ニットウチドリ
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ニットウチドリ | |
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品種: | サラブレッド |
性別: | 牝 |
毛色: | 鹿毛 |
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生誕: | 1970年4月24日 |
死没: | 1990年5月6日 |
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父: | ダラノーア |
母: | テルギク |
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生国: | 日本(北海道浦河町) |
生産: | 日東牧場 |
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馬主: | 鎌田三郎 |
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調教師: | 八木沢勝美(東京) |
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競走成績 | |
生涯成績: | 21戦6勝 |
獲得賞金: | 1億0813万1000円 |
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ニットウチドリ(1970年 - 1990年)は日本の競走馬。1973年に桜花賞とビクトリアカップを制し、最優秀4歳牝馬に選ばれた。同期には稀代のアイドルホース・ハイセイコーがいる。
- 馬齢については原則旧表記(数え)とする。
[編集] 競走成績
最後まで引き取り手が現れなかったが故に、牧場の基礎牝馬として残すべく牧場長自ら馬主となったニットウチドリは、親戚関係にある早来・吉田牧場で入念に乗り込まれてデビューとなった。だが、肝心の新馬戦はよもやの連敗。だが、3戦目の未勝利戦をレコードタイムで勝ち上がり、快速馬としての能力の高さを見せ付けた。
クラシックシーズンに突入したニットウチドリであったが、其処には最優秀3歳牝馬の強敵・キシュウローレルがおり、桜花賞挑戦も馬主が調教師を説得しての参戦であった。ニットウチドリは馬主の期待に応え、阪神4歳牝馬特別を1分22秒8のコースレコードで勝利し、1番人気の桜花賞では1分35秒4のレースレコードで2走ともキシュウローレルを下した。2走とも、逃げるキシュウローレルを2番手マークから突き放すと言う完勝劇であった。その後、4歳牝馬特別では3着、オークスではナスノチグサ(桜花賞馬ナスノカオリの全妹)に敗れ2着で春のシーズンを終えた。秋は京都牝馬特別こそ道悪で凡走したが、次走ビクトリアカップ(京都2400メートル。現在では秋華賞に相当)を快勝しナスノチグサにオークス惜敗の借りを返し、暮れの有馬記念でもストロングエイトの2着逃げ粘りと好走した。この好成績が決め手となり、最優秀4歳牝馬に選ばれた。
しかし激戦の疲れのためか、古馬になってからは翌年1月のAJCC(東京2400メートル)で惨敗してから、見るべきものはない。
[編集] 引退後
1974年11月26日に引退したニットウチドリは、故郷・日東牧場で繁殖生活に入った。クラシックの反動から体調不良に陥っていたニットウチドリであったが、何とか牧場スタッフの懸命な看病により繁殖牝馬として活躍する事となった。
繁殖牝馬としてのニットウチドリは仔出しの良さで定評があったが、肝心の産駒の成績は思わしくなく、初年度のシンザン産駒・エスパルが22戦6勝が最高であった。
その後も順調に繁殖生活を送っていたが、1990年5月1日にビゼンニシキの牝馬を産み落とした3日後に体調を崩してしまう。急いで獣医を呼んだものの、子宮破裂を起こしており既に手の施しようが無く、ニットウチドリは5月6日に息を引き取った。
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