上杉清方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上杉 清方(うえすぎ きよかた、応永19年(1412年)? - 文安3年(1446年?))は室町時代の人物。上杉氏の一族。上条上杉家の祖。上杉房方の子。上杉朝方、上杉憲実、上杉頼方の弟。上杉房定・上杉房実の父。越後上条城城主。十郎。兵庫頭。
父の房方は越後守護を務め、越後の守護職は兄の朝方・頼方が継承し、もう一人の兄の憲実は山内上杉家を継承し関東管領となっていたため、清方は刈羽郡鵜川庄上条の地を領し分家し、上条上杉家(上条氏)を興した。兄の憲実と異なり、足利持氏に信頼されていたといわれる。
持氏が自刃し、鎌倉公方が滅亡した永享の乱の後、引退した兄の憲実に代わって、関東管領代行を務めた。結城合戦の際には、上杉持朝や上杉持房・上杉教朝らとともに軍勢を率いて活躍し、結城氏朝ら持氏派の残党を討ち取り、持氏の遺児の春王丸・安王丸らを捕縛し京に護送した(捕縛の功をあげたのは越後守護代の長尾実景である)。それからまもなく清方は死去する。死因については不明だが、越中において自刃したという説がある。清方が元々鎌倉府よりで、持氏から恩を受けた人物であったことから、その子を死に追いやった自責の念によるものと推測されている。