ミカエル・ラウドルップ
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ミカエル・ラウドルップ | ||
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名前 | ||
愛称 | ミカ | |
ラテン文字 | Michael LAUDRUP | |
基本情報 | ||
国籍 | デンマーク | |
生年月日 | 1964年6月15日(44歳) | |
出身地 | コペンハーゲン | |
身長 | 183cm | |
体重 | 78kg | |
選手情報 | ||
ポジション | MF/FW | |
利き足 | 右 | |
代表歴 | ||
1982-1998 | デンマーク | 104 (37)
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ミカエル・ラウドルップ(Michael Laudrup、1964年6月15日-)は、デンマーク・コペンハーゲン出身の元同国代表の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF(攻撃的MF)またはFW(ウインガー、セカンドトップ)。実弟のブライアン・ラウドルップと共に「ラウドルップ兄弟」として有名な存在であった。
目次 |
[編集] 略歴
地元デンマークのブロンビーでキャリアをスタートし、1982年6月15日のノルウェー戦でデンマーク代表デビューを飾る。若い頃はドリブル突破と俊足が特徴のFWとしてプレーしていた。
1983年にセリエAのユヴェントスに移籍するが選手層の厚さの為に直ぐにラツィオへレンタル移籍に出された。活躍が認められると1985年にユヴェントスに復帰しプラティニらとともにトヨタカップ出場のため来日、その試合で貴重な同点ゴールを上げるなど優勝に貢献している。
デンマーク代表では1984年のユーロ84と1986年のメキシコW杯に出場。「ダニッシュ・ダイナマイト」と賞賛された攻撃的なチームの中でエルケーア・ラルセンと2トップを組み大会を席巻した。 しかし、このチームを率いたゼップ・ピオンテックが退任すると、その後の監督達とは対立し、代表辞退と復帰を繰り返す様になった。
1989年、リーガ・エスパニョーラの強豪バルセロナへ移籍してからヨハン・クライフ率いるチームで真価を発揮し、ロマーリオ、フリスト・ストイチコフ、ジョゼップ・グアルディオラ、ロナルド・クーマンといったスタープレーヤーととも4連覇を達成し黄金期を築いた。攻撃的MFとして多彩なパスワークとドリブルから絶妙のアシストを繰り出し中心選手として活躍した。
しかし、1994年に宿敵・レアル・マドリードへ移籍し周囲を驚愕させた[1] 。円熟味を増したパスワークで中盤の指揮官として活躍し、入団した最初の年もリーグ優勝を果たし、結果として5年連続でリーガ・エスパニョーラ優勝を経験した。
その後、1996年に当時ジャパンフットボールリーグ(実質2部に相当)であったヴィッセル神戸に入団してJリーグ昇格に貢献。日本を離れた後はアヤックスに在籍した。
1998年にデンマーク代表としてフランスW杯出場。デンマークは大会前の評判は芳しく無かったが決勝トーナメント1回戦でアトランタオリンピック優勝のナイジェリア代表を4-1の大差で下し準々決勝進出。準ヶ決勝では優勝候補のブラジル代表を相手に好勝負を展開し[2]2-3で敗れ去ったが、観るものに鮮やかな記憶を残した。そして、この大会を最後に現役を引退した。
現役引退後は指導者の道へと進み、2002年から古巣のブロンビーIFの監督を5年間務めた後、2007-08シーズンはスペインのヘタフェCFの監督を務めた。
前夫人との間に誕生した長男マッズ・トゥーネ・ラウドルップは2007年よりFCコペンハーゲンに所属。また、ノルウェー出身のシウ・レッツ夫人との間に誕生した次男アンドレアス・レッツ・ラウドルップはレアル・マドリードの下部組織に所属している。いずれもデンマーク・ユース代表に選出されている。
[編集] 所属クラブ
- 1971年-1978年 ブロンビーIF
- 1978年-1981年 コペンハーゲンBK
- 1982年-1983年 ブロンビーIF
- 1983年-1985年 SSラツィオ
- 1985年-1989年 ユヴェントス
- 1989年-1994年 FCバルセロナ
- 1994年-1996年 レアル・マドリード
- 1996年7月-1997年7月 ヴィッセル神戸
- 1997年-1998年 アヤックス・アムステルダム
[編集] 指導歴
- 2000年-2002年 デンマーク代表 アシスタントコーチ
- 2002年-2006年 ブロンビーIF
- 2007年-2008年 ヘタフェCF
[編集] 脚注
- ^ レアル・マドリッドへの移籍の理由としては、度重なるクライフからの批判があった為だとされる。また「どんなに成功しようとも、同じ所に長期間居すぎるとやがては幻滅を感じてくるものです。」とも語っている。この事でバルセロナ・サポーターからは強烈な批判を浴びた。この後レアル・マドリードとの間で有力選手の移籍が起こる度に同じ様な騒動が起こっている。
- ^ この大会では、グループリーグを1勝1分1敗決勝トーナメント進出が難しいと思われたが何とか決勝トーナメントに進む事が出来た。1回戦の相手がアトランタオリンピック金メダルの優勝候補ナイジェリア勝つのは、難しいと思われたが4-1の圧勝でデンマークがベスト8進出を決めた。準ヶ決勝の相手は、これまた優勝候補のブラジル 本人も試合前の会見で『最後の相手がブラジルならこんなに素晴らしい事はない』とコメントしており、現役最後の試合を覚悟していた模様 しかし試合開始3分でデンマークが先制 一度逆転されるが後半相手DFのミスから弟のブライアン・ラウドルップが起死回生の同点ゴール しかしその直後 ブラジルのリバウドのロングシュートが決まってしまい結局このシュートが決勝点となりブラジルが準決勝にコマを進める形となった。しかし全盛期を思わせる足首の柔らかいループでのスルーパスや難易度の高いアウトサイドを巧みに使ったループパスなどで度々ブラジルゴールを脅かした。
[編集] 個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
デンマーク | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1981 | コペンハーゲン | 14 | 3 | ||||||||
1982 | ブロンビー | 24 | 15 | ||||||||
1983 | ブロンビー | 14 | 8 | ||||||||
イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1983-84 | ラツィオ | セリエA | 30 | 8 | |||||||
1984-85 | ラツィオ | セリエA | 30 | 1 | |||||||
1985-86 | ユヴェントス | セリエA | 29 | 7 | |||||||
1986-87 | ユヴェントス | セリエA | 20 | 3 | |||||||
1987-88 | ユヴェントス | セリエA | 27 | 0 | |||||||
1988-89 | ユヴェントス | セリエA | 26 | 6 | |||||||
スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1989-90 | バルセロナ | プリメーラ | 32 | 3 | |||||||
1990-91 | バルセロナ | プリメーラ | 30 | 9 | |||||||
1991-92 | バルセロナ | プリメーラ | 36 | 13 | |||||||
1992-93 | バルセロナ | プリメーラ | 37 | 10 | |||||||
1993-94 | バルセロナ | プリメーラ | 31 | 5 | |||||||
1994-95 | R・マドリード | プリメーラ | 33 | 4 | |||||||
1995-96 | R・マドリード | プリメーラ | 29 | 8 | |||||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1996 | 神戸 | 5 | 旧JFL | 12 | 5 | - | 3 | 2 | 15 | 7 | |
1997 | 神戸 | 5 | J | 3 | 0 | 6 | 1 | - | 9 | 1 | |
オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1997-98 | アヤックス | エールディヴィジ | 21 | 11 | |||||||
通算 | デンマーク | 52 | 26 | ||||||||
イタリア | セリエA | 162 | 25 | ||||||||
スペイン | プリメーラ | 228 | 52 | ||||||||
日本 | J | 3 | 0 | 6 | 1 | - | 9 | 1 | |||
日本 | 旧JFL | 12 | 5 | - | 3 | 2 | 15 | 7 | |||
オランダ | エールディヴィジ | 21 | 11 | ||||||||
総通算 | 478 | 119 |
デンマーク代表 - 1998 FIFAワールドカップ | |
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1 シュマイケル | 2 シュヨンベルグ | 3 リーパー | 4 ホウ | 5 ハインツェ | 6 ヘルベグ | 7 ニエルセン | 8 フランドセン | 9 モルナー | 10 M・ラウドルップ | 11 B・ラウドルップ | 12 コルディング | 13 ラウルセン | 14 ウィオルスト | 15 トフティング | 16 クロー | 17 ゴルドバーク | 18 モッラー | 19 サンド | 20 ヘンリクセン | 21 ヨルゲンセン | 22 クヤエル | 監督 ヨハンソン |