レッド・ツェッペリン II
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レッド・ツェッペリン II | ||
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レッド・ツェッペリン の アルバム | ||
リリース | 1969年10月22日 | |
録音 | 1969年1月~8月 オリンピック・スタジオ, ロンドンほか |
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ジャンル | ロック | |
時間 | 41 分29 秒 | |
レーベル | アトランティック Atlantic / Polydor 588198 |
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プロデュース | ジミー・ペイジ | |
専門評論家によるレビュー | ||
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レッド・ツェッペリン 年表 | ||
レッド・ツェッペリン I (1969年) |
レッド・ツェッペリン II 1969年 |
レッド・ツェッペリン III (1970年) |
レッド・ツェッペリン II (LED ZEPPELIN II)は、イギリスのロックグループ、レッド・ツェッペリンの第2作アルバム。1969年(昭和44年)10月22日発売。プロデューサーはジミー・ペイジ。レコーディング・エンジニアはエディ・クレーマー。
目次 |
[編集] 経緯
レッド・ツェッペリンの4人のメンバーのうち、ペイジこそ元ヤードバーズのギタリストとして名の知れた存在であったが、他の三人は世間的には全く無名のミュージシャンであった。したがって彼らは無名の新人バンドにふさわしく、どんなチャンスも逃すまいと貪欲に活動を開始した。1969年中に3度のアメリカ・ツアーをこなし、イギリスに戻ってもステージ、ラジオ出演等、まさに席の温まる暇も無い活動ぶりであった。こうした精力的な活動とステージでの凄まじいパフォーマンスとが相まって、レッド・ツェッペリンは瞬く間に人気バンドとなり、ファースト・アルバム「レッド・ツェッペリン I」は大西洋の両岸でヒット・チャートに食い込んだ。この成功に気を良くしたアトランティック・レコードは早く次のアルバムを出すよう、バンドに強い圧力をかけた。彼らのセカンド・アルバムは、こうした内外の強いプレッシャーの中で制作されることになったのである。
[編集] 録音
そのためこのアルバムは、多忙なステージ・スケジュールの合間を縫って、ホテルの部屋で作曲したものを英米各地のスタジオで断続的に録音することとなった。ベーシック・トラックの多くはロンドンのオリンピック・スタジオで収録されたが、オーバーダビング、ミックスダウンなどは、その時その時、手近にあるスタジオに飛び込んで行なわざるを得なかった。時にはスタジオにちゃんとしたモニター・スピーカーが無く、ヘッドフォンでバランスを確認しながら作業したこともあるという。しかしながら注意深いプロデュース・ワーク(人によってはオーバープロデュースとも評する)の結果、全体としては見事に統一感のある作品に仕上がった。
[編集] ジャケット
前作のモノクロ・シングルジャケットから一変して、カラーの見開きジャケットとなった。表にはツェッペリン飛行船のシルエットを背景にした飛行服の一団が描かれ、その中にレッド・ツェッペリンのメンバーもいる。これはドイツ空軍の資料写真にエアブラシでメンバーの顔を描き込んだもの。インナー・スリーブには神殿(または墓所)の上空に漂うツェッペリン飛行船が描かれている。
[編集] 収録曲
(LPレコードの表記をもととする)
Side A
- 胸いっぱいの愛を(Whole Lotta Love / Bonham, Jones, Page & Plant)
- 強き二人の愛(What Is And What Should Never Be / Page & Plant)
- レモン・ソング(The Lemon Song / Bonham, Jones, Page & Plant)
- サンキュー(Thank You / Page & Plant)
Side B
- ハートブレイカー(Heartbreaker / Bonham, Jones, Page & Plant)
- リヴィング・ラヴィング・メイド(Livin' Lovin' Maid <She's Just A Woman> / Page & Plant)
- ランブル・オン(Ramble on / Page & Plant)
- モビー・ディック(Moby Dick / Bonham, Jones & Page)
- ブリング・イット・オン・ホーム(Bring It on Home / Page & Plant)
本作からロバート・プラントが作者としてクレジットされ、「ペイジ&プラント」の黄金コンビの出発点となった。他方、前作と同様にクレジットの不備による著作権表示の不正が見られた。
- A-1の歌詞の全てがウィリー・ディクソンの「You Need Love」から引用されたものである。
- A-3は歌詞中にハウリン・ウルフ作詞作曲の「Killing Floor」のサビのフレーズと、ロバート・ジョンソンの「Travelling Riverside Blues」が織り交ぜられている。後にハウリン・ウルフ側から著作権問題で訴えられ、クレジットを「(Howlin' Wolf, Bonham, Jones, Page, Plant) 」に変更した。
- B-5は曲のオープニングとエンディング部分にサニー・ボーイ・ウィリアムソンIIの同名ブルース曲「Bring It on Home」が挿入されている。
- なお1969年6月[1]に「ウィアー・ゴナ・グルーヴ (We're Gonna Groove / Ben E. King - James Bethea)」が録音されたが、このアルバムには収録されなかった。
[編集] チャート・アクション
「レッド・ツェッペリン II」は1969年10月22日、まずアメリカで発売された。ビルボードのチャートで初登場199位であったが、翌週には15位へと、チャート史上空前の大躍進を遂げる。年末には彼らにとって初めての首位を獲得し、7週間その地位を守った。イギリスでは10月30日に発売され、138週チャートイン。1970年2月には首位を獲得した。
[編集] 影響と評価
上述の通り「レッド・ツェッペリン II」は極めて過酷な環境の中で慌ただしく録音された。しかし過酷な環境はむしろメンバーに高揚感を生じたものらしく、アルバム収録の全曲が皆、異常なまでに鋭角的、攻撃的な仕上がりとなっている。「レッド・ツェッペリン」イコール「大音響のヘヴィ・ロック」という図式が聴衆に浸透したのも、このアルバムの力によるものだといえよう。とりわけA-1は短縮版がシングル・カットされてビルボードのチャートで4位まで上る大ヒットとなり、この曲で使われた「省略コードの連打によるリフ作り」という技法が、後に多くのヘヴィ・メタル・バンドに模倣されたこともあって、いっそうレッド・ツェッペリンのイメージを拘束することとなった。そのイメージから脱却するため、レッド・ツェッペリンは次作「レッド・ツェッペリン III」において大きな路線転換を図ることとなるのである。
[編集] 注
- ^ 「最終楽章 (コーダ)」所収の「ウィアー・ゴナ・グルーヴ 」は、1970年1月9日、ロイヤル・アルバート・ホールで録音されたライヴ音源に手を加えたものであることが判明しているが、レコーディング・エンジニアのアンディ・ジョーンズは「1969年、モーガン・スタジオでレコーディングを行なった」という主旨の証言をしている。
レッド・ツェッペリン |
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ジョン・ボーナム - ジョン・ポール・ジョーンズ - ジミー・ペイジ - ロバート・プラント |
オリジナルアルバム: レッド・ツェッペリン I - II - III - (IV) - 聖なる館 - フィジカル・グラフィティ - プレゼンス - 永遠の詩 (狂熱のライヴ) - イン・スルー・ジ・アウト・ドア - 最終楽章 (コーダ) |
その他のアルバム: ボックスセット - ボックスセット2 - リマスターズ - BBCライヴ - 伝説のライヴ |
映像: レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ - レッド・ツェッペリン DVD |
楽曲 |
関連事項: ピーター・グラント - スワンソング・レコード - ブロン・イ・アー - ヘッドリィ・グランジ |