ヴェリズモ・オペラ
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ヴェリズモ・オペラ(verismo opera)とは、1890年代から20世紀初頭にかけてのイタリア・オペラの新傾向である。同時代のヴェリズモ文学に影響を受け、内容的には市井の人々の日常生活、残酷な暴力などの描写を多用すること、音楽的には声楽技巧を廃した直接的な感情表現に重きを置き、重厚なオーケストレーションを駆使することをその特徴とする。
そうした傾向をもっともよく示す作品として今日も上演機会が多いオペラとしては、ピエトロ・マスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』(初演1890年)、ルッジェーロ・レオンカヴァッロ『道化師』(同1892年)などがある。時には、同時代に作曲されたウンベルト・ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』(同1896年)やジャコモ・プッチーニ『トスカ』(同1900年)など、同時代の庶民生活を題材とせず、歴史上あるいは架空の人物を主人公とするオペラも、その激しい感情表出に着目した場合「ヴェリズモ・オペラ」の範疇に含めて論じられることもある。
目次 |
[編集] 前史:オペラにおける日常描写・暴力
しばしば「オペラは歴史にその題材をとり、神話中の人物や英雄貴族を登場させるものだった。ヴェリズモによってはじめて一般庶民が主人公になり、オペラの聴衆はそこに共感を覚えた」あるいは「ヴェリズモによってはじめて、売春など社会の暗部、残酷な暴力などがオペラ化された」などと語られることがあるが、以下に述べるようにこれは正確とは言えない。
市井の人々の日常を描くのは、19世紀前半からオペラ・ブッファでは一般的なことであった。例えばドニゼッティ『愛の妙薬』(初演1832年)は、イタリアの何処とも知れない平凡な農村での他愛もない恋愛喜劇を描いている。「売春」に関して言えば、ヴェルディ『ラ・トラヴィアータ』(同1853年)は同時代パリに生きる高級娼婦(これは庶民、とは言えないが)の生活を描き、当初その題材のオペラとしての適否に関して議論はあったものの、ヴェルディのドラマ作りの巧さもあって人々に受容されていった。
一方の「暴力」に関しては、確かにオペラにあっては殺人は舞台裏で行われることが多く(例えばヴェルディ『リゴレット』、『運命の力』第4幕)、舞台上でそれが展開されるのはアクシデント(『運命の力』第1幕での銃の暴発)によるか、あるいは殺人の被害者が傷付いてから息を引き取るまでに美しいアリアを歌う(同『ドン・カルロ』でのロドリーゴの死)ことで聴衆のショックを和らげるのが常套手段だった。
こうしたオペラの伝統を最初に打破してみせたオペラは、フランスから現れた。ジョルジュ・ビゼー『カルメン』(初演1875年)がそれである。第4幕でドン・ホセに刺されたカルメンは、一言も歌わず、語らず、舞台上でそのまま倒れ死ぬ。なおこの『カルメン』では他にも、煙草工場の女工たち、女に惑わされ堕落する伍長ホセ、山賊やジプシーたちの山中での生活、と、今日我々が「ヴェリズモ・オペラ」の特徴として考える多くの要素が盛り込まれている。同オペラは1880年ナポリでイタリア初演された後、イタリア半島全土でセンセーションを巻き起こしている。この扇情的なオペラがイタリア人若手作曲家に強い刺激となり、後の「ヴェリズモ・オペラ」に繋がっていったのは疑いのないところだろう。
[編集] 『カヴァレリア・ルスティカーナ』の成功
上記『カルメン』のイタリアでの上演権を獲得し、成功させた楽譜出版社ソンツォーニョ社が開催した一幕物オペラ・コンクールの第2回で優勝、「ヴェリズモ・オペラ」の出発点となったのがピエトロ・マスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』であり、これはジョヴァンニ・ヴェルガの有名なヴェリズモ小説、および(より密接には)それを原作とする舞台劇に基づいていた。
コンクールの条件に「全1幕に限る」とあったのは主催者側の時間と金銭の節約目的という側面が強かったが、短いながらも力強いドラマ展開をもつヴェリズモ短篇劇を翻案した『カヴァレリア』はこの制約条件にうまく合致し、同作は1890年、ローマ・コスタンツィ劇場での初演で爆発的な成功となった。
以後「ヴェリズモ」傾向の小説や舞台劇を題材としたオペラが雨後の筍のように発表された。
[編集] 共感は存在したか?
ただし、『カヴァレリア』の成功は必ずしも「登場人物に対する聴衆の共感」に基づいているものではなかったようだ。形式的には統一国家といえ、1890年の初演地ローマの、マルゲリータ王妃を筆頭とする中・上流階級の聴衆からみればその舞台シチリア島も、三角関係を巡る決闘という習俗も充分にエキゾチックなものだったはずだ。
赤裸々に市井の人々を活写する、というだけでは聴衆の共感を得られなかったとする「状況証拠」として、ウンベルト・ジョルダーノ『堕落した生活(Mala Vita)』の失敗を例に挙げよう。サルヴァトーレ・ディ・ジャコモの小説および舞台劇(初演1889年)は、ナポリの街に生きる染物屋、売春婦など最下層の人々を活写している。ジョルダーノのオペラでは、街の描写に更なる現実感を出すためナポリ民謡を引用するなどの工夫が凝らされている。しかし、1892年2月のローマ初演でそれは成功せず、また同年4月26日、地元ナポリ、サン・カルロ劇場での上演では、街の暗部・恥部をオペラ化した、と激怒する聴衆の暴動によって上演は中断されている。度の過ぎた真実主義は、オペラという舞台芸術にはそぐわないとするのが一般的な考えだったようだ。
[編集] 『道化師』と「生活の一断面」
『堕落した生活』の失敗と同年の1892年5月には、もう一つのヴェリズモ・オペラの傑作、ルッジェーロ・レオンカヴァッロ『道化師』が初演されている。南イタリア、カラブリア地方モンタルト村を舞台とするこのオペラでは、妻である女優の浮気に怒り、次第に現実と芝居との区別がつかなくなり舞台上で殺人を犯す老座長カニオの悲哀を描いている。
なお、台本も全て書いたレオンカヴァッロが「この作品は、判事であった自分の父の担当した実在の事件に基づく」と主張したことも、このオペラの「ヴェリズモ感」を醸成するのに一役買っているが、今日ではこの台本は、フランスあるいはスペインの舞台劇の翻案であるとする説が有力になっている。
また、このオペラの冒頭では、道化師のひとりトニオが有名な「プロローグ(前口上)」を歌う。その一節;
L'autore ha cercato invece pingervi |
作者はそうでなく、示そうと努力したのです |
は、いみじくも「ヴェリズモ」全体にとってのマニフェストとなっている。
[編集] 他国への波及
ヴェリズモ・オペラの影響はイタリア一国に留まらなかった。年代的にはイタリアのヴェリズモ作曲家たちの先輩格に当たるはずのフランスのジュール・マスネが、『カヴァレリア』風の2幕物『ナヴァラの女(La Navarraise)』(初演1894年)でそこそこの成功をみせているし、オイゲン・ダルベール『低地地方(Tiefland)』(同1903年)、レオシュ・ヤナーチェク『イェヌーファ(Jenůfa)』(同1904年)にもヴェリズモの影響は明らかである。
[編集] 新イタリア楽派と「ヴェリズモ」の意味の変質
『カヴァレリア』および『道化師』の後、いよいよ多くの「ヴェリズモ」風作品が登場することになった。しかし、多くの場合こうした作品は貧しい南部の庶民生活を扱い、地方民謡や舞踊音楽がローカル性を潤色するために引用され、暴力や激しい感情表出がふんだんに満ちているものの、それらは既存成功作の二番煎じの域を出ず、今日上演されるものは少ない。
20世紀を迎える頃には、オペラにおける「ヴェリズモ」という言葉は、「真実主義」という本来の意味を離れ、「新イタリア楽派(giovane scuola italiana)」の重厚なオーケストレーションを伴った、センセーショナルなオペラ全てを指すように変質していった。この文脈においてはじめて、フランス革命時の実在の詩人の一生を脚色したウンベルト・ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』(初演1896年)や、1800年ローマを舞台に架空の歌姫の悲劇を描いたジャコモ・プッチーニ『トスカ』(同1900年)を「ヴェリズモ」の範疇に含めることが可能になる。
なお、プッチーニはずっと時代の下った1916年になり1幕物『外套(Il Tabarro)』を作曲している(初演は第一次世界大戦のため遅れて1918年)。1910年に時代をとり、パリセーヌ川河畔に生活する人々の三角関係を扱ったこの作品は、彼にとって最も(原義通りに)「ヴェリズモ風」のものである。しかしそれは、まるで作曲科の優秀な学生が「ヴェリズモ」という課題を上手に処理してみせた、とでもいうような、イディオム化されたヴェリズモに過ぎない。なお『外套』は、凝縮された悲劇『修道女アンジェリカ』、オペラ・ブッファ風の『ジャンニ・スキッキ』と一緒に、3作品の作風の違いを一晩で楽しむことのできる『三部作(Il Trittico)』として上演する構想で作曲されたが、今日では他のヴェリズモ・オペラ作品との組合せも多い。
[編集] 関連項目
- ヴェリズモ:文学としてのヴェリズモ
- ソンツォーニョ・コンクール
- 新イタリア楽派