ヘンリク・シェリング
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ヘンリク・シェリング(Henryk Szeryng, 1918年9月22日 - 1988年3月8日)はユダヤ系ポーランド人で、メキシコに帰化したヴァイオリニスト・作曲家。 主な使用楽器は1743年製グァルネリ・デル・ジェス「ル・デューク」。
ベルリンに留学してカール・フレッシュにヴァイオリンを師事。1933年にブラームスの協奏曲を演奏してソリストとしてデビュー、同年から1938年までパリでナディア・ブーランジェに師事。第二次世界大戦中は、ポーランド亡命政府のために通訳を勤めるかたわら、連合国軍のために慰問演奏を行う。メキシコシティにおける慰問演奏の合間に、同地の大学に職を得、1946年にはメキシコ市民権を得た。その後は教育活動に専念したが、1954年に演奏家として転機が訪れた。ニューヨーク市におけるデビューが、きわめて高い評価を得、余生を幅広い演奏活動のうちに過ごすようになる。1988年にカッセルにて客死。
シェリングはたくさんの録音を残しており、バッハの無伴奏ヴァイオリンのための作品は、ミルシテインの演奏と並んで評価が高い。また室内楽では、アルトゥール・ルービンシュタインのお気に入りのパートナーとして知られた。古典的なレパートリーのほかに、ヴィエニャフスキやシマノフスキのようなお国もの、マヌエル・ポンセの協奏曲(シェリングへの献呈作品)など、近現代作品にも意欲的にとり組んでいる。シェリングは、古典的な協奏曲に独自のカデンツァを残すことはなかったものの、ヴァイオリン協奏曲や室内楽をふんだんに作曲した。
シェリングは、ドイツやフランスで学んだ結果、ヨーロッパのあらゆる地域の演奏スタイルを吸収した。その意味では折衷的な演奏スタイルであり、同時代のヴァイオリニストに比べると、とりたてて個性的とはいえないものの、どの時代の、どの地域の作品も弾きこなすだけの柔軟さや器用さを兼ね備えていた。力強いボウイングと巧みなテクニックのコントロールによって出される響きのつやは、ハイフェッツやミルシテインの演奏にも通じる一方、ベートーヴェンの協奏曲では、作品の内面的な性格を優先的に表出するなど、シゲティやメニューインらの精神的な解釈にやや近い。また、性格的小品やアンコール・ピースでは、一定の品格を保ちながらも、さりげなく音楽の喜びをもりこんでおり、しかも典雅な趣きや美音ゆえにグリュミオーの演奏を連想させる。