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フィリップ2世 (フランス王) - Wikipedia

フィリップ2世 (フランス王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

フィリップ2世
フィリップ2世

フィリップ2世Philippe II Auguste1165年8月21日 - 1223年7月14日)はフランスカペー朝第7代の王(在位:1180年 - 1223年)。ルイ7世の子。

父ルイ7世の死により15歳で即位し、当初は舅であるフランドル伯の摂政下にあったが、まもなく親政を始めた。フランドル伯やシャンパーニュ伯などの強力な北部諸侯を抑え、婚姻政策によりバロアなどを得た。さらに、イングランド王家でフランス南部に広大な領地を有するプランタジネット家との抗争に勝利し、その大陸領土の大部分をフランス王領に併合した他、アルビジョア十字軍を利用して、王権をトゥールーズオーヴェルニュプロヴァンスといったフランス南東部から神聖ローマ皇帝領にまで及ぼした。この結果、フランス王権は大いに強まり、フランスはヨーロッパ一の強国となった。フランス最初の偉大な王と評価され、尊厳王(オーギュスト、Auguste)と呼ばれた。

目次

[編集] 係累

カペー朝の王であるフィリップ2世は1165年8月21日に、現在のフランス、ヴァル・ドワーズ県のゴネス(Gonesse)でルイ7世と3番目の妻アデール・ド・シャンパーニュ(Adèle de Champagne)の間に生まれた。

フィリップ2世には腹違いの姉のマリー・ド・シャンパーニュ、アリックス(Alix de France)、マルグリット(Marguerite de France)、アデール(Adèle de France)がいた。また妹にはアニェスがいた.

[編集] フランス王権

1154年のフランスにおけるプランタジネット朝の版図(茶、褐色の部分)、緑がフランス王領で薄緑が王権を認めている諸侯領
1154年のフランスにおけるプランタジネット朝の版図(茶、褐色の部分)、緑がフランス王領で薄緑が王権を認めている諸侯領

フランス王家であるカペー家は、もとはパリ伯で、10世紀にカロリング朝が断絶すると選挙によってフランス王に選ばれたが、その支配地域は本領であるイル=ド=フランスと各地に散らばる若干の王領のみで、ノルマンディー公フランドル伯といった有力諸侯と同程度の実権しか有していなかった。

歴代の王は王権の強化を図ったが、ノルマンディー公がイングランド王を兼ねて強力な存在になると(ノルマン・コンクエスト)、これに対抗するのが精一杯で思うに任せなかった。父のルイ7世はアリエノール・ダキテーヌとの婚姻で一時はアキテーヌ公領を支配下に加えた。おりしもイングランドはスティーヴン王の無政府時代だったため、王権を回復する良い機会だったが、この好機を生かせず、却ってアリエノールを離縁し、ヘンリー2世と結婚させてしまい、イングランドから南フランスを領有する強大なアンジュー帝国を誕生させてしまった。

長らくルイ7世には男子の跡継ぎもなく、このままプランタジネット家に併合されるかという時に誕生したのがフィリップ2世だった。幼いころは病弱で、一時期生命を危ぶまれる重病となり、父のルイ7世はヘンリー2世と戦争中だったにもかかわらず、聖トマス・ベケットの祠に病気治癒祈願するためイングランドへ渡ったほどだった。

[編集] 即位

王位継承を確実とするため、フィリップ2世は14歳で共同統治王として戴冠し、1180年に父が亡くなると、わずか15歳で単独王として即位した。当初は摂政で舅にあたるフランドル伯や母方の伯父となるシャンパーニュ伯の力が強かったが、間もなく彼らを抑えて親政を始めた。

最大の問題は、前王時代から続くプランタジネット家との抗争であった。前王時代から、ヘンリー2世とその息子たちが不仲なことを利用する方策が取られており、フィリップ2世もこの方策を受け継いだ。元々フィリップ2世とプランタジネット家の息子たちとは兄弟のような関係であり(ルイ7世とアリエノールの間に生まれた共通の異母姉・異父姉を持つ)、特に三男のブルターニュ公ジョフロワ(ジェフリー)と親しく、一時は兄弟同様に過ごした。1186年にジョフロワが馬上槍試合でなくなると、今度はリチャードと親しくなった。1188年に再びヘンリー2世との戦争が始まると、リチャードに父への謀反を起こさせ、ヘンリー2世を死に追いやることに成功した。しかし、跡を継いだリチャード1世は手強い相手であり、当初は友好関係を継続させ、共に第3回十字軍に向かった。

[編集] 第3回十字軍

現実主義者であるフィリップ2世は十字軍に情熱を持たず、リチャード1世とも対立し、アッコンを陥落させると間もなく病気を理由にフランスに帰った(第3回十字軍参照)。

[編集] プランタジネット家との抗争

[編集] リチャード1世との戦い

フランスに戻ると間もなく、伝統的政策としてリチャード1世の弟ジョンの王位簒奪を扇動した。リチャード1世がオーストリアで捕らえられると、リチャード1世の解放を遅らせるよう働きかけると共に、ジョンの簒奪を支援したが成功せず、やがてリチャード1世は解放された。フィリップ2世は手紙でジョンに「気をつけろ、悪魔は解き放たれた」と知らせたという。リチャード1世はイングランドに戻るとすぐにジョンを屈服させ、捕囚中にフィリップ2世に奪われたフランス領土(ヴェクサン等)を回復すべくフランスに渡った。フィリップ2世はアキテーヌ公領の諸侯を扇動し、リチャード1世に反乱させるなどをして対抗した。1199年にリチャード1世はアテキーヌ公領シャリュで戦死し、甥のブルターニュ公アルテュール(アーサー)との争いの中でジョンがイングランド王となった。

[編集] ジョンとの戦い

1180年と1223年のフランスにおけるプランタジネット朝の版図(赤)とフランス王領(青)、諸侯領(緑)、教会領(黄)
1180年と1223年のフランスにおけるプランタジネット朝の版図(赤)とフランス王領(青)、諸侯領(緑)、教会領(黄)

1200年にジョンが、既に婚約者のいたイザベラ・オブ・アングレームと結婚したとき、婚約者だったユーグ・リュジニャンはこれをフィリップ2世に訴えた。フィリップ2世はジョンを法廷に召喚し、これを拒否されるとジョンの全フランス領土の剥奪を宣言し、ノルマンディー以外のこれらの領土をブルターニュ公アルツールに与え、アルテュールを支援してジョンと交戦した。1203年にジョンがアルテュールを捕らえ殺害すると、フランスの諸侯はジョンを見限り、ブルターニュを始めとしてノルマンディーアンジュー、メーヌ、トゥレーヌ、ポワトゥーはほとんど抵抗せずにフィリップ2世に降伏した。ジョンの下に残ったのは、わずかにアキテーヌの中心地であるガスコーニュのみで、フィリップ2世は懸案だったプランタジネット家のフランス領土の大部分の回収に成功した。

その後もジョンは失地回復を目指してアンジュー、ポワトゥーに侵攻したが、これを撃退し、ロアール川以北を正式にフランス領とする条約を結んだ。

さらに1213年には、破門されたジョンに対し、ローマ教皇インノケンティウス3世の支援を受け、ジョンに不満なイングランド諸侯やウェールズアイルランドと呼応してイングランド侵攻を計画した。しかし、これを恐れたジョンがイングランドをローマ教皇に寄進し、教皇の封建臣下となったため、教皇はイングランド侵攻の支持を取り消し、計画は中止された。その後、イングランド侵攻に協力しなかったフランドル伯を攻めたが、イングランドの援軍により撃退された。

1214年になるとジョンは、神聖ローマ皇帝オットー4世やフランドル伯と提携し、フランスを南北から挟撃する計画を立てた。ジョンがフランス南部に進撃すると同時にドイツ、フランドル軍がフランドルからフランスに侵入するというものであった。これに対しフィリップ2世は、王太子ルイを南部に派遣してジョンを抑え、自らはフランドルから進入する皇帝連合軍を迎え撃ち、ブービーヌの戦いで勝利を収めた。この勝利により、神聖ローマ帝国、イングランドに対して優位に立ち、プランタジネット家の旧領を確保すると共に、フランスの有力諸侯フランドル伯、ブローニュ伯を捕虜とし、王権をいっそう確実にした。

1215年にジョンに不満を持つイングランド諸侯の要請により、王太子ルイのイングランド侵攻を認めるが、1216年にジョンが亡くなるとイングランド諸侯はジョンの息子のヘンリー3世を支持したため、ルイの即位は果たせなかった。

[編集] 内政

パリの道路の舗装、城壁の建設、市場の設立などの整備を行い、父王時から続いているノートルダム寺院の建設を続け、パリ大学の創立に協力した。また、都市を保護、育成し商業を振興させ、官僚機構を整備し、フランス王国への帰属意識を高めさせた。

[編集] 外交

神聖ローマ帝国のホーエンシュタウフェン家と同盟し、ハインリヒ6世の死後、フィリップを支持した。1208年にフィリップが亡くなった後は、やはりホーエンシュタウフェン家のフリードリヒ2世を支持し、神聖ローマ皇帝オットー4世と対立した。十字軍には熱心でなく、ローマ教皇との関係はつかず離れずだった。

[編集] 離婚問題

1180年に西フランク王家だったカロリング家の血を引くフランドル伯の姪イザベルと結婚し、間に王太子ルイが誕生することによりカペー家とカロリング家の結合を果たした。

1190年にイザベルが亡くなると、1193年にデンマーク王女インゲボルグと結婚したが、フィリップ2世は彼女が気に入らず、まもなく離婚を宣言し、1196年にバイエルン貴族の娘アニェス(アグネス)と結婚した。しかし、インゲボルグは離婚を認めず、フィリップ2世の結婚を重婚としてローマ教皇に訴えた。ローマ教皇ケレスティヌス3世はこの訴えを認め、フィリップ2世とアニェスとの結婚を無効とした。フィリップ2世は、これに抵抗しアニェスを妻とし続けたため、1198年に新教皇インノケンティウス3世はフランスを聖務停止とした。

1201年になるとフィリップ2世はジョンとの抗争においてローマ教皇の支持を必要としたため、教皇の要求に屈してアニェスと別れた。失意のアニェスは、間もなく亡くなっている。その後もフィリップ2世はインゲボルグとの離婚を望み、彼女を遠ざけていたが、デンマーク王やローマ教皇の要求により1213年に呼び戻し、王妃として処遇した。

フィリップ2世は教会の干渉に非常に不満で、サン=ドニの年代記によると「(自分が)イスラム教徒だったら良かった。ローマ教皇のいないサラディンがうらやましい」と述べたとされる。

[編集] アルビジョア十字軍

アルビジョア十字軍は1209年に始まったが、当初インノケンティウス3世からの参加要請は、イングランド王ジョンと神聖ローマ皇帝オットー4世の脅威を理由に断り、シモン・ド・モンフォール(4世)の指揮に任せている。フランス王家は歴史的にローマ教皇との関係は良かったが、フランス領内での教皇の影響が強くなりすぎるのも好ましくはなく、つかず離れずといった対応を取っていた。

しかし1214年のブービーヌの戦いの勝利の後は、1216年から始まる南仏諸侯の反撃に苦戦する十字軍に王太子ルイを派遣し、介入するようになった。フィリップ2世の死後の1225年にアモーリ・ド・モンフォールから南仏の支配権を受け継ぎ、ルイ8世が十字軍を指揮してトゥールーズオーヴェルニュプロヴァンスへの王権の伸張に成功した。

[編集] 晩年

フィリップは1223年7月14日イヴリーヌ県のマント・ラ・ジョリで亡くなり、歴代のフランス王が眠るサン=ドニ大聖堂に埋葬された。後継として息子のルイ8世 が即位した。

[編集] 評価

懸案だったイングランド王家の大陸領土の大部分を回収し、北フランス諸侯の勢力を抑え、ブービーヌの戦いにより、神聖ローマ帝国、イングランドに対する優位を確立し、さらにアルビジョア十字軍を利用して南仏(ラングドック)やブルゴーニュにまで王権を及ぼす契機を作った。

内政的にも、都市の育成やパリの整備、パリ大学の設立などにより、民衆の支持を得、フランス国民としての統一意識を高め、以降、1世紀に渡りヨーロッパにおけるフランスの優位を確立した。フランス王国最初の偉大な王と評価され、初代ローマ皇帝アウグストゥスにちなんで尊厳王(Auguste)と称される。

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