ルイス・オルナ
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ルイス・オルナ |
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基本情報 |
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ラテン文字名 | Luis Horna |
フルネーム | Luis Horna Biscari |
愛称 | ルチョ(Lucho) |
国籍 | ペルー |
出身地 | 同・リマ |
生年月日 | 1980年9月14日(27歳) |
身長 | 180cm |
体重 | 81kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 片手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1998年 |
ツアー通算 | 8勝 |
シングルス | 2勝 |
ダブルス | 6勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | 3回戦(2006) |
全仏 | 3回戦(2005) |
全英 | 1回戦(2003-07) |
全米 | 2回戦(2006・07) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 33位 |
ダブルス | 20位 |
Template |
ルイス・オルナ(Luis Horna, 1980年9月14日 - )は、ペルー・リマ出身の男子プロテニス選手。フルネームは Luis Horna Biscari (ルイス・オルナ・ビスカリ)という。2008年の全仏オープン男子ダブルスで、パブロ・クエバス(ウルグアイ)とペアを組んで優勝した選手である。これまでにATPツアーでシングルス2勝、ダブルスで2008年全仏オープンを含む6勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス33位、ダブルス20位。赤土のクレーコートを最も得意にする選手。
オルナは鉱山技師の家庭に生まれ、少年時代は1995年全仏オープン優勝者のトーマス・ムスター(オーストリア)に憧れて育った。ジュニア時代の1995年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップのペルー代表選手に起用された彼は、4大大会のジュニア部門で1997年全仏オープンジュニア男子シングルス準優勝・ダブルス優勝、1997年ウィンブルドンジュニアダブルス優勝などの戦績を出した。1998年にプロ転向。選手層の薄いペルーのテニス界において、オルナはデビスカップ代表選手として不可欠な存在になったが、男子ツアーの決勝進出はプロ入りから6年後、2004年7月のオランダ・アーメルスフォールト大会のダブルスだった。2005年7月、アーメルスフォールトのダブルスでツアー初優勝を達成。2006年2月、メキシコ・アカプルコ大会でシングルス初優勝を果たす。
2007年のデビスカップにおいて、ペルー代表チームは初めての「ワールドグループ」昇格を決めた。この国のデビスカップ初参加は1968年であり、オルナが(まだ15歳のジュニア選手だった)1995年には「アメリカン・ゾーン」の「グループ2」にいた。2000年から、ペルーは同ゾーンの「グループ1」に昇格する。2007年9月21日-23日にかけて「ワールドグループ・プレーオフ」がペルーの首都リマで開かれ、ペルーはベラルーシを「4勝1敗」で破ってワールドグループ初出場を決めた。[1] オルナはシングルス2試合に勝利を収め、第2試合でウラジミール・ボルチコフに競り勝った後、第4試合でマックス・ミールヌイに 6-4, 7-5, 4-6, 7-6 で勝ち、この勝利でチームを初めてのワールドグループへと導いた。
2008年、ルイス・オルナは男子ツアーのダブルスで3勝を挙げた。年頭の1月にニュージーランド・オークランド大会でフアン・モナコ(アルゼンチン)と組み、2月のアルゼンチン・ブエノスアイレス大会ではアグスティン・カレリ(彼もアルゼンチン人選手)と組んで優勝した。全仏オープンの優勝パートナーとなったパブロ・クエバス(ウルグアイ)とは、これが初コンビだった。オルナとクエバスは、準々決勝で第1シードのボブ・ブライアン&マイク・ブライアン(アメリカ、双子の兄弟ペア)を 6-3, 5-7, 7-6 (最終第3セットはタイブレークによる)を破る金星を挙げ、この勝利で波に乗った。初進出の決勝戦で、2人は第2シードのダニエル・ネスター(カナダ)&ネナッド・ジモンイッチ(セルビア)組を 6-2, 6-3 のストレートで倒した。こうして、オルナはテニスの「オープン化時代」(テニス4大大会にプロ選手の出場が解禁された、1968年以後の時代)が始まって以来、ペルー人のテニス選手として最初のグランドスラム優勝者に輝いた。かつて1959年にアレックス・オルメドが全豪選手権とウィンブルドン選手権で4大大会男子シングルスの年間2冠を獲得したことがあり、オルナの全仏男子ダブルス優勝は「オルメド以来49年ぶり」の快挙となる。