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ヤンキー・スタジアム - Wikipedia

ヤンキー・スタジアム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヤンキー・スタジアム
The House that Ruth Built
ヤンキー・スタジアム
施設データ
所在地 161st Street and River Avenue
Bronx, New York 10451
起工 1922年5月5日
開場 1923年4月18日
所有者 ニューヨーク市
グラウンド 天然芝(Merion Bluegrass)
ダグアウト ホーム - 一塁側
ビジター - 三塁側
建設費 250万ドル
設計者 オズボーン・エンジニアリング
建設者 White Construction Company
使用チーム • 開催試合
MLB / ニューヨーク・ヤンキース(1923年 - 1973年、1976年 - 現在)
NFL / ニューヨーク・ヤンキース(1926年 - 1928年)
AAFC / ニューヨーク・ヤンキース(1946年 - 1949年)
NFL / ニューヨーク・ヤンクス(1950年 - 1951年)
NFL / ニューヨーク・ジャイアンツ(1956年 - 1973年)
収容能力
58,000人(1923年) 、62,000人(1926年)
82,000人(1927年) 、67,113人(1928年)
62,000人(1929年) 、71,699人(1937年)
70,000人(1942年) 、67,000人(1948年)
67,205人(1958年) 、67,337人(1961年)
67,000人(1965年) 、65,010人(1971年)
54,028人(1976年) 、57,145人(1977年)
57,545人(1980年)
グラウンドデータ
球場規模 左翼 - 318 ft (約96.9 m)
左中間 - 399 ft (約121.6 m)
中堅 - 408 ft (約124.4 m)
右中間 - 385 ft (約117.3 m)
右翼 - 314 ft (約95.7 m)
バックネット - 84 ft (約25.6 m)
フェンス 8 ft (約2.4 m) - 10 ft (約3.0 m)
球場正面
球場正面
内野スタンド
内野スタンド
衛星写真
衛星写真

ヤンキー・スタジアムYankee Stadium )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨークブロンクス区にある野球場MLBニューヨーク・ヤンキースの本拠地球場である。野球場の名称に初めて「スタジアム」という単語を使った球場として知られている。

目次

[編集] 球場の歴史

ヤンキースは1913年からポロ・グラウンズニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)と共用していた。しかし1920年、ベーブ・ルースレッドソックスからヤンキースに移籍、54本塁打をマークする大活躍で一気にスター選手になり、「ルース効果」でヤンキースの年間観客動員が大リーグ史上初めて100万人を突破した。これに気分を害したジャイアンツのジョン・マグロー監督は「1921年以降はポロ・グラウンズを使うな」とヤンキースに通告した。

そこでヤンキースは新球場の建設を決めた。最初はマンハッタンへの建設が検討されたが、ルース効果で儲かっていたヤンキースでさえ手が出せないほどマンハッタンの地価・花崗岩掘削費が高かったため、これは断念せざるを得なかった[1]。他の地区を調査したヤンキースは1921年2月6日、ハーレム川を挟んでマンハッタンの反対側に位置するブロンクス区の土地を10エーカー購入した。そこはポロ・グラウンズからは1マイルも離れていない場所だった。

新球場は1923年4月18日、ボストン・レッドソックス戦で開場。74,217人の観衆が集まり、さらに20,000人ほどが球場に入りきれなかったという[1]

こういった建設の経緯から、ヤンキー・スタジアムは「ルースが建てた家」(The house that Ruth built )との異名をもつ。しかし、開場時は左中間が異常に深く(「デスヴァレー」(Death Valley )=「死の谷」と呼ばれた)、逆にライトポールまでの距離が短かったため「(左の強打者である)ルースのために建てられた家」だという声も存在する[2]

ヤンキースの本拠地として、ヤンキー・スタジアムは数々の歴史的場面の舞台となった(後述)。客席が増設され一時は82,000人収容になったり、1946年には照明灯が導入されるなど、改修もたびたび行われた。また野球以外にも使用され、1956年から1973年にかけてはNFLニューヨーク・ジャイアンツの本拠地として使用された。

ちょうど開場50周年となった1973年のシーズン終了後、ヤンキー・スタジアムは老朽化のためいったん取り壊された。翌2年間、新ヤンキー・スタジアム建設工事が行われ、その間ヤンキースはメッツの本拠地シェイ・スタジアムを間借りした。新球場は1976年4月15日に開場。その姿は、重厚な外観やフィールドの形状などの旧球場の特徴を残していた。「ルースが建てた家」を捩り「スタインブレナーが建て直した家」(The House Steinbrenner Rebuilt )とも呼ばれた[3]新球場で、ヤンキースは1976年からアメリカンリーグを3連覇。1977年・1978年にはワールドシリーズも制した。

1980年代に入るとヤンキースは長い低迷期に入った。当時の球場周辺の治安は悪化の一途を辿り、球場そばのハンバーガーショップは「天国に一番近いファーストフード店」と揶揄されるほどだった [要出典] 。当時ほどではないが現在でもブロンクス区は治安の悪い地域である。

1996年にヤンキースは15年ぶりのリーグ優勝・18年ぶりの世界一と復活を果たした。1976年以降は20,000人台だった1試合平均の観客動員が、世界一の翌年の1997年からは30,000人を下回らなくなった。2003年以降は観客動員が全30球団中1位となりながらなお伸び続け、現在に至っている。

2009年には新しいヤンキー・スタジアムが完成する予定となっており、それにともない現在のヤンキー・スタジアムは2008年のシーズン終了後に取り壊される予定である。現球場最終年となる2008年にはMLBオールスターゲームが7月15日に開催される。

[編集] フィールドの特徴

ヤンキー・スタジアムは伝統的に「左打者有利・右打者不利」といわれてきた。これは開場時、左中間が500フィート(約152.4メートル)もあった一方、右中間はスタンド裏にニューヨーク市地下鉄の高架線がある関係で429フィート(約130.8メートル)しかなく、294.75フィート(約89.8メートル)の右翼ポール際にかけての狭いエリアでホームランの出ることが多かったためである。この形状から、ヤンキースは歴史上、ベーブ・ルース、ロジャー・マリスレジー・ジャクソンドン・マッティングリージェイソン・ジアンビなど左打ちのパワーヒッターを数多く獲得してきた。

しかしフィールドの広さは年々変更されていき、現在では左右両翼共に開場当時よりずいぶん狭くなっている。左中間は現在でも399フィート(約121.6メートル)と大リーグ屈指の広さを誇るが、センターよりも左中間が深いという特徴的な形状は解消され、常識的な範囲内での変形球場となっている。

内野の芝は長めにカットされている。このため打球の勢いが死にやすいので、内野手には強肩が要求される。ファウルグラウンドは狭く、邪飛によるアウトが少なくなるので打者に有利に働く。

外野の広さの変遷[4]
年度 左翼 左中間 中堅 右中間 右翼
1923 280.58 500 487 429 294.75
1924 280.58 490 487 429 294.75
1928 301 490 487 429 294.75
1930 301 490 487 429 295
1937 301 457 461 407 295
1939 301 457 461 407 296
1967 301 457 463 407 296
1976 312 436 417 385 310
1985 312 436 410 385 310
1988 318 399 408 385 314

※単位はフィート、1フィート≒30.48センチ

[編集] モニュメント・パーク

モニュメント・パーク
モニュメント・パーク
永久欠番プレートが並ぶ通路
永久欠番プレートが並ぶ通路

左中間フェンス後方にはモニュメント・パークMonument Park )というコーナーが設置されている。ここにはヤンキース歴代の名選手らを称えた記念碑を中心に、様々なものが飾られている。

三塁側入場口の近くにモニュメント・パークへ続く通路がある。壁にヤンキースの永久欠番のプレートが並べられた通路の先に、ヤンキースのロゴとその周りに“WELCOME TO MONUMENT PARK”と書かれたマークがあり、その先に記念碑やレリーフが飾られている。

中に入ると、まず真ん中に3つ、その両脇に1つずつ記念碑がある。真ん中のものは左からルー・ゲーリッグミラー・ハギンス、そしてベーブ・ルースである。1920年代のヤンキース「第1期黄金時代」を監督として築いたハギンスと、それぞれ3番・4番としてチームを引っ張ったルースとゲーリッグが並んで称えられている。またこの3つの両脇にある記念碑は、前述の3人の後の時代に活躍したジョー・ディマジオミッキー・マントルである。

その奥の壁には、ホワイティー・フォードやレジー・ジャクソン、ヨギ・ベラケーシー・ステンゲルなど過去の名選手・監督の栄誉を称えたものや、かつてヤンキー・スタジアムでローマ教皇によるミサが2回(1965年10月4日・パウロ6世、1979年10月2日・ヨハネ・パウロ2世)行われたことを記念するものなど、多くの銘板が掛けられている。2002年9月11日には、アメリカ同時多発テロ事件発生1周年ということで、新たに慰霊碑が設けられた。

モニュメント・パークへ入ることができるのは試合開始45分前までと決められている。ただ、それよりも早く閉められることも時々ある。

[編集] 設備、アトラクション、演出

YMCAに合わせて踊るグラウンドキーパー
YMCAに合わせて踊るグラウンドキーパー
雨が降るとフィールドには「タープ」(Tarp )と呼ばれるシートがかけられる
雨が降るとフィールドには「タープ」(Tarp )と呼ばれるシートがかけられる

[編集] 主要な出来事

  • 1923年4月18日、レッドソックス戦で開場(ヤンキース 4-1 レッドソックス)。
  • 1927年9月30日、ベーブ・ルースがセネターズ戦で、大リーグ史上初のシーズン60本塁打を達成した。
  • 1929年4月18日、ヤンキースが大リーグ史上初めて背番号の入ったユニフォームを着用。
  • 1939年7月11日、オールスターゲーム開催(ア 3-1 ナ)。
  • 1960年7月13日、オールスターゲーム(第2戦)開催(ナ 6-0 ア)。
  • 1961年10月1日、ロジャー・マリスがシーズン61本塁打の新記録をうち立てた。しかし、ベーブ・ルースがそれまでの記録だった60本塁打を達成した1927年が154試合制だったのに対し、マリスが61本目の本塁打を打ったのが161試合目だったことから、マリスの記録には参考記録であることを示す*マークがつけられた。
  • 1967年5月14日、ミッキー・マントルがオリオールズ戦で通算500本塁打を達成した。
  • 1977年7月19日、オールスターゲーム開催(ナ 7-5 ア)。
  • 1983年7月24日、ヤンキース-ロイヤルズ戦で「松ヤニバット事件」。
    ヤンキースが4-3でリードした9回表、ロイヤルズのジョージ・ブレットが逆転2ラン。しかしヤンキースのビリー・マーチン監督が「バットに松ヤニを塗ってもいいのはルールでは端から18インチではないか。ブレットのバットは松ヤニが付きすぎていてルール違反だ」と抗議。これが主審に認められ本塁打は取り消し、試合はヤンキースが制した。
    しかしロイヤルズがアメリカン・リーグに提訴すると、リーグ会長は「ブレットの本塁打は有効」と声明を発表。8月18日に、ブレットが本塁打を放った直後の場面から試合が再開され、ロイヤルズが勝利を収めた。
  • 1987年9月29日、ドン・マッティングリーがレッドソックス戦で、大リーグ新記録となるシーズン6本目の満塁本塁打を放つ。
  • 1998年5月17日、デービッド・ウェルズツインズ戦で完全試合を達成した(ヤンキース 4-0 ツインズ)。大リーグ史上15人目。
  • 1999年7月18日、デービッド・コーンエクスポズ戦で完全試合を達成した(ヤンキース 6-0 エクスポズ)。大リーグ史上16人目。
  • 2003年6月13日、ロジャー・クレメンスがカージナルス戦で通算300勝と通算4000奪三振を達成した。
  • ワールドシリーズ開催:1923年1926年1927年1928年1932年1936年1937年1938年1939年1941年1942年1943年1947年1949年1950年1951年1952年1953年1955年1956年1957年1958年1960年1961年1962年1963年1964年1976年1977年1978年1981年1996年1998年1999年2000年2001年2003年
    • 1956年10月8日、ドジャースとのシリーズ第5戦ではドン・ラーセンがシリーズ史上唯一の完全試合を達成している。
    • 1977年10月18日、ドジャースとのシリーズ第6戦ではレジー・ジャクソンが3打席連続初球本塁打を放ち、ヤンキースを世界一に導いた。

[編集] 出典

  1. ^ a b 宇佐見陽 『大リーグと都市の物語』 平凡社<平凡社新書>、ISBN 4582850766、2001年、54-57頁。
  2. ^ 藤澤文洋 『やっぱり凄い メジャーリーグ大雑学』 講談社<講談社+α文庫>、ISBN 4062564297、2000年、300頁。
  3. ^ "Yankee Stadium", Ballparks of Baseball - The Fields of Major League Baseball
  4. ^ "Yankee Stadium", Ballparks by Munsey and Suppes

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
前本拠地:
ポロ・グラウンズ
1913 - 1922
ニューヨーク・ヤンキースの本拠地
1923 - 2008
次本拠地:
ニューヤンキー・スタジアム
2009 -
前本拠地:
ポロ・グラウンズ
1925 - 1955
ニューヨーク・ジャイアンツの本拠地
1956 - 1973
次本拠地:
イェール・ボウル
1973 - 1974
先代:
クロスリー・フィールド
ミュニシパル・スタジアム
ベテランズ・スタジアム
AT&Tパーク
MLBオールスターゲーム開催場
第7回(1939年
第29回(1960年第2戦)
第48回(1977年
第79回(2008年
次代:
スポーツマンズ・パーク
キャンドルスティック・パーク
サンディエゴ・スタジアム
ブッシュ・スタジアム


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