ルシアーノ・フィゲロア
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ルシアーノ・フィゲロア | ||
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名前 | ||
本名 | ルシアーノ・ガブリエル・フィゲロア・エレーラ | |
愛称 | ルチョ | |
ラテン文字 | Luciano Figueroa | |
基本情報 | ||
国籍 | アルゼンチン | |
生年月日 | 1981年5月19日(27歳) | |
出身地 | ロサリオ | |
身長 | 183cm | |
体重 | 77kg | |
選手情報 | ||
在籍チーム | ジェノアCFC | |
ポジション | FW | |
背番号 | 9 | |
利き足 | 左足
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代表歴 | ||
出場 | 15 | |
得点 | 9 | |
オリンピック | ||
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男子 サッカー | ||
金 | 2004 | サッカー |
ルシアーノ・ガブリエル・フィゲロア・エレーラ(Luciano Gabriel Figueroa Herrera、1981年5月19日 - )は、アルゼンチン・サンタフェ州ロサリオ出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。
イタリア・セリエAのジェノアCFCに所属。
[編集] 経歴
地元の名門ロサリオ・セントラルで2001年にキャリアをスタート。同期のセサール・デルガドとのコンビでスタメンに定着、2003年後期リーグでは得点王に輝く。
2003年にイングランド・プレミアリーグのバーミンガム・シティFCへ移籍。このときスペインのCAオサスナとの2重契約が発覚するが、無事にバームンガムへと移籍が成立。だが出場は1試合のみに終わり冬には契約破棄されるという、自他共に認める大失敗となった。
その後メキシコのクルス・アスルへと移籍。盟友セサール・デルガドとの再会は彼の復活のきっかけとなり、33試合で21得点を記録。またこの頃アルゼンチン代表に招集され始める。
2004年秋にスペインのビジャレアルCFに移籍。多くのアルゼンチン人が在籍していたこともあり早々と適応。05-06シーズンではビジャレアル初のUEFAチャンピオンズリーグの予選第1戦エヴァートンFC戦で先制点を決め、クラブ史に残るゴールとなった。その一方で出場機会は減少、2006年ドイツW杯の代表メンバーに入るため母国のリーベルプレートへと活躍の場を求めてレンタル移籍する。
3年ぶりの後期リーグでは7試合で3得点と調子も良かったが、左膝の十字靱帯を負傷する大怪我を負い念願のW杯は絶望となる。
2006年8月、イタリアのジェノアに移籍。怪我の影響が長引き、06-07シーズンの試合出場は0に終わった。
[編集] タイトル
アルゼンチン代表
- アテネオリンピック - 優勝
個人タイトル
- アルゼンチン後期リーグ得点王(2003年)
[編集] 所属クラブ
- ロサリオ・セントラル 2001-2003
- バーミンガム・シティFC 2003-2004
- クルス・アスル 2004
- ビジャレアルCF 2004-2006
- リバープレート 2006(レンタル)
- ジェノアCFC 2006-