バンブーメモリー
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バンブーメモリー | |
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現役期間: | {{{時}}} |
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品種: | サラブレッド |
性別: | 牡 |
毛色: | 栗毛 |
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生誕: | 1985年5月14日(23歳) |
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父: | モーニングフローリック |
母: | マドンナバンブー |
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生国: | 日本(北海道浦河町) |
生産: | バンブー牧場 |
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馬主: | 竹田辰一 |
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調教師: | 武邦彦(栗東) |
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厩務員: | 出口光雄 |
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競走成績 | |
生涯成績: | 39戦8勝 |
獲得賞金: | 5億810万8200円 |
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バンブーメモリー(1985年 - )は日本の元競走馬で、現在は種牡馬となっている馬。半弟にバンブーゲネシス(マーチステークス優勝、父バンブーアトラス)がいる。1989年、1990年JRA賞最優秀スプリンター(現在のJRA賞最優秀短距離馬)。
※馬齢は旧表記で統一する。
目次 |
[編集] 戦績
裂蹄気味だったために1988年にデビューしてからしばらくは負担の小さいダート戦ばかりを走っていた。明け5歳となった1989年、蹄も大分良くなったため、4月の道頓堀ステークスで初めて芝のレースに挑戦すると5馬身差で勝利。次走シルクロードステークス(当時はオープン特別)でもシヨノロマンの3着と好走し、高い芝コースへの適性を示した。ここで陣営は連闘で安田記念へ参戦を決定する。無謀な挑戦かと思われたが、鞍上の岡部幸雄の好騎乗や重馬場などの展開にも恵まれ10番人気ながら優勝、初GIタイトルを獲得し、同時に武邦彦厩舎の初GIタイトルでもあった。ちなみにこのレースを実況したフジテレビの堺正幸アナウンサーは『これは岡部の魔術か!』と驚愕の実況をしている。
秋シーズンでは松永昌博(現・調教師)鞍上でスワンステークスに勝利し、続く第6回マイルチャンピオンシップでは鞍上に武豊を迎えて挑んだ。そしてレースではバンブーメモリーの勝ちと思われたが、最後のゴール前で大内を鋭く突いたオグリキャップの強襲に屈し2着に敗れてしまう。この激闘は長い写真判定となり、関西テレビの杉本清アナウンサーに『負けられない南井克巳、譲れない武豊』と実況されるほどだった。その後、そのオグリキャップと同じローテーションでジャパンカップに連闘したが、あまり話題にはならなかった。
翌1990年は、初戦に予定していた金杯(西)を疾病で出走取り消しとなり、蕁麻疹による休養を経て春の短距離路線を進んだが勝てなかった。CBC賞を経て出走した高松宮杯(当時は芝2000m、GII)を優勝し、天皇賞(秋)ではヤエノムテキの3着、マイルチャンピオンシップではパッシングショットの2着と惜敗続きだったが、続くスプリンターズステークス(同年よりGI昇格)を日本レコードで快勝。同年、2年連続でJRA賞最優秀スプリンターを受賞した。
1991年も現役を続け、京王杯スプリングカップと安田記念では1番人気に支持されるもピークは過ぎており、4着・3着と惜敗。続く宝塚記念では最下位負けを喫するなど芳しくなかった。同年のマイルチャンピオンシップ8着(優勝馬ダイタクヘリオス)を最後に現役を引退し、種牡馬となった。これまでのところ、目立った活躍馬は輩出できていない。
[編集] 年度別競走成績
1987年(3戦1勝)
1988年(8戦2勝)
1989年(12戦3勝)
- 安田記念(GI)、スワンステークス(GII)
1990年(9戦2勝)
- スプリンターズステークス(GI)、高松宮杯(GII)
1991年(7戦0勝)
[編集] エピソード
- 1991年の宝塚記念で後に杉本清の名物実況となる「私の夢(馬券)」対象馬として初めて指名された。詳細は杉本清を参照。
- その宝塚記念で騎乗依頼を受けた岸滋彦は、『バンブーメモリー特別メニュー』なる筋肉トレーニングをジムでこなしている。というのも、バンブーメモリーはムキになって走る馬で、普通の腕力では馬を制御できないからである。しかも、そのムキになって走る理由が気性の問題ではなく、武豊曰く「走りたくてウズウズしているから」とのこと。引退式でも「暴走」していたという。
[編集] 血統表
バンブーメモリーの血統 (ダークロナルド系/Nearco5×4=9.38%) | |||
父
*モーニングフローリック Morning Frolic 1975 栃栗毛 |
Grey Dawn 1962 芦毛 |
Herbager | Vandale |
Flagette | |||
Polamia | Mahmoud | ||
Ampola | |||
Timely Affair 1971 黒鹿毛 |
Bold Hour | Bold Ruler | |
Seven Thirty | |||
Friendly Relations | Nearctic | ||
Flaring Top | |||
母
マドンナバンブー 1978 鹿毛 |
*モバリッズ Moubariz 1971 鹿毛 |
Sing Sing | Tudor Minstrel |
Agin the Law | |||
Musaka | Guard's tie | ||
*アーテミサ | |||
ニンバスバンブー 1964 栗毛 |
*Nimbus | Nearco | |
Kong | |||
ヤシマテンプル | *Theft | ||
神正 |
[編集] 外部リンク
[編集] 参考文献
- 島田明宏「走りたくてウズウズ バンブーメモリー」『別冊宝島223 競馬名馬読本3』宝島社、1995年
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