ミラノ勅令
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ミラノ勅令(―ちょくれい、英語:Edict of Milan)は、313年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世(当時は西方正帝)とリキニウス(同・東方正帝)が連名で発布した勅令。全帝国民の信教の自由を保障した。
これ以前に、ディオクレティアヌス帝はキリスト教徒を迫害したが、その後、東方正帝ガレリウスは弾圧をやめ寛容令を出した(311年)。これを受ける形で、当時西方正帝だったコンスタンティヌス1世(のちに単独皇帝となる)は、キリスト教を帝国統治に利用しようという意図もあって、「ミラノ勅令」を発布。他のすべての宗教と共にこれを公認した。325年には第1ニカイア公会議を開催している。
「背教者」ユリアヌス帝はこの勅令を利用し、逆にキリスト教への優遇を排した。だがそれらは彼の死後すべて撤回され、その後の皇帝は再びキリスト教徒に特権を与えた。380年にはテオドシウス1世によってキリスト教はローマ帝国の国教とされた。
[編集] よくある誤解
ミラノ勅令は、しばしばキリスト教のみを公認したものだといわれるが、それは誤りである。ミラノ勅令がキリスト教優遇政策の始まりであることは確かだが、この勅令はすべての宗教の完全なる信仰の自由を保障するものであった。没収されたキリスト教会所有の財産の返還が命じられたのは、信教の保障という観点からそれが不当であると判断されたからである。
また、この勅令は「ミラノ勅令」という名称からミラノで発布されたと勘違いされがちである。ミラノはコンスタンティヌス帝とリキニウス帝が会談した場所であり、発布された場所はニコメディアである。高校生向けの一部の参考書には、しはしばミラノにて発布されたという誤った記述も見られる。また大学入試問題においても、「313年にミラノで発布されたキリスト教を公認する勅令を何というか」などの誤った出題が見られる。