ヴァン・フリート特命報告書
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ヴァン・フリート特命報告書(report of Van Fleet mission to the Far East 直訳:ヴァン・フリート極東使節団による報告書)はヴァン・フリート大統領特命大使が韓国、日本、台湾、フィリピンを訪問し1954年にアイゼンハワー第34代米大統領に送ったとされる機密文書。1986年機密解除。
内容は戦術的見地からの極東アジアにおけるアメリカ合衆国の取るべき選択肢を詳細に記載しており、朝鮮戦争が休戦した直後の韓国と周辺国(台湾、日本、フィリピン)を中心とした分析が報告されている。 全体的に極東における共産主義陣営に対する自由主義陣営の相互防衛について言及しており、時代背景を色濃く残している。韓国関連の問題と方針一覧のIII.韓国のアジア諸国関連問題のA.日本において当時の日本と韓国の国際関係に対する詳細な記述があり、アメリカの判断として現代に影響を及ぼしうる内容となっている。
目次 |
[編集] 要旨
李承晩ラインや竹島の領有権に関してサンフランシスコ講和条約後の同条約に対する米国政府公式見解としてラスク書簡を踏まえた以下の点が確認される
- 一方的な領海宣言(李承晩ライン)は違法である[1]
- 米国政府はサンフランシスコ講和条約において竹島は日本領土であると結論している[2]
- この領土問題は国際司法裁判所を通じて解決されることが望まれる[3]
[編集] 時代背景と両政府のやりとり
下記のような時代背景のなか、ヴァン・フリート特命報告書は書かれた。
- 1950年6月25日
- 朝鮮戦争勃発
- 1951年8月10日(外交文書)
- 1952年1月18日
- 韓国が李承晩ラインを宣言
- 1952年4月28日
- 日本国との平和条約(サンフランシスコ条約)が発効
- 1953年7月27日
- 朝鮮戦争停戦。(韓国大統領は停戦内容を不服として調印式に出席せず)
- 1954年8月15日
- 1954年9月25日
- 日本政府は領有問題を国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案。韓国政府はこれに応じず。
[編集] 李承晩ライン
- 一方的な領海宣言(李承晩ライン)は違法である
いわゆる韓国政府の”平和線”としての主張
- "a." 韓国沿岸水域の貴重な海洋資源の保護
- "b." 漁業資源の韓国と日本におけるの将来の摩擦の排除
- "c." 共産党員の浸透に対する海域での防御
を記載している。特にcに見られるような当時の韓国政府の主張には時代背景と努力を感じるが結論として
合衆国政府は一貫して、海洋の主権に関する一方的な宣言が違法であり、日韓間の漁業に関する紛争が両国の権益を保護する漁業協定によって解決されるべきとの立場である。
と記載している。
[編集] サンフランシスコ条約における竹島の帰属
- 米国政府はサンフランシスコ条約において竹島は日本領土であると結論している
この報告書に
合衆国は日本の主権の下に残すことを決定し、平和条約の日本が所有権を放棄する島々には含めなかった。韓国は合衆国の竹島に関する意向を内々に知っていたが、合衆国はその意向を公表しなかった。合衆国は竹島を日本の領土であると考えるが、紛争への介入は拒否した。
と記載されている。つまりアメリカは竹島が日本の領土である事をサンフランシスコ条約で結論しているが、紛争への介入は拒否した。
[編集] 竹島の領土問題
- 竹島の領土問題は国際司法裁判所を通じて解決されることが望まれる
この報告書に
紛争を国際司法裁判所に適切に付託すべきであるという我々の意向は非公式に韓国に伝えられた。
と記載されている。つまり竹島の領土問題は国際司法裁判所を通じて解決されることが望まれるというアメリカの意向は韓国に伝わっていた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 朝鮮戦争に関連するアイゼンハワーライブラリ(英文)
- 当報告書に関する報道(韓国語): "미국, 한국전직후 "독도는 일본땅" 일방결론", 世界日報 (韓国), 2006-03-27
- 上記記事の日本語訳と解説、英文解説サイト紹介: "モノも言いよう・・・を超えてるよ", Let's Blow! 毒吐き@てっく, 2006年04月26日
[編集] 脚注
- ^ ヴァン・フリート特命報告書原文:The United States Government has consistently taken the position that the unilateral proclamation of sovereignty over the seas is illegal and that the fisheries dispute between Japan and Korea should be settled on the basis of a fisheries conservation agreement that would protect the interests of both countries.
- ^ ヴァン・フリート特命報告書原文:When the Treaty of Peace with Japan was being drafted, the Republic of Korea asserted its claims to Dokto but the United States concluded that they remained under Japanese sovereignty and the Island was not included among the Islands that Japan released from its ownership under the Peace Treaty.
- ^ ヴァン・フリート特命報告書原文:Our position has been that the dispute might properly be referred to the International Court of Justice and this suggestion has been informally conveyed to the Republic of Korea.