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ポール・ヴァレリー - Wikipedia

ポール・ヴァレリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ポール・ヴァレリー
ポール・ヴァレリー
文学
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アンブロワズ=ポール=トゥサン=ジュール・ヴァレリーAmbroise-Paul-Toussaint-Jules Valéry, 1871年10月30日 - 1945年7月20日)は、フランス作家詩人小説家評論家。多岐に渡る旺盛な著作活動によってフランス第三共和政を代表する知性と称される。

目次

[編集] 生涯と作品

1871年、地中海沿岸の港町セットに生まれる。母ファニーはトリエステ生まれのイタリア人。ちなみに同年の7月には『失われた時を求めて』の作者マルセル・プルーストが生まれている。1884年モンペリエに移住。この頃から文学に関心を持ち始め詩を書き始める。1887年3月、父バルテレミー死去。1888年、モンペリエ大学法学部入学。少年時代はポーボードレールランボーの詩に熱中していたようである。1889年頃、ユイスマンスの『さかしま』を耽読し、そこに引用されていたマラルメの未完の詩『エロディヤード』の断片に魅せられる。

1890年5月、モンペリエ大学創立600年記念祝賀で偶然、パリからやってきた詩人ピエール・ルイスと知り合い親交を深める。ルイスはヴァレリーとの文通のなかでマラルメの『エロディヤード』の詩を30行ほどを書き送り、ヴァレリーを感激させる(1890年9月頃)。12月、ルイスを通してジッドと知り合い、終生その友情関係を結ぶ。またこの頃、マラルメに手紙を書き送り、返事をもらっている。1891年頃、詩作が活発になり、ルイス主宰の同人誌『ラ・コンク』創刊号に『ナルシス語る』を投稿する。同年9月、母と共にパリへ。ユイスマンスとマラルメに会う。

1892年9月から11月、母方の親戚の住むジェノヴァに滞在した。この頃詩人としての才能を疑い、文学的な営みに対して激しい嫌悪を抱くに至ったヴァレリーは次第に文学から遠ざかった。そして片思いの恋慕など、雑多な思考を切り捨て、知性のみを崇拝することを決意した。この決意はジェノバ滞在中の記録的な嵐があった晩と同時期とされる為、「ジェノバの夜」と呼ばれている。そして1894年から『カイエ』と呼ばれる公表を前提としない思索の記録をつづり始め、その量は膨大な量(およそ2万6千ページ)となった。1895年に評論『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法序説』を発表、1896年に小説『ムッシュー・テストと劇場で』を発表の後、『カイエ』の活動を基軸とした20年に及ぶ文学的沈黙期に入る。

1917年4月、ジッドの勧めにより創作していた『若きパルク』をNRF誌上で発表し、一躍名声を勝ち得る。1922年、『魅惑』発表。1925年アナトール・フランスの後任としてアカデミー・フランセーズ会員に選出される。1937年からはコレージュ・ド・フランスの詩学講座を担当する。数多くの執筆依頼や講演をこなし、フランスの代表的知性と謳われ、第三共和政の詩人としてその名を確固たるものしていく。1945年死去。 その死はドゴールの命により戦後フランス第一号の国葬をもって遇せられた。ジッドの尽力によりその年のノーベル賞有力候補だったと言われている。

モンペリエ大学の法学部出身であり、現在のモンペリエ第3大学(文学部)には彼の名前が冠せられている。ちなみに8歳年上の兄ジュールは同大学法学部教授であり、後に総長となっている。ルノワールドガらとの親交もあり、その妻ジャニ・ゴビヤールはベルト・モリゾの姪でもある。

[編集] 日本での評価

日本では、アルベルト・アインシュタイン相対性理論をいちはやく理解した詩人として知られるようになった。小林秀雄訳「テスト氏」が早くから読まれ、戦前に全集も刊行された。

[編集] その他

『科学者たちのポール・ヴァレリー』(ロビンソン・ヴァレリー編、13人の科学者による論集)が、1996年 第32回 日本翻訳出版文化賞受賞。

[編集] 著作

  • 『天使』
  • 『ムッシュー・テスト』:小説
小林秀雄による旧訳『テスト氏』や評論でも有名。
  • 『方法論的制覇』:ドイツ評論。
  • 『若きパルク』La Jeune Parque.1917:韻文詩。自身による改訂が幾多もなされた。
  • 『海辺の墓地』(『魅惑』Charme 所収。1922年)
日本では堀辰雄の『風立ちぬ』の冒頭に引用された「風立ちぬ、いざ生きめやも」"Le vent se lève, il faut tenter de vivre."(風が起きた、生きてみなければならない)の一節も知られる。
  • 『ヴァリエテ』全5巻:評論集。
  • 『精神の危機』:ヨーロッパ文明評論。
  • 『ユウパリノス』:プラトンの対話形式を用いた、建築、音楽評論。
  • 戯曲『我がファウスト』
  • 『ヴァレリー全集』(全12巻、補巻2巻、筑摩書房、1977-1978年)
  • 『ヴァレリー全集 カイエ篇』(全9巻、筑摩書房、1980-1983年)
  • 『ヴァレリー シッド往復書簡』(全2巻 筑摩書房)

[編集] 参考文献

  • 清水徹『ヴァレリーの肖像』筑摩書房 2004

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
前任
アナトール・フランス
アカデミー・フランセーズ
席次38

第14代:1925年-1945年

後任
アンリ・モンドール


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