バリャドリッド
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市庁舎と広場 |
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州 | カスティーリャ・レオン州 |
県 | バリャドリッド県 |
面積 | 197.5km² |
標高 | 691m |
人口 | 319,943人(2006年)、第13位 |
人口密度 | 1620人/km² |
41°39'N 4°43'W |
バリャドリッド(Valladolid)はスペインの都市。カスティーリャ・レオン州の州都で、バリャドリッド県の県都。一時期、カスティーリャ王国、スペイン王国の王宮がおかれた。バリャドリード、バリャドリー、バジャドリードなどとも表記される。人口は約32万人。
目次 |
[編集] 地勢・産業
ピスエルガ川沿いに位置する工業都市。スペイン中北部における交通の要所であり、農作物の集散地としての役割も果たしている。近隣の都市としては、約110キロ南西のサラマンカ、120キロ北西のレオン、160キロ南東のマドリードなどが挙げられる。
[編集] 歴史
ケルト人が居住していたが、ローマ帝国に征服され支配下におかれた。その後、西ゴート王国の支配を経て、一時はイスラーム勢力であるウマイヤ朝の侵入を受けた。その後、キリスト教勢力によるレコンキスタ(再征服運動)が進展する中で、11世紀にレオン王国のもと都市が建設され、キリスト教勢力にとっての根拠地の一つとなった。1346年にはバリャドリッド大学も建てられ、学芸の振興も図られた。1469年、カスティーリャ王国の王女イサベラ(のちのイサベル1世)と、アラゴン王国の王子フェルナンドが、この都市で婚礼を行った。
1550年から翌年にかけて、この地でラス・カサス(『インディアスの破壊に関する簡潔な報告』でアメリカ大陸における現地民迫害を告発したドミニコ会士)は「バリャドリッド論争」を行い、ファン・ヒネス・デ・セプルベダと論戦を繰り広げた。
フェリペ2世はこの土地で生まれている。フェリペ3世は、1600年から6年間首都をバリャドリッドに移した。
1860年に鉄道が敷設された。このことを契機として工業化が進展し、人口も激増していった。1936年に勃発したスペイン内戦では、早い段階でフランコ将軍の勢力下におかれた。第二次世界戦後は、外国資本の流入などもみられ、引き続き工業都市として発展をみせている。
[編集] 観光
- 国立彫刻博物館(es) - 13世紀から19世紀のスペインやスペイン領の彫刻を集める。歴史的な4つの建物からなる。
- サン・パブロ教会 - 15世紀のファサードが有名。
- カテドラル(es) - 16世紀末から建設が始まった。内部に美術館がある。
- セルバンテスの家(es) - セルバンテスがかつて暮らしていた家。
- コロンブスの家 - バリャドリッドはコロンブスの没地である。サンタ・マリア号の模型や当時の史料などが展示されている。
参考文献:『地球の歩き方 スペイン 2004~2005年度版』ダイヤモンド・ビッグ社
[編集] ギャラリー
[編集] スポーツ
- レアル・バリャドリッド - リーガ・エスパニョーラ所属のサッカークラブ。かつて、元日本代表FWの城彰二が所属していた。近年は1部と2部の往復が続いている。
- CBバリャドリッド - バスケットボール
[編集] バリャドリッド出身の著名人
- エンリケ4世 (カスティーリャ王)
- フェリペ2世 (スペイン王)
- フェリペ4世 (スペイン王)
- アンヌ・ドートリッシュ - ルイ13世王妃
- ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ - スペイン首相
[編集] 姉妹都市
[編集] 外部リンク