ブッカー・ハフマン
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キング・ブッカー | |
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プロフィール | |
リングネーム | ブッカーT キングブッカー |
本名 | ロバート・ブッカー・ティオ・ハフマン |
ニックネーム | キング 5タイムス・チャンピオン ブッカーマン |
身長 | 188cm |
体重 | 113kg |
誕生日 | 1965年3月1日(43歳) |
出身地 | アメリカ合衆国 テキサス州ヒューストン |
所属 | WWE |
トレーナー | スコット・ケーシー |
デビュー | 1990年 |
ロバート・ブッカー・ティオ・ハフマン(Robert Booker Tio Huffman、1965年3月1日 - )は、アメリカのプロレスラー。リングネームはキング・ブッカー(King Booker)。テキサス州ヒューストン出身。現在はTNAに所属している。
他の多くのWWEスーパースター同様、マイクパフォーマンスにおいて数々の決め台詞が存在する。
目次 |
[編集] 経歴
17歳の時にウェンディーズに強盗に入り逮捕、19ヶ月の懲役を経験する。
1989年にプロレスデビュー。1992年にダラスのプロレス団体GWFに加入。実の兄のスティービー・レイとタッグチーム、エボニー・エキスペリエンスを結成してGWFタッグを獲得。またこの頃日本のプロレス団体NOWに2回参戦している。
1993年6月にWCWに登場。同時にタッグ名をハーレム・ヒートに改め、以後数々のタイトルを手中に収める活躍を見せる。また一時期マネージャーに、WWFから移籍してきたシェリー・マーテル(センセーショナル・クィーン・シェリー)がついていたことがあるが、ピンチになると携帯電話でシェリーを呼び出し乱入させるという、何とも間の抜けたギミックを使っていた。1996年には新日本プロレスにも来日しており、ハーレム・ヒートとしてIWGPタッグ王座にも挑戦した。またGWF時代に一時使っていた軍人ギミックのG.I. Broというキャラクターに変身したこともある。ハーレム・レートの再結成・再解散を経て、WCWが、WWFからシナリオライタービンス・ルッソーを引き抜いた頃には、WCWの主役級のポジションにあった。WCW王座は2000年7月9日の初獲得から通算5回(うち2回はWWF版)。
WCW崩壊時、WWFに契約をテイクオーバーされたためマンデー・ナイトロ最終回で4度目のWCW世界ヘビー級王座を獲得。WCW王者としてのWWF登場当初はダイヤモンド・ダラス・ペイジと共に、試合に乱入を繰り返すだけだったが、いまいち観客の反応が鈍く、また顔見世的に行われたバフ・バグエルとのWCW世界ヘビー級選手権試合が、バグエルのおかげで稀に見るダメ試合となったこと、その他諸々の事情(WCWのTVマッチを放映してくれる会社が見つからなかった。スポンサーが見つからなかった…)からWWF首脳陣はWCWをWWF傘下のブランドとして位置付ける(現在のWWEにおけるECWのそれと同じ)のを諦め、新たにWCW/ECW連合軍、所謂アライアンスを創り上げ、そのWCW側のエースとしてWWFに参戦。この頃からコメディタッチなキャラクターが鮮明となる。
連合軍崩壊後は、ヒールとして引き続きWWEに参戦した。但し、アライアンス側の人間はストーリー上全員解雇されたことになっていたため、WWF復帰のためにいろいろと工作するストーリーが展開。WWFへ共同経営者というギミックで参戦を開始したリック・フレアーとストーン・コールド・スティーブ・オースチンに対抗するためビンス・マクマホンがブッカー・Tを利用するというストーリーで復帰する。オースチンとの抗争では、スーパーマーケットの中でストリートファイトを展開したこともある(試合は最後にブッカー・Tがレジに通されて終了)。スマックダウンの試合でリキシにスティンクフェイスをかけられ嘔吐したことがある。
WWFのTV番組分割後はRAWに参戦した。2002年にはnWoにメンバーとして参加するも、ショーン・マイケルズ加入に際してnWoを離脱。同時にベビーフェイスに転向した。
2004年3月22日、RAWからSmackDown!へ移籍。ヒールへ転向した。その後ジョン・ブラッドショー・レイフィールドおよびオーランド・ジョーダンとの抗争でベビーフェイスに戻る。
2005年3月、ブッカー・Tはスティービー・レイと共同で、「ブッカー・T&スティービー・レイ プロレス・アカデミー」をヒューストンに開いた。また、元WCWのナイトロ・ガールスのシャメールと結婚した。なお、シャメールもディーヴァとしてWWEに出演している。
ベビーフェイスとヒールを頻繁に行き来しており、シャメールのWWE登場時にカート・アングルと抗争していたときはベビーフェース、クリス・ベノワからUS王座を獲得して以降はヒールとして活動している。そのUS王座を賭けたクリス・ベノワとの七番勝負の最中に負傷し、ランディ・オートンに代理参戦を依頼。結果、史上初めて戦わずしてUS王座を手に入れた。2006年ノー・ウェイ・アウトでベノワにUS王座を奪還された後はブギーマンと抗争。5月のJudgment DayでのKing of The Ring決勝戦においてはボビー・ラシュリーを破って優勝。その後、「国王」を自称しリングネームをキング・ブッカーと改めた。
その後ウィリアム・リーガル、フィンレーと手を組み、世界ヘビー級王者のレイ・ミステリオと抗争。The Great American Bash 2006で王座戦を行い、ミステリオに味方していたチャボ・ゲレロの介入により王座を奪取した。
2007年6月11日、RAWで行われたドラフトによりSmackDown!から再びRAWに移籍。約3年ぶりにRAWに戻ることとなった。その後、RAW解説者であるジェリー "ザ・キング" ローラーとキングの称号を巡り抗争した。
2007年8月のサマースラムでのトリプルHとの試合を最後に、9月にシャメールと共にWWEを解雇された。
2007年11月からTNAに参戦。ファンからも大きな声援で迎えられた。同時にリングネームもブッカーTに戻した。
2007年12月20日、IGF興行「GENOME2」に参戦予定であったが、IGFの書類不備により出場がキャンセルされた。
[編集] 得意技
現在の主な技
- シザース・キック(WCW時代はゲット・ブラスター)
- アックス・キック
- スパインバスター
- スピンルーニー
- ブレイクダンスのウインドミル。直接の攻撃技ではなくどちらかといえば観客へのアピールであるが、実況では技として扱われることが多い
- ブック・エンド
- 膝しかマットにつけないロック・ボトム
その他
- 110th Streetスラム(スパインバスターの一種)
- ヒューストン・ハング・オーバー/ハーレム・ハングオーバー
- トップロープから前方一回転してのギロチン・レッグ・ドロップ。大一番でしか使用しない危険技。この技でビックショーから勝利を収めたこともある。
[編集] 決め台詞
代表的な決め台詞を載せる。括弧内は日本語訳。
- Save the drama for your mama!
- Don't hate the player, Hate the game!
- Tell me you didn't just say that!(言ってないよな?そんなこと言ってないと言ってくれ)
- Can you dig it, Sucka?!(判ったかこのタコッ!)
- I am the 5 time, 5 time, 5 time, 5 time, 5 time WCW Champion!
[編集] タイトル履歴
WCW
- WCW 世界ヘビー級王座 : 5回
- WCW 世界タッグ級王座 : 11回(&スティービー・レイx10、テストx1)
- WCW世界TV級王座 : 6回
- WCW USヘビー級王座 : 1回
WWE
その他
- GWFタッグ級王座 : 3回(パートナー : スティービー・レイ)
- UWFヘビー級王座 : 1回
[編集] その他
- 2002年4月に、ヒューストンに自身の経営する店を開業させた。音楽、TVゲーム、ヒップホップ関連商品を取り扱っている。
- 2006年2月に、SmackDown!日本公演でWWEとして初来日の予定だったが、ケガのため不参加。なお前年同時期に行われた公演は自身の結婚のため不参加。2006年2月現在、WWEとして来日の経験が無い。
- 決め台詞の「5 time WCW champion」が定着している事が災いしてか、WWE移籍後にWCWヘビー級王座から陥落して以降は、後継王座であるWWE・世界ヘビー級王座には一度も戴冠できていなかったが、遂にThe Great American Bash 2006にて王座戴冠を果たす。