ゼップ・ピオンテック
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ゼップ・ピオンテック(Josef(Sepp) Emanuel Hubertus Piontek,1940年3月15日-)はドイツ出身のサッカー指導者、元サッカー選手。
選手時代はDFとしてヴェルダー・ブレーメンなどでプレー、西ドイツ代表として6試合に出場している。現役引退後は指導者の道を歩む。ケルン体育大学で指導法を学ぶと、ドイツ国内のクラブの監督を務めた後、1979年にデンマーク代表の監督に就任した。
若い頃から選手が海外へ流出するお国事情から連帯意識の薄かった代表チームに、その代表が強くなる意義を説くなど結束を図り、また1974年のオランダ代表を彷彿とさせる様なプレッシングと3-5-2システムを導入し、欧州選手権フランス大会予選ではイングランド代表と同じ組に入る厳しい組み合わせだったが、1983年に敵地ロンドンで1-0で破り(アラン・シモンセンのゴール)本大会に進出した。
本大会ではその勢いをそのまま持ち込みベスト4に進出、翌年のワールドカップメキシコ大会欧州予選もこれを突破、同国を初のワールドカップ出場に導く。 そして1986年の本大会でも古豪ウルグアイ代表を6-1で粉砕するなど旋風を巻き起こしベスト16に進出した。
この時のモアテン・オルセン、セーレン・レアビー、プレーベン・エルケーア・ラルセン、ミカエル・ラウドルップらを擁する攻撃的なチームはダニッシュ・ダイナマイトと賞賛され今も語り継がれている。
その後、トルコ代表監督をなどを務めたのちに監督業から退き、現在は講演活動を行っているという。
[編集] 選手歴
- ゲルマニアリーア(ドイツ)1949年-60年
- ヴェルダー・ブレーメン(ドイツ)1960年-72年
[編集] 監督歴
- ヴェルダー・ブレーメン(ドイツ)1975年
- フォルトゥナ・デュッセルドルフ(ドイツ)1976年
- FCザンクト・パウリ(ドイツ) 1978年-1979年
- ハイチ代表
- デンマーク代表 1979年-90年
- トルコ代表 1990年-1993年
- AaB(デンマーク)
- シルケボリIF(デンマーク)
- グリーンランド代表