ベルリン東駅
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ベルリン東駅(de:Berlin Ostbahnhof,en:Berlin East Station)はドイツの首都ベルリン・フリードリッヒスハイン(現在はフリードリッヒスハイン・クロイツベルク区の一部)にある鉄道駅である。 第2次世界大戦後、2006年5月26日のベルリン中央駅開業までベルリン動物園駅とともにベルリン市内における長距離列車の主要ターミナルだった。新ベルリン中央駅開業後は多くの列車の経路が見直され、南北方向の新線経由となるものが増えた。結果、東駅を経由する長距離列車は減少している。
[編集] 沿革
ベルリン東駅はフランクフルト駅(Frankfurter Bahnhof)と称され約100km離れたフランクフルト・アン・デア・オーダーまでの鉄道のターミナル駅として1842年開業した。最初の建物は現在地よりやや北側に位置していた。1845年に鉄道会社の合併により、ニーダーシュレージェン=マルク駅(Niederschlesisch-Märkischer Bahnhof)と改称された。さらに、1852年にプロイセンによって買収されると再び改称され、シュレジア駅(Schlesischer Bahnhof)となり、プロイセン東線のターミナルとなる。1882年、ベルリン都心部を東西に貫く都市線(シュタット線)の建設が開始された際に、現在地に移転した。なお、当駅は地下鉄の接続がなく、計画もされなかった。
当駅は第二次世界大戦中に甚大な被害を被ったが、戦後東ドイツ国鉄(DR)によって再建され、1950年にベルリン東駅に改名した。ドイツの東西分割後はベルリン・リヒテンベルク駅と共に東ベルリンの長距離列車ターミナルとして機能する。
1987年には、東ベルリンの中央駅として改築工事が開始され、堂々とベルリン中央駅と言う名称を使い始めた。駅の再構築計画ではソビエト地区の高官を向かい入れるためのホテルや迎賓施設などを建築するなど、かなりの面積を必要とした。しかし、その後の世界情勢の急激な変化によって社会主義体制が崩壊して工事は頓挫してしまい、結局、1990年のドイツ再統一までに一部の工事が完成したのみだった。なお、ホテル部分は1990年代前半までに解体されている。
東西ベルリンの統合後の1998年に、もとのベルリン東駅に戻された。その後、駅の再整備計画が再開されて2002年に完了した。東ドイツ時代の面影はあまり残っていない。
[編集] 駅周辺
駅の南側にシュプレー川があるほかは、繁華街などはなく比較的閑散とした場所だった。 しかし、駅に隣接する操車場跡地などの再開発が進められている。
なお、ベルリンの壁が駅からのシュプレー川沿いにある。現在はイーストサイドギャラリーとして、東方向に1.3kmの長さで残されている。