[編集] レース戦績
- 2001年
- フランスF3選手権(ARTA-SIGNATURE ダラーラ・ルノー)
- 2002年
- アジアン・フォーミュラ2000選手権
- 2003年
- フォーミュラ・BMW アジアシリーズ(シリーズ3位)
- 2006年
- イギリスF3選手権(S-GRANT Racing Team/ダラーラ・無限ホンダ)