メルボルン事件
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メルボルン事件とは、1992年6月、オーストラリアのメルボルン空港に到着した日本人観光客らの所持するスーツケースから大量のヘロインが発見され、有罪判決を受けた事件。
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[編集] 概要
一行は、事件の主犯とされた勝野良男さんが兄と友人、兄の友人らを誘って7人で出発した。内訳は良男さんの長兄勝野正治さん、次兄勝野光男さん、友人の 浅見喜一郎さん、光男さんの知人の本多千香さん、ほかに女性2人の計7人。こ のうち女性2人は無関係として、裁判を受けることなく帰国した。
逮捕された日本人観光客5名は一貫して犯行を否認し、連邦最高裁まで争ったが、麻薬密輸の罪で懲役15年から20年の刑が確定したため、1998年、国連の自由権規約に基づき、一連の刑事訴訟プロセスが同規約に違反しているとして規約人権委員会に対して個人通報を行った。5名は同国ビクトリア州の刑務所で服役した後、2006年までに全員が仮釈放され日本に帰国している。
弁護団によれば、観光客らがメルボルンに向かう途中のクアラルンプール(マレーシア)で持参のスーツケースが盗まれ、その後ガイドから渡された新しいスーツケースの二重底の中にヘロインが隠されていた。ガイドが観光客らを運び屋に仕立て上げようとした事件であるが、ガイドを証人として出廷させられなかった、逮捕・捜査から公判に至るまで能力のある通訳が付されず、十分な主張ができなかったなどの問題があった。
主犯とされた勝野良男さんは、以前に暴力団に所属していたことがあり、体に刺青があった。しかも、過去に覚醒剤の所持の罪で投獄されたことがあった。しかし、本事件の発生する前に、やくざ(暴力団)稼業からは足を洗い、雑貨屋を営み、まじめな家庭人として再生しようとしていた。本人は自分の無罪を当初から一貫して主張していた。 しかし、オーストラリア警察は、彼の身体検査のときに刺青を発見すると、ジャパニーズヤクザだと決めつけ、その情報をマスコミに流した。検察側は日本のやくざ(暴力団)の仕業と決めつけ、重要参考人であるガイドでさえ、裁判で陪審員の前に証人として呼び出すことはなかった。その結果、裁判では検察の思う通りに事態が運んでいき、日本人たちは自分たちの主張を陪審員の前でくわしく明らかにするチャンスがほとんどなかった。
なお、勝野光男さんは以前にはビジネスマンであり、勝野正治さんは引退した警察官であり、本多千香さんはレストランのウエイトレスであった。本事件に関わった人が全員が暴力団関係者だというのは誤った情報である。
本事件で投獄されていた日本人すべてと直接の面会を繰り返し、長期にわたって彼らの面倒を見てきたオーストラリア在住アメリカ人の牧師は、投獄されていた日本人全員が無罪であることを主張している。
[編集] 外務省・在オーストラリア大使館・領事館の対応
この事件発覚後、当時日本の外務省は「相手国に対して内政干渉になるので事態を見守るしかない」として、救いの手を差し伸べようとはしなかった。日本側は『外交問題』に発展する事を恐れて沈黙(弱腰)姿勢に転じた。世襲かコネで入省する人間が大半の日本の外務省では、このような非人間的な対応も納得できると言えよう。
事件後、メルボルンの警察署に身柄拘束中の5名と面会したメルボルン総領事館の職員は
「あなた方はどこの暴力団の組員ですか?」や「どこの暴力団から依頼されたのですか?」等、と犯罪者と決め付けている対応を行ったといわれているが、メルボルン総領事館側は『そのような対応はしていない』と全面否定している。
刑確定後の5名と面会した、在オーストラリア大使館職員は「では日本に帰れるようにします、但し残りの刑期は日本の刑務所で過ごしてもらうことになります」と、ここでも犯罪者と決め付けている対応を行ったといわれている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 検察側の主張と、弁護団の主張の食い違いは、以下の英文の項目を参照。なおこの英文には、本件に関して、一向に同行した旅行者のマレーシア人、およびガイドとしてスーツケースの調達に関与したマレーシア人の実名が明記されている。 http://en.wikipedia.org/wiki/Chika_Honda
- この事件に関して、直接に独自取材もした日本のテレビ番組による経緯編と、帰国編を映像で見ることができる。 http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/special_back/20021124_010.html