マツダ・クロノス
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マツダ・クロノスとは、かつてマツダが製造販売していた自動車。マツダのバブル期による好景気で潤っていた国内マーケットに向けて展開した販売店多チャンネル化の核となった。
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[編集] 概要
1991年、カペラの後継として新しいマツダのミドルクラスセダンとしてデビュー。 3ナンバー税制改変に乗じて登場した三菱・ディアマンテの人気から、競合車種たちがみな大きくなる傾向にあった中、新たなGEプラットフォームが採用され、クロノスも3ナンバー/ワイドボディとなった。このプラットフォームをベースに生まれた数々の姉妹車たちも、ユーノス・500を除いて小型車枠を超えることになった。
輸出名はマツダ626で、先代のカペラもこれと同じであったが、小型車から普通車に変わるにあたりカペラの名前を引き継ぐことはユーザーに対して不誠実という理由[1]から、他社が同様のケースでも車名の変更を行わなかったのに対しマツダは長年親しまれたカペラの名前をクロノスに変更した。
その際、マツダ店・アンフィニ店・ユーノス店・オートザム店・オートラマ店に姉妹車を割り振り、統一した名前をつけなかったことでブランドの混乱を招き、姉妹車全車合わせても月販1万台に到達しないという体たらくであった。この販売戦略の失敗は、2000年初頭まで続いたマツダの経営不振を招く直接的原因となった。
クロノスの登場から3年後の1994年、このあまりの窮状を脱するべく、カペラの名前を復活させる運びとなった。
[編集] スタイル
ボディタイプは3ボックスの4ドアセダンのみ。同じフロントのマスクを持ったアンフィニ店専売のMS-6はその5ドアモデルにあたる。当時のマツダのスタイルの特徴で、滑らかな曲線で統一されたスタイルはボリューム感があり、それまでの日本車のスタイルの典型だったトヨタ・クラウンや日産・セドリック/グロリアのような細長いスタイルと比べて新鮮味はあったが、とって付けたようなグリーンハウスなど、デザイン的に熟成・洗練されていなかった。全幅の拡大分は主に、規制が強化されつつあった側面衝突安全基準への対応に費やされた。特にアメリカの衝突安全基準=MVSSに対応すべくサイドインパクト・ビームをドア内部に装備していた。また、ノーズを長く取り、キャビンはクーペ風に絞りこむという当時のデザイントレンドを捨て切れなかったこともあって、3ナンバー化は殆ど室内空間の拡大に寄与していない。
[編集] メカニズム
[編集] エンジン
エンジンはこのクルマ最大の売りである、スズキと共同開発した新世代のK型 V6ツインカムで、当初排気量は2.0Lと1.8Lが一本ずつ、後に上級グレード用の2.5Lが一本、4WD用の直4ツインカムが一本、そして、前身のカペラから引き継がれた、”PWS”(プレッシャーウェーブ・スーパーチャージャー)と呼ばれるマツダ独自のスーパーチャージャーを搭載した2.0Lディーゼルが一本、計5本が用意された。
K型エンジンのシリンダーブロックの鋳造はリョービ社が担当し、同社の特許でもあるリョービ崩壊性中子(なかご)技術を用いた一体中空成型により、軽量かつ高剛性な仕上がりとなっている。
しかし、このエンジンは、結果的に高回転向きの味付けとなり、ゴー・ストップの多い日本の道路事情においては、低・中回転域でのトルクの物足りなさが不評を得た。
さらに、新開発のマツダ自社製ATの熟成不足から、初期型においては、強い変速ショックが発生するなど、AT車の評価も高いものではなかった。
[編集] 販売成績・評価
マツダは5チャンネルの販売店整備が十分でなかったことも災いし、クロノスの販売成績は、姉妹車全てを合計しても前身モデルのカペラよりも少ないというものとなった。マツダは窮余の策として、クロノスのプラットフォームをベースに、5ナンバー・ボディをかぶせ、カペラの名を冠した新型セダンを開発し、クロノス登場の3年後に投入することになる。
マツダ・5チャンネル計画は、わずか4年足らずで潰えることになる。また、リストラやコストダウンも影響して、世界的に賞賛されたマツダのデザイン力は以後、急激に低下して行くこととなる。
なお、日本でモデル消滅後も海外ではマツダ626として販売が続けられ、1997年に欧州では日本同様GF型カペラに切り替えられた。一方、北米ではホイールベースを延長した、より大きいモデルが新型626として投入されている。
[編集] CM・キャッチコピー
- 「V6 WIDE&COMFORT」(1991年~1992年)
- 「V6ワイドボディ」(1992年~1993年)
発表当初、フィル・コリンズの「Another Day in Paradise (英語版)」が使われていた。
1992年ごろは吉田拓郎の「たえなる時に」を使用していた。
[編集] 脚注
- ^ これは表向きの理由で、実際は増収を目論んだ広告代理店に担がれ、イメージアップのためには「5チャンネル化」を行い、これまでネガティブなイメージが少なからず付きまとっていた旧来の車名を切り捨てるべきとの策に乗せられた(マツダ#販売チャンネルを参照)。