マット・スケルトン
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基本情報 | |
---|---|
本名 | マシュー・スケルトン |
通称 | 大英帝国の不沈艦 ベッドフォード・バンガー |
階級 | ヘビー級 |
国籍 | イギリス |
誕生日 | 1967年1月27日(41歳) |
出身地 | イギリス、イングランド ベッドフォードシャー、ベッドフォード |
命日 | |
死地 | |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 23 |
勝ち | 21 |
KO勝ち | 18 |
敗け | 2 |
引き分け | |
無効試合 |
マット・スケルトン(Matt Skelton、1967年1月27日 - )は、イギリスイングランド出身の元キックボクサー、現プロボクサー。本名はマシュー・スケルトン(Matthew Skelton)。身長191cm、体重116kg。
目次 |
[編集] 人物
驚異のタフネスとパワーが特徴的。ボクシング元世界ランカー。最高位はWBA世界ヘビー級15位、WBC同24位、WBO同5位。
2001年のK-1メルボルン大会では決勝まで勝ち進み、アーネスト・ホーストをあと一歩のところまで追いつめた。そのユーモラスな人柄から試合後のインタビューにおいて記者団の人気が高かった。
2008年1月19日、ドイツ連邦共和国のデュッセルドルフにてWBA世界ヘビー級王者:ルスラン・チャガエフ(ウズベキスタン)に挑戦したが、3-0の判定で敗れ、世界王座獲得はならなかった。40歳と11ヶ月での世界初挑戦は最年長記録である。
[編集] 来歴
[編集] キックボクシング時代
1998年にK-1に登場。それ以前は英国のアマチュアキックボクシング中心で活動し、20戦20勝無敗のレコード。
- 1998年4月9日、K-1 KINGS '98で初来日。ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤと対戦し、3ラウンドTKO勝ち。
- 同年5月24日、K-1 BRAVES '98でレイ・セフォーと対戦。セフォーの右脛の負傷により2ラウンド終了時にTKO勝利。蹴り足を掴んで殴りかかる、軸足を刈り払うといったムエタイ戦法でセフォーを消耗させ、2ラウンドに1度ダウンを奪っている。
- 同年7月18日、K-1 DREAM '98で佐竹雅昭と対戦。首相撲からの膝とパンチのラッシュで、1ラウンドに3度のダウンを奪ってKO勝ち。
- 同年9月27日、K-1 GRAND PRIX 開幕戦に出場しサム・グレコと対戦。試合開始早々、グレコを場外に叩き落す衝撃シーンを見せた。中盤以降はコンビネーションを中心とした攻めで徐々にペースを握られ、5ラウンドにはローキックでダウンを奪われ判定負け。
- 1999年4月25日、K-1 REVENGE '99で前年GP王者のピーター・アーツと対戦。2ラウンドに猛攻を見せたが、中盤にスタミナ切れし失速。4ラウンドには防戦一方となり、ラウンド終了後にタオル投入によるTKO負け。
- 同年6月20日、K-1 BRAVES '99で行われたGP予選トーナメントに出場。準決勝でロイド・ヴァン・ダムに延長戦の末判定で敗れ、GP出場を逃す。
- 同年10月3日、出場メンバーに欠員が出たため、急遽、代打としてK-1 GRAND PRIX '99 開幕戦に出場する。ジェロム・レ・バンナと対戦し、パンチで1ラウンドKO負け。
- 2000年4月16日、K-1イギリス予選に出場し、3戦3勝(1KO)でトーナメント優勝。横浜予選トーナメントへの出場権を獲得する。
- 同年8月20日、K-1 WORLD GP 2000 in YOKOHAMAに出場。アレクセイ・イグナショフに判定勝ちし1回戦を突破したが、準決勝でフランシスコ・フィリォに右アッパーで右目眼窩を負傷。その後連打を受けてKO負け。
- 2001年6月16日、K-1メルボルン大会に出場。トーナメント決勝で2000年GP王者のアーネスト・ホーストと対戦し、判定負け。しかし敗者復活トーナメントの出場権を得る。
- 2001年10月8日、敗者復活トーナメントでロイド・ヴァン・ダムと再戦。再び延長戦の末判定負け。GP決勝トーナメントの出場権を逃す。
- 2002年8月10日、極真会館(松井章圭派)主催の『一撃』に出場し、ボクシング世界挑戦経験のあるジョージ・アリアスとK-1ルールで対戦。3-0の判定勝ち。
[編集] MMA時代
[編集] ボクシング時代
K-1引退後、35歳にして国際式ボクシングに転向。
- 2003年9月、マイケル・ホールデンに6回0分32秒TKO勝ちで英国ボクシング管理委員会(BBBofC)イングランドヘビー級王座につく。防衛1回。タイトルは英国タイトル挑戦に伴い2004年4月に返上。
- 2004年4月、マイケル・スプロットを12回KOで下しBBBC英国ヘビー級王座(防衛3回)、英連邦ヘビー級王座(防衛2回)を獲得。
- 2005年2月、ファビオ・エドゥアルド・モリに6回2分14秒TKO勝ちで世界ボクシング連合(WBU)ヘビー級王座獲得。直後に英連邦王座を返上。
- 2006年2月、ダニー・ウィリアムズの持つ英連邦王座に挑戦、12回判定1-2で敗れ、獲得に失敗。国際式で初の敗北。英国王座を剥奪される。
- 同年7月、ウィリアムズと再戦し英連邦王座奪還。
- 2007年7月、スプロットと再戦。12回判定2-0で勝利し、英連邦王座を防衛。
- 2008年1月19日、ドイツでルスラン・チャガエフの持つWBA世界ヘビー級タイトルへ挑戦したが0-3 (111-117、111-117、110-117) の判定で敗れた(挑戦時のスケルトンのWBA世界ランキングは15位)。
[編集] 戦績
[編集] プロボクシング
プロボクシング 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
23 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
21 勝 | 18 | 3 | 0 | 0 | 0 | |
2 敗 | 0 | 2 | 0 |
戦目 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2002年9月22日 | ☆ | 2R | KO | ギフォード・シリングフォード | イギリス | プロデビュー戦 |
2 | 2002年10月27日 | ☆ | 1R | KO | アルヴィン・ミラー | イギリス | |
3 | 2002年12月8日 | ☆ | 1R | TKO | ニール・カークウッド | イギリス | |
4 | 2003年2月18日 | ☆ | 4R | TKO | ジャックロード・ジェーコブス | ナイジェリア | |
5 | 2003年4月8日 | ☆ | 4R | TKO | アレクセイ・バラキン | ロシア | |
6 | 2003年5月15日 | ☆ | 1R | TKO | デーブ・クラーク | イギリス | |
7 | 2003年7月17日 | ☆ | 4R | TKO | アントワン・プラティス | フランス | |
8 | 2003年9月18日 | ☆ | 6R 0:32 | TKO | マイケル・ホールデン | イギリス | BBBofCイングランドヘビー級王座決定戦 |
9 | 2003年10月11日 | ☆ | 1R | TKO | コスティ・マリン | ルーマニア | |
10 | 2003年10月25日 | ☆ | 3R | TKO | ラトコ・ドラシュコビッチ | モンテネグロ | |
11 | 2003年11月15日 | ☆ | 1R | KO | パットリチー・コステル | ロシア | |
12 | 2004年2月7日 | ☆ | 10R | 判定 | ジュリアス・フランシス | イギリス | イングランド防衛1 |
13 | 2004年4月24日 | ☆ | 12R | KO | マイケル・スプロット | イギリス | BBBofC英国・英連邦ヘビー級タイトルマッチ |
14 | 2004年6月5日 | ☆ | 4R | TKO | ボブ・ミロビッチ | オーストラリア | 英連邦防衛1 |
15 | 2004年11月19日 | ☆ | 11R 2:45 | TKO | キース・ロング | イギリス | 英国防衛1・英連邦防衛2 |
16 | 2005年2月25日 | ☆ | 6R 2:14 | TKO | ファビオ・エドゥアルド・モリ | アルジェリア | WBU世界ヘビー級王座決定戦 |
17 | 2005年7月16日 | ☆ | 7R 3:00 | TKO | マーク・クリンス | イギリス | 英国防衛2 |
18 | 2005年12月10日 | ☆ | 1R 1:19 | TKO | ジョン・マクダーモット | イギリス | 英国防衛3 |
19 | 2006年2月25日 | ★ | 12R | 判定1-2 | ダニー・ウィリアムズ | イギリス | 英連邦王座陥落 |
20 | 2006年4月1日 | ☆ | 4R 0:38 | KO | スレン・カラチヤン | アルメニア | |
21 | 2006年7月8日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | ダニー・ウィリアムズ | イギリス | 英連邦ヘビー級タイトルマッチ |
22 | 2007年7月14日 | ☆ | 12R | 判定2-0 | マイケル・スプロット | イギリス | 英連邦防衛1 |
23 | 2008年1月19日 | ★ | 12R | 判定0-3 | ルスラン・チャガエフ | ウズベキスタン | WBA世界ヘビー級タイトルマッチ |
24 | 2008年7月4日 | シナン・サミル・サム | トルコ | EBU欧州ヘビー級王座決定戦 |
[編集] プロキックボクシング
キックボクシング 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
18 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
11 勝 | 5 | 6 | 0 | 0 | 0 | |
7 敗 | 3 | 4 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | ジョージ・アリアス | 3R終了 判定3-0 | 一撃 8.10 ICHIGEKI【K-1ルール】 | 2002年8月10日 |
× | ロイド・ヴァン・ダム | 延長R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2001 in FUKUOKA 【敗者復活トーナメント 準決勝】 |
2001年10月8日 |
× | アーネスト・ホースト | 3R終了 判定0-2 | K-1 WORLD GP 2001 in MELBOURNE 【決勝】 |
2001年6月16日 |
○ | マイケル・マクドナルド | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2001 in MELBOURNE 【準決勝】 |
2001年6月16日 |
○ | パリス・バシリコス | 2R 2:05 KO | K-1 WORLD GP 2001 in MELBOURNE 【1回戦】 |
2001年6月16日 |
× | フランシスコ・フィリォ | 2R 2:36 KO(右アッパー、眼窩負傷) | K-1 WORLD GP 2000 in YOKOHAMA 【準決勝】 |
2000年8月20日 |
○ | アレクセイ・イグナショフ | 3分3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2000 in YOKOHAMA 【1回戦】 |
2000年8月20日 |
○ | リッキー・ニッケルソン | 3R 1:10 KO(パンチ連打) | K-1 イギリス地区予選 【決勝】 |
2000年4月16日 |
○ | マーク・ラッセル | 判定3-0 | K-1 イギリス地区予選 【準決勝】 |
2000年4月16日 |
○ | ゲーリー・ターナー | 判定3-0 | K-1 イギリス地区予選 【1回戦】 |
2000年4月16日 |
× | ジェロム・レ・バンナ | 1R 1:59 KO(右フック) | K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦 【1回戦】 |
1999年10月3日 |
× | ロイド・ヴァン・ダム | 再延長R終了 判定0-3 | K-1 BRAVES '99 【予選トーナメント 準決勝】 |
1999年6月20日 |
○ | ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ | 3分3R終了 判定3-0 | K-1 BRAVES '99 【予選トーナメント 1回戦】 |
1999年6月20日 |
× | ピーター・アーツ | 4R終了時 TKO(タオル投入) | K-1 REVENGE '99 | 1999年4月25日 |
× | サム・グレコ | 3分5R終了 判定0-3 | K-1 GRAND PRIX '98 開幕戦 【1回戦】 |
1998年9月27日 |
○ | 佐竹雅昭 | 1R 2:06 TKO (左ストレート、3ノックダウン) |
K-1 DREAM '98 【空手vsキック 7対7全面対抗戦 中堅戦】 |
1998年7月18日 |
○ | レイ・セフォー | 2R終了時 TKO(右脛負傷) | K-1 BRAVES '98 | 1998年5月24日 |
○ | ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ | 3R 0:47 TKO(パンチ連打) | K-1 KINGS '98 | 1998年4月9日 |
[編集] 総合格闘技
総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
1 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
0 勝 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1 敗 | 0 | 1 | 0 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | トム・エリクソン | 1R 1:11 ギロチンチョーク | PRIDE.17 | 2001年11月3日 |
[編集] 獲得タイトル
- プロキックボクシング
- K-1 WORLD GP BATTLE OF BRITAIN 優勝(2000年4月16日)
- K-1 WORLD GP 2001 in MELBOURNE 準優勝
- IAMTF世界スーパーヘビー級王座
- WKO世界ムエタイスーパーヘビー級王座
- 第2代IKFプロムエタイ世界スーパーヘビー級王座(1度防衛)
- IKO世界キックボクシングヘビー級王座
- プロボクシング
[編集] エピソード
[編集] キックボクシング時代
- ホテルのワインバーでバーテンダーをしていた。K-1登場後もしばらくの間はこの仕事を続けていた。当時の格闘技通信の記事で、「酒場のバウンサー(用心棒)と言った方がピッタリな風貌と戦い方なのに、実はバーテンダー」と、見た目とのギャップを面白がられていた。
- 初来日ではトレーナーもセコンドもつけず一人きりの来日だった。マイケル・マクドナルドに練習相手を務めてもらうなど色々と世話をしてもらい、試合の時は正道会館の若手をセコンドとして借りていた。2回目の来日以降もトレーナー1名といった寂しい陣容のケースが多く、試合の都度、正道会館の若手にヘルプを頼んでいた。
- 2000年半ばにバーテンダーの仕事を辞め、格闘技一本に絞る。一部のマスコミでは「格闘技に専念すると決意したため」と報道されていたが、実際は勤め先のワインバーが閉店してしまったからで、「家族を養うため」という生々しい事情に追われていた。
- 2001年のK-1メルボルン大会では退場ゲートが一本しか用意されていなかったため、マイケル・マクドナルドに判定勝ちして控え室に引き上げる際、先に退場したマクドナルドに追いついてしまい、勝者と敗者が一緒にインタビューを受けると言う変わったシーンが演出された。上述の通り、スケルトンはかつてマクドナルドに世話になったことがあったので、「彼とは戦いにくかったです。でもこれは試合ですから・・・」と複雑そうに語った。
[編集] MMA時代
- スケルトンのMMAルールでの試合歴は2001年のトム・エリクソン戦のみだが、K-1に登場する以前にUWFインターナショナルがオファーを出しかけた事があった。「イギリスにとても強いキックボクサーがいる」という評判を聞きつけてのことだが、結局知名度の問題から見送られた。
[編集] ボクシング時代
- ボクシングデビューの1ヶ月前まで日本の『一撃』でキックの試合をしており、その際、「またK-1に出たい。呼んでくれれば一撃にも出たい」と訴えた。ボクシングに転向してしばらくの間も、インタビューで「機会があればまたタイ式ボクシングのサーキットで世界を回りたい」と語っており、稼ぎ口であれば競技は問わない姿勢だった。ボクシングで芽が出て英国内のチャンピオンになり、収入が増してくると、他の競技に関する話題を口にする機会は少なくなっていった。
- ボクシングに転向した当初は、売り込みのためキックボクシング時代の功績を語る事も多かった。「東京ドームで6万人の観客を前に試合をした」と語ったこともあるが、正確にはスケルトンが東京ドームで試合をしたのはPRIDE.17の時である。
- インターネットの普及により、対戦相手はスケルトンが日本で活動していた頃の試合を簡単に見ることができるため、しばしば試合前の舌戦で使われる。ジュリアス・フランシスには「スケルトンはK-1の試合に慣れていてスタミナがない」と分析され(フランシスは実際にスケルトンのボクシングの試合も見た上で確認した)、ダニー・ウィリアムズとの最初の試合の時は「フランシスコ・フィリォみたいにアッパーでKOしてやる」と挑発された。
- 様々な理由でビッグチャンスを逃すことが多い。シドニーオリンピック金メダリストのオードリー・ハリソンとの試合はスケルトンの怪我で1週間前に中止となり、そのハリソンをKOしたマイケル・スプロットとの再戦は、今度はスプロットの怪我により1週間前に延期となった。英国No.1対決となるはずだったダニー・ウィリアムズとの初戦に至っては、ウィリアムズの急病により当日朝に対戦相手が変更になった。元世界王者のイベンダー・ホリフィールド、現役世界王者のオレグ・マスカエフからのオファーは、それぞれ「歳をとったホリフィールドの姿を見たくない」、「興行収益が望めない」という理由でプロモーターが断ってしまった。
- イギリスではリングの中と外とで評価が正逆。ラフプレイの多いスタイルは「汚い」を通り越し「醜い」とまで批判されることも多いが、リングを降りると「とても誠実な人間」「勇敢で、ユーモアも理解する」と、その人柄を誉められる。また練習熱心であることでも知られている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
前王者 ジェフ・ルーファス |
第2代IKFプロムエタイ世界スーパーヘビー級王者 2000年11月26日 - 今現在 |
次王者 |
前王者 N/A |
初代BBBofCイングランドヘビー級王者 2003年9月18日 - 2004年 |
空位 次タイトル獲得者 マーク・クレンス |
前王者 マイケル・スプロット |
第48代BBBofC英国ヘビー級王者 2004年4月24日 - 2006年 |
空位 次タイトル獲得者 スコット・ガンマー |
前王者 マイケル・スプロット |
第40代英連邦ヘビー級王者 2004年4月24日 - 2006年2月25日 |
次王者 |
前王者 |
第42代英連邦ヘビー級王者 2006年7月8日 - 今現在 |
次王者 |
空位 前タイトル保持者 ジョージ・カンデラキ |
第6代WBU世界ヘビー級王者 2005年2月25日 - 不明 |
次王者 N/A |