亀山房代
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亀山房代(かめやま ふさよ、本名:今枝房代 (旧姓:亀山)、1967年3月10日 - )はお笑いタレント。元漫才師。所属事務所は吉本興業。三重県名張市出身。相愛女子短期大学卒業。
この記事では、かつて存在した、亀山と里見まさとによる漫才コンビ、「里見まさと・亀山房代」に関しても扱う。
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[編集] 略歴
吉本総合芸能学院(NSC)の5期生として吉本入りし、心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動する。この頃、ダウンタウンが司会をした4時ですよーだ(毎日放送)にも出演している。同期には辻本茂雄、前田勝(ティーアップ)、ぜんじろうなどがいる。
1989年、ザ・ぼんちを解散したばかりの里見まさと(ぼんちまさと から改名)に誘われ、漫才コンビ「里見まさと・亀山房代」を結成、実力派漫才コンビとして評判となる。(「里見まさと・亀山房代」としての活動は後述)
また、個人としても関西ローカル情報番組のレギュラーを務めるなど、テンポの良い喋りを活かして活躍。 ワイドABCDE~す(朝日放送(ABC))では、大阪駅前から生中継で様々な情報を伝える「亀ちゃんの駅前情報局」のコーナーを担当し、好評を博す。
2001年に結婚、妊娠したため、同年末をもって「里見まさと・亀山房代」は解散。産休からの復帰後は、テレビ番組のコメンテーターや性教育に関する講演活動をするなど、文化人活動にシフトしている。
[編集] 主な出演番組
ほか
[編集] 「里見まさと・亀山房代」としての活動
1989年、元ザ・ぼんちの里見まさと(ツッコミ)と亀山房代(ボケ)によって結成される。亀山の事実上の師匠は里見まさとである(正式な師弟関係であるかどうかは不明だが、そのような関係であった旨の発言あり)。亀山は元々ピン芸人であったため、まさとから漫才のいろはを教わった。
漫才の特徴としては、キャリアウーマンのようにしっかりした亀山が立て板に水の喋りで話題をリードしつつボケて、年上のまさとが突っ込むというオーソドックスな形式であり、一発ギャグを用いない超正統派であった。
結成当初は、まさとはザ・ぼんちで大きな実績があったとは言え「まさと・亀山」は新人コンビであり、一回り以上若い芸人達と同様に、劇場での興行の前半で、殆ど客のいない客席に向かって漫才をするなどの再度の下積み活動をするのは屈辱的であった旨をナンバ壱番館(朝日放送)などで語っている。しかしながら、亀山を鍛えつつの地道な活動が実り、1995年、上方漫才大賞奨励賞を受賞。その後、1997年に上方お笑い大賞金賞、翌1998年には上方漫才大賞・大賞を獲得。上方漫才界において実力派コンビとしての地位を固めたものの、上述のように2001年末、亀山の妊娠・出産に伴って解散した。
代表作とも言える、亀山が中国語を披露するネタは秀逸であり、これがNHK教育の中国語会話への出演に繋がったのだろうと思われる。