マルドゥク
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マルドゥク(Marduk)は、古代バビロニアで信仰された神。バビロン市の都市神。
シュメール初期王朝時代より、既にマルドゥク神信仰が行われていたといわれていわれる。しかし、マルドゥク神がメソポタミアで重要な神となるのはバビロン市が古代メソポタミアの中心都市となる古バビロニア時代(紀元前18世紀頃)以降のことである。アッシリア人にも好んで信仰されており、後にはベル(主人の意)と呼ばれるようになった。
鍬をシンボルにしていることから元来は農耕神であったといわれている。しかしバビロン市の隆盛とともに各地の神の性格を取り込んで遂にはバビロニアの最高神にまで高められた。バビロンの祭司たちが神話を改変し、マルドゥクをティアマトの殺害者で世界と人間の創造者であるとしたと考えられている。バビロンの王は戴冠式の代わりにマルドゥクの像の手をつかむことで王となった。アッシリアがバビロニアを支配していたときもアッシリアの王は新年の祭に毎年バビロンに来てマルドゥクの手をつかんで王位を要求する権利を正当なものとした。 エア神の息子とされ、ザルバニトゥ女神を妻とした。息子はネボ。全ての神々の王であり、「50の名を持つ神」として称えられ、人間に判決を下し、魔術と知恵を司り水神でもあった。後には「他の神の大半はマルドゥク神が別の姿で現れているに過ぎない」とまで主張された。
こうしたことは、マルドゥク神が多くの神々を取り込んでいることの証拠でもあり、マルドゥク神信仰には一神教的要素があるといわれる。ただし、後代の一神教と異なり決定的に他の神を排除する要素はもっていなかった。