ハーブ・アルパート
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ハーブ・アルパート(Herb Alpert, 1935年3月31日 - )はアメリカカリフォルニア州ロサンゼルス出身のポップ・ジャズで活躍していたトランペッターでコンポーザーであり、ザ・ティファナ・ブラス(The Tijuana Brass)のリーダーでもある。またA&Mレコードの創始者の一人である。尚A&Mの"A"はアルパート(Alpert)を指す。
ニッポン放送系の深夜ラジオ番組、『オールナイトニッポン』のテーマソングとして「ビタースウィート・サンバ」が長年使われ、親しまれており、この曲で彼を知る人が最も多い。
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[編集] バイオグラフィ
[編集] A&M設立まで
8歳よりトランペットを習い始め、10歳代にダンスを踊るようになる。1955年にフェア・ファックス高校を卒業後、アメリカ軍に入隊し軍の式典でパフォームするようになる。除隊後、一旦は役者の道を歩もうとしたが、最終的に音楽家としての道を進む事を決めた。1950年代に南カリフォルニア大学に在籍していた間、トロジャン・マーチング・バンド(Trojan Marching Band)に2年間参加した。
彼のミュージシャンとしての幕開けは、ルー・アドラー(Lou Adler)と共作の、ルイ・アームストロングのヒットで知られる、"What A Wonderful World"に始まる。しかしアルバート自身はそういうスタンダードナンバーになるような大ヒット曲を生み出しながらも作曲家としての自身の才能には執着せず、演奏家としての道を選ぶ。ドア・アルパート(Dore Alpert)の名でRCAレコードでキャリアを挙げ、ロックンロールのアーティスト、ジャン&ディーン等をプロデュースした。1962年にジェリー・モス(Jerry Moss)と100ドルずつを出資しA&Mレコードを創設する。A&Mは現在こそ一大レーベルであるが、初期は自身のレコーディングの為に作った。尚、「A」はアルパート、「M」はモスの頭文字である。
[編集] ティファナ・ブラス期
アルパートは自身のガレージ内に小さいレコーディング・スタジオを起こし、彼はメキシコティファナのマリアッチバンドより起こされた楽曲"Twinkle Star"を録音した。闘牛場やその群集を髣髴させる"The Lonely Bull"(邦題「悲しき闘牛」)をミックスし、アルパートは自費でこのシングルをプレスした。そしてラジオDJを通して広まり、1963年のトップ10にまで躍り出た。人気に応じて他曲も作り、ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラス名でデビューアルバム、"The Lonely Bull"をリリースした。ティファナ・ブラスは彼のスタジオ・ミュージシャンである。このタイトル・カットはビルボードポップ・シングル・チャートの6位にまで達した。このアルバムがA&Mの最初のアルバムとなるが、録音したのはコーンウェイ・レコード(Conway Records)となる。
1964年の終わりになるとティファナ・ブラスはライブ出演のために増員を必要とし、オーディションを行い、セッション・マンを雇い補強した。団員の中にヒスパニックはいない。アルパートは聴衆に自分のグループは「3枚のパストラミに2つのベーグル、1つのアメリカン・チーズ」から成るといっていたように、ジョン・ピサーノ(John Pisano) (electric guitar); ロウ・パガーニ(Lou Pagani) (piano); ニック・セロリ(Nick Ceroli) (drums); パット・セネター(Pat Senatore) (bass guitar); トニー・カラッシュ(Tonni Kalash) (trumpet); ハーブ・アルパート (trumpet and vocal); ボブ・エドモンソン(Bob Edmondson) (trombone) といった構成となる。このバンドは1965年にデビューし、1969年にバンドを解散するまで活動した。尚、日本で一番有名な楽曲であろう、"Bittersweet Samba"は1965年リリースの"Whipped Cream & Other Delights"に収録されており、2006年にリイシューされている。ティファナ・ブラスは数多くのヒット曲を生み出したが、No.1シングルは獲得できず、アルバート唯一のNo.1ヒットはソロ名義でVocalistとして発表した"This Guy's In Love With You"であった。この曲は1968年に作詞作曲を担当したハル・デヴィッド(Hal David)と バート・バカラックにとっても初のNo.1ヒットになった。
[編集] ティファナ・ブラス解散後
1969年にアルパートはバンドを解散、しかし数名のオリジナルのティファナ・ブラスのメンバーと新たなメンバーを加え、1971年と1973年に"the T.J.B."名で発表する。この新生ブラスは1974年と1975年に2枚のアルバムを出し、ツアーも行った。1984年にロサンゼルスオリンピックの為に、第3期のブラス・バンドを結成し演奏した。
1970年代から1990年代にかけ、ソロ・ミュージシャンとしても活躍している。ヒュー・マセケラとのジョイント・アルバムを制作後、ティファナ・ブラスを再結成するつもりでレコーディングを開始するがどうにも上手く行かず断念し、ソロ名義で1979年"Rise"として発表。タイトル曲でトランペッター名義としては自身初のNo.1になり、グラミー賞にも輝いている。
- この曲は33回転シングルがイギリスのクラブなどで45回転で流したところ評判になり瞬く間にヒットチャートを駆け上がった。
- 後にノトーリアス・B.I.G.が1997年に発表した'Hypnotize'にサンプリングに使用。
ソロ名義のアルバムの大半には、夫人でセルジオ・メンデスとブラジル'66の元ボーカリストのラニ・ホール(Lani Hall)が参加し、ボーカルでの共演曲も多い。1988年には第22回スーパーボウルで試合開始前の国歌斉唱でアメリカ国歌を演奏した。
1962年から1992年にかけてアルパートはA&Mレコードとアーティストとの契約やプロデューサーとしても活動し、中でもプロデュースした著名なアーティストとしては、カーペンターズやセルジオ・メンデス、ビル・メドレー(Bill Medley)、ジャネット・ジャクソン等を手掛けた。
[編集] 今日(A&M後)
現在でも演奏家としての活動を続けており、ガトー・バルビエリ(Gato Barbieri)やリタ・クーリッジ、ジム・ブリックマン、ブライアン・カルバートソン、デイヴィッド・ランツ(David Lanz)等にゲスト参加している。また第二の人生として、抽象表現主義の画家または彫刻家としても活動している。アルバム"My Abstruct Heart"および"Colours"のジャケットアートはハーブ自身の筆によるもの。
1980年代に彼はアルパート財団とアルパート賞をカルフォルニア芸術大学に設立し、若き才能をサポートしている。[1]
1990年代中頃にA&Mを離れ、自身のプライベートレーベルを新たに立ち上げる際も再びモスと組み、今度は双方の名前を2文字ずつとって「ALMO」とした。"Second Wind"以降のソロ名義のアルバムはここからリリースされている。
1997年にはパートナーであるジェリー・モスとレコード会社の役員として偉業によりGrammy Trustees Award(英語)を得た。レコード会社への貢献により、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにモスと共に名を刻まれている。
1999年の"Colours"以降、リーダーアルバムは発表しておらず、旧作アルバムの再販を積極的に監督しており、2000年に現在のA&Mのオーナーのユニバーサル・ミュージックから権利を買い戻し、自身のアルバムのリミックスとリマスタリングをし、再販し始めている。2005年にはシャウト!ファクトリーはA&Mのアルバムをデジタル・リマスタリングしたCDを供給しており、ティファナ・ブラスの未発表曲を含めたアルバムもリリースしている。これらのアルバムは、日本では60年代にA&Mレーベルを配給していたキングレコードから新装盤として発売されている。
2006年3月13日にモスと共に演奏者としてではなく、A&Mでの貢献によりロックの殿堂入りを果たした。
2007年4月20日、NHK総合のドキュメンタリー番組「プレミアム10~カーペンターズ スーパースターの栄光と孤独~」に登場。
[編集] 日本への影響
"Bittersweet Samba"以外の日本への影響としては
- "Rise"のヒット(同曲は1979年にマツダ・サバンナRX-7のCM曲に起用された)を受けて、1980年から1986年頃にかけて、"Beyond"から"Wild Romance"までのソロアルバムの収録曲がキリン・シーグラム(現:キリンディスティラリー)のウイスキー「ロバートブラウン」のCM曲に起用された(ナレーターは広川太一郎/城達也/窪田等)。
- "Beyond"
- "Magic man"
- "Fandango"
- "Route 101"※本人の出演篇もあり
- "Red Hot"
- "Catch Me"
- 1980年代前半、A&Mレーベルは日本国内の販売契約をアルファ・レコードと結んでいた関係で、1980年にYMOがロサンゼルスのチャップリン・メモリアル・スタジオでのライブ会場から日本へ衛星中継を行った際、ホストとしてYMOを紹介したのが、当時A&Mの副会長だったハーブ・アルパートだった。
- "Casino Royale"(カジノ・ロワイヤル)は1996-97年のテレビ番組「メトロポリタンジャーニー」のテーマ曲としても使用された。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラス名義
- "The Lonely Bull" (1962)
- "Volume 2" (1963) (1966 re-release)
- "South of the Border" (1964)
- "Whipped Cream & Other Delights" (1965)(※「Whipped Cream」はTBSラジオで放送されている「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」(パーソナリティは毒蝮三太夫)のテーマソングとして使用されている)
- "Going Places" (1965)
- "What Now My Love" (1966)
- "S.R.O." (1966)
- "Sounds Like..." (1967)
- "Herb Alpert's Ninth" (1967)
- "The Beat of the Brass" (1968)
- "The Herb Alpert & The Tijuana Brass Christmas Album" (1968)
- "Warm" (1969)
- "Greatest Hits" (1970)
- "The Brass Are Coming" (1969)
- "Summertime" (1971)
- "Solid Brass" (compilation, 1972)
- "Four Sider" (compilation, 1973)
- "You Smile - The Song Begins" (1974)
- "Coney Island" (1975)
- "Greatest Hits Vol. 2" (compilation, 1977)
- "Bullish" (1984)
- "Classics Volume 1" (compilation, 1987)
- "Definitive Hits" (compilation, 2001)
- "Lost Treasures" (2005)
- "Whipped Cream & Other Delights Rewhipped" (remix, 2006)
[編集] ハーブ・アルパート(ソロ)名義
- "Just You and Me" (1976)
- "Herb Alpert/Hugh Masekela" (1978)
- "Main Event Live!" (1978)
- "Rise" (1979)
- "Beyond" (1980)
- "Magic Man" (1981)
- "Fandango" (1982)
- "Blow Your Own Horn" (1983)
- "Wild Romance" (1985)
- "Classics Volume 20" (compilation, 1987)
- "Keep Your Eye On Me" (1987)
- "Under a Spanish Moon" (1988)
- "My Abstract Heart" (1989)
- "North on South St." (1991)
- "Midnight Sun" (1992)
- "Second Wind" (1996)
- "Passion Dance" (1997)
- "Colours" (1999)
- "Definitive Hits" (compilation, 2001)