パール・S・バック
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パール・サイデンストリッカー・バック(Pearl Sydenstricker Buck, 1892年6月26日 - 1973年3月6日)は、アメリカの女流小説家。宣教師の両親と中国(中華民国)に渡り、そこで育つ。処女作『東の風・西の風』に続き、代表作『大地』を発表してピュリッツァー賞を受賞。『息子たち』『分裂せる家』とともに三部作『大地の家』を構成。1938年ノーベル文学賞受賞。 『生きている葦』などの名作も発表。
パール・コンフォート・サイデンストリッカー(Pearl Comfort Sydenstricker)としてウェスト・バージニア州ヒルスボロで生まれたが、生後3ヶ月で父カリー・サイデンストリッカーとともに中国江蘇省の鎮江に渡った。英語よりも中国語を先に覚えた。中国名、賽珍珠。1917年帰国してランドルフ・マコン女子大学に入学、1924年卒業し、母校で心理学の講師をしていたが、母の病気の知らせを受けて中国に戻った。1917年農業経済学者のジョン・ロッシング・バックと結婚し、一時南京大学、南東大学で英文学を講義する。1926年一時帰国してコーネル大学で修士号を取得した。1932年、ニューヨークの講演が原因で長老派伝道委員から非難され、宣教師の地位を辞した。1938年のノーベル賞受賞は、スウェーデンの探検家・学者スヴェン・ヘディンの推薦によって受賞した。
また、7人の孤児達を養子として自らの手で育てたり、広島の谷本清による平和活動を支援したりと人格者でもあった。文学以外においても彼女の社会に与えた影響は計り知れない。
[編集] 著作
[編集] 外部リンク
- Pearl S. Buck International Website
- University of Pennsylvania website dedicated to Pearl S. Buck
- National Trust for Historic Preservation on the Pearl S. Buck House Restoration
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