ミチェル
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ミチェル | ||
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名前 | ||
本名 | ホセ・ミゲル・ゴンサレス・マルティン・デル・カンポ | |
愛称 | ミチェル | |
カタカナ | ミチェル | |
ラテン文字 | MÍCHEL | |
基本情報 | ||
国籍 | スペイン | |
生年月日 | 1963年3月23日(45歳) | |
出身地 | マドリード
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選手情報 | ||
ポジション | MF | |
利き足 | 右 | |
代表歴 | ||
1985-1992 | スペイン | 66 (21)
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ホセ・ミゲル・ゴンサレス・マルティン・デル・カンポ, "ミチェル"(José Miguel González Martín del Campo, "Míchel", 1963年3月23日 - )は、スペインのマドリード出身の元サッカー選手で、レアル・マドリードの名選手であり、スペイン代表でも活躍した右ウイング。現在はレアル・マドリード・カスティージャの監督とともに、レアル・マドリードのカンテラの総責任者を務めている。通称「ミチェル」。
また、レアル・マドリード・カスティージャでプレーするアドリアン・ゴンサレスは彼の息子である。
目次 |
[編集] 経歴
1976年にレアル・マドリードのカンテラに入団。1981年にBチームのカスティージャFC(今のレアル・マドリード・カスティージャ)に昇格し、19歳になってすぐの1982年4月11日にトップチームでデビュー。しかし以降は出場機会が与えられることはなくカスティージャCFでプレーを続け、ミチェル自身、トップチーム昇格を疑わしく思い始めていた1984年、21歳のときに彼を含めたキンタ・デル・ブイトレのメンバー、エミリオ・ブトラゲーニョ、マヌエル・サンチス、マルティン・バスケス、ミゲル・パルデサとともにセグンダ・ディビシオンA優勝を果たした。
メンバー達と共にトップチームに昇格したミチェルは、非常に精度の高いクロスとシュート力、そのマドリディスモでファンを魅了し、レアル・マドリードのリーガ・エスパニョーラ5連覇やUEFAカップ2連覇に大きく貢献した。残念ながらチャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)を獲得することだけは叶わなかったが、数々のタイトルを獲得した黄金期の中心メンバーとしてレアル・マドリードの歴史に名を残すこととなった。もしチャンピオンズカップ優勝や、スペイン代表のメジャー大会での好成績があったなば、後の評価ももう少し上がったと思われる選手である。
スペイン代表にデビューしたのは1985年。その後1986年のメキシコW杯、1988年の欧州選手権に出場し、1990年のイタリアW杯の韓国戦ではハットトリックを達成するなど活躍を見せた。
このように輝かしいキャリアを持つ選手ではあるが、1988年にはピッチ上で頭にボトルが直撃したり、その少し後にはレアル・バリャドリード戦のカルロス・バルデラマに対する行為に対しUEFAから制裁を受けるなどの事件もあった。
1994-1995シーズン、ミチェルは怪我に苦しみ僅か13試合にしか出場することが出来なかった。そして翌1995-1996シーズンは彼のレアル・マドリードでの最後のシーズンとなった。ホルヘ・バルダーノ監督の下、出場機会は減ったがひたむきなプレーが光った。シーズン終了後、盟友ブトラゲーニョのいるメキシコのクラブ、アトレティコ・セラーヤに移籍。1997年に現役を引退した。
引退後はスペイン国営放送で解説者を務めた後、2005年にセグンダ・ディビシオンBのラーヨ・バジェカーノの監督に就任した。2006-2007シーズンからはシウダード・レアル・マドリード(レアル・マドリードの練習施設)のディレクターに就任し、カンテラの総責任者となるとともに、レアル・マドリード・カスティージャの監督も務めている。
[編集] タイトル
- 1985-1986 リーガ・エスパニョーラ 優勝
- 1985-1986 UEFAカップ 優勝
- 1985-1986 リーグカップ(es:Copa de la Liga) 優勝
- 1986-1987 リーガ・エスパニョーラ 優勝
- 1986-1987 UEFAカップ 優勝
- 1987-1988 リーガ・エスパニョーラ 優勝
- 1988 スペイン・スーペルコパ 優勝
- 1988-1989 リーガ・エスパニョーラ 優勝
- 1988-1989 コパ・デル・レイ 優勝
- 1989 スペイン・スーペルコパ 優勝
- 1989-1990 リーガ・エスパニョーラ 優勝
- 1990 スペイン・スーペルコパ 優勝
- 1992-1993 コパ・デル・レイ 優勝
- 1993 スペイン・スーペルコパ 優勝
[編集] 所属クラブ
- 1976 - 1981 レアル・マドリード ユース
- 1981 - 1984 カスティージャCF
- 1981, 1984 - 1996 レアル・マドリード
- 404試合 / 97得点 (国内リーグ) 背番号「8」
- 1996 - 1997 アトレティコ・セラーヤ(メキシコ)
[編集] 代表
66試合 / 21得点
- 1986年FIFAワールドカップ・メキシコ大会 - ベスト8
- 5試合 / 0得点 背番号「21」
- 1988年欧州選手権・西ドイツ大会
- 3試合 / 1得点 背番号「20」
- 1990年FIFAワールドカップ・イタリア大会 - ベスト16
[編集] 指導クラブ
- 2005 - 2006 ラーヨ・バジェカーノ
- 2006 - レアル・マドリード・カスティージャ
スペイン代表 - 1990 FIFAワールドカップ | |
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1 スビサレッタ | 2 チェンド | 3 ヒメネス | 4 アンドリヌア | 5 オンティジュエロ | 6 マルティン・バスケス | 7 パルデサ | 8 フローレス | 9 ブトラゲーニョ | 10 フェルナンド | 11 ヴィラローヤ | 12 アルコルタ | 13 アブラネド | 14 ゴリス | 15 ロベルト | 16 バケーロ | 17 イエロ | 18 パス | 19 サリナス | 20 マノロ | 21 ミチェル | 22 オチョトレーナ | 監督 スアレス |