三亜市
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中華人民共和国 海南省 三亜市 | |
三亜亜龍湾シェラトンのビーチ | |
旧称:崖州、崖県 | |
海南島中の三亜市の位置 | |
中心座標 | |
海南省 | 中華人民共和国 |
省 | 海南 |
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行政級別 | 地級市 |
面積 | |
- 総面積 | 1,919.6 km² |
人口 | |
- 総人口(2006) | 48.5 万人 |
経済 | |
- GDP(2004) | 41 億元 |
- 一人あたりGDP | 9,538元 |
電話番号 | 0898 |
郵便番号 | 572000 |
ナンバープレート | 琼B |
行政区画代碼 | 460200 |
官方ウェブサイト: http://www.sanya.gov.cn/ |
三亜市(さんあし、簡体字: 三亚, 拼音: Sānyà:サンヤー)は中華人民共和国海南省の地級市。海南島の最南端に位置し、海南省で第二の都市である。
三亜は北緯18度9分から18度37分、東経108度56分から109度48分に位置し、ハワイとほぼ同緯度にあたる。熱帯の気候と美しい海浜で知られ、特に亜龍湾(ヤーロン・ベイ)はヒルトン、シェラトン、マリオット、ザ・リッツ・カールトンなど外資系の高級ホテルが立ち並ぶ、中国有数のビーチリゾートとして人気のある旅行先となっている。
目次 |
[編集] 歴史
三亜の名称は「三亜河」(旧称: 臨川水)に由来する。三亜の東西から流入する川が合流しY字となっていたことより三亜と命名された。
三亜が中原の支配を受けるようになったのは前漢のことである。秦代には崖州が設置されていたが、実際の支配は武帝により南越国が滅亡された後の前110年に臨振県が設置された後である。その後臨振郡、崖州、珠崖軍、吉陽軍、崖州と名称の変遷があった。明代の『正徳瓊台志』には既に「三亜村」、「三亜里」の的記載が登場している。清末の1905年(光緒31年)に崖州は直隷州となり万安、陵水、昌化、感恩の四県を管轄するようになった。
中華民国が成立すると1912年に直隷州は廃止され、崖県が設置され県治が三亜に設置され、三亜が地域の中心として発展するようになった。1984年5月に崖県は県級市の三亜市に昇格、更に1987年11月に地級市に昇格し現在に至っている。
かつては中国と東南アジアとの間の海路の中継点にあたる場所であり海上交通中継地ともされたが、同時に中原政権にとり辺境に位置する三亜は歴代王朝により流刑地として使用されていた。歴史的にリー族やミャオ族が多く、その他イスラム教を信仰する回族も一定数いるが、中国全土からの人口流入により漢族が人口の大半を占めるにいたっている。
[編集] 地理
海南島南端に位置し南シナ海に面し、209キロメートルの海岸線が伸びる。
森林や海中は豊かな生態系が残り、多様な鳥類や魚類が生息している。天然ガス・石灰岩・花崗岩などの鉱物資源も豊富であり近年開発が急速に進められている。
[編集] 観光
亜龍湾は長さ7.5キロメートルの美しい白砂の浜辺が広がり、国家旅遊区として中国政府などの手により整備され国際的リゾートとして名高くなったが、大東海や三亜湾も同様に美しい浜辺の広がる人気のあるリゾート地区である。これらは市街地から数十分と離れていない。森林、動物、温泉、少数民族の風俗や文化、洞窟(熱帯植物の茂る大小洞)など、海浜以外の観光資源もある。
高さ108メートルの巨大観音像が三亜に2005年完成しており、世界でも有数の高さの仏像として中国人観光客の人気を呼んでいる。近郊の回新村には 8,000 人の回族がおり、海南島有数のムスリム居住地としてモスク(清真寺)6箇所を抱えている。
海南島の最南端に近い奇岩の点在する海岸「天涯海角」は風景区として整備され、この地を訪れた清代の多くの文人墨客の詩文が岩に刻まれている。
[編集] 交通
- 空港 - 三亜鳳凰国際空港
島内各地からの交通はバス中心で、三亜市内にバスターミナルがある。市内はタクシーも多い。
[編集] 外部リンク
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