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プリンツ・オイゲン (重巡洋艦) - Wikipedia

プリンツ・オイゲン (重巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

艦歴
発注:
起工: 1936年4月23日
進水: 1938年8月22日
就役: 1940年8月1日
退役:
その後: 原爆実験供用後1946年12月に座礁
除籍:
性能諸元
排水量: 基準 15,000 トン
満載 18,400 トン
全長: 212.5 m
全幅: 21.8 m
吃水: 7.2 m
機関: 136,000 shp (98 MW)
最大速: 33.5ノット (62.04 km/h)
航続距離: 7,200 カイリ (20ノット時)
兵員: 1,600名
兵装: 8インチ砲8門、
10.5cm砲12門、
4cm対空砲17門、
3.7cm砲8門、
2cm砲28門、
21インチ魚雷発射管12門
艦載機: アラド Ar 196 3機

プリンツ・オイゲン (Prinz Eugen) は、ドイツ海軍重巡洋艦(独:Schwerer Kreuzer)。アドミラル・ヒッパー級の3番艦。1番艦のアドミラル・ヒッパー、2番艦のブリュッヒャーの設計に若干の変更を加えている為アドミラル・ヒッパー級第2グループとされている。艦名は17世紀末から18世紀初頭のオーストリアの軍人プリンツ・オイゲンに因んで命名された。強運の巡洋艦として有名。

目次

[編集] 艦歴

[編集] 建造

1935年11月16日発注。1936年4月23日にキールのクルップ・ゲルマーニア造船所で起工。1938年8月22日に進水。就役前の1940年7月1日に、キールで爆撃を受け軽微な損害を受ける。1940年8月1日就役。

[編集] ライン演習作戦

1941年5月、プリンツ・オイゲンは戦艦ビスマルクと共にライン演習作戦に参加する。18日、ゴーテンハーフェンを出撃、スカゲラク海峡を通って北海に出る。24日、2隻はデンマーク海峡でイギリスの巡洋戦艦フッドと戦艦プリンス・オブ・ウェールズと交戦する。フッドはビスマルクの砲撃で爆沈し、プリンツ・オイゲンもプリンス・オブ・ウェールズに命中弾を与えた。その後、プリンツ・オイゲンはビスマルクと別れる。6月1日、駆逐艦フリードリヒ・イン、ブルーノ・ハイネマン、エーリッヒ・シュタインブリンクに護衛されてブレストに入港した。7月2日空襲で被弾。

[編集] ツェルベルス作戦

1942年2月、シャルンホルストグナイゼナウとプリンツ・オイゲンをブレストからドイツ本国に帰還させるというツェルベルス作戦が実行された。この作戦はフランスのブレストからドイツのブルンスビュッテルまで、ドーバー海峡というイギリスの目の前を通過するという作戦だった。3隻は2月11日の夜にブレストを出航した。2月12日、ドイツ艦隊はイギリス駆逐艦の攻撃を受けた。この戦闘でプリンツ・オイゲンとグナイゼナウはイギリスの駆逐艦ウースターを大破させた。なお、この時シャルンホルストは触雷のため2隻とは離れていた。2月13日、プリンツ・オイゲンは無事にドイツに到着した。

[編集] ノルウェーとバルト海

1942年2月20日に、プリンツ・オイゲンはアドミラル・シェーアと共に護衛の駆逐艦を伴ってノルウェーに向けてブルンスビュッテルを出港した。しかし、2月23日にトロンハイム沖でイギリスの潜水艦トライデントの発射した魚雷の内の1本が艦尾に命中、沈没こそしなかったものの、航行不能となり、また7名の戦死者を出した。プリンツ・オイゲンはトロンハイム港まで曳航され、応急処理を受けた。同年5月16日にはドイツのキール軍港で本格的な修理を受けるためノルウェーを後にする。イギリス軍の空襲をかいくぐり、5月18日にキールへ到着した。すぐさま用意されていた艦尾を修復する作業に入り、同年末には戦線復帰した。その後終戦までバルト海で活躍したが、1944年10月15日にはバルト海で軽巡洋艦ライプツィヒと衝突事故を起こし艦首を損傷した。

[編集] 戦後

パナマ運河を通過するUSS Prinz Eugen
パナマ運河を通過するUSS Prinz Eugen

プリンツ・オイゲンは激戦の続く中、終戦まで生き残った幸運艦であった。戦後アメリカ軍が接収、USS プリンツ・オイゲン (USS Prinz Eugen, IX-300)としてアメリカ海軍の艦籍に入る。ビキニ環礁での原爆実験標的艦として使用されたが、計2発の爆撃を受けても沈まず、クェゼリン環礁に運ばれる途中に浅瀬に乗り上げ転覆し、座礁。強運の重巡洋艦はここで生涯を閉じた。尚、スクリューのみはドイツ本国に帰還している。

[編集] 参考文献

  • Gerhard Koop and Klaus-Peter Schmolke, Heavy Cruisers of the Admiral Hipper Class, Naval Institute Press, 2001, ISBN 1-55750-332-X

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦

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