ドリーム開発ドリームランド線
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ドリームランド線は、かつて神奈川県鎌倉市の大船駅(ドリームランド線の大船駅は横浜市栄区側)と、横浜市戸塚区のドリームランド駅を結んでいたドリーム開発株式会社のモノレール路線である。1967年に運行が休止され、再開されないまま2003年に正式に廃止された。
一般にはドリームランドモノレール・ドリームモノレールと呼ばれていた。
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[編集] 路線データ
- 路線距離(営業キロ):5.3km
- 方式:跨座式(東芝式)(運転休止後に浮上式鉄道に変更)
- 駅数:2駅
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化方式:直流1500V
- 閉塞方式:票券閉塞式(運転休止後に自動閉塞式に変更)
[編集] 歴史
[編集] 開業
1964年8月1日、日本ドリーム観光株式会社により、横浜市戸塚区俣野町に遊園地「横浜ドリームランド」が開園された。これに伴い、同社の子会社として設立されていたドリーム交通株式会社が、その連絡手段として1966年5月2日にモノレール大船線として開業した。運賃は片道170円(小児90円)、往復300円(小児150円)で、当時は国鉄の初乗りが20円だったことからすると相当な高額である。ただし、入場券は国鉄と同じく20円(小児同額)であった。
ドリームランド駅から大船駅を結ぶ路線が最初に開業した。ドリームランド駅から、当初は小田急電鉄の六会駅(現:六会日大前駅)まで、後に長後駅までの路線を開通させる計画も存在し、路線免許申請はなかったものの、ドリーム交通や日本ドリーム観光の公式文書などに明記されている。ドリームランド駅側付近の軌道の一部に、複線用の橋脚が使われていたのはそのためである。
[編集] 運行休止
運行から約1年半後、軌道を支えるコンクリート等に亀裂が発見され、他にも車両重量超過など安全性が問題視された。そのため、東京運輸支局から運行休止勧告が下され、1967年9月23日限りで運行休止、同年9月27日に正式に営業が休止した。
設計段階では、車両の自重は30tだったが、休止時に実際に車両を計測したところ46tと、設計重量を16tもオーバーしていた。これは、国鉄(当時)大船駅-ドリームランド間の土地の起伏に合わせて軌道・橋脚を建設したことに因る。最大100‰というモノレールとしては最も勾配が厳しい路線となったため、車両をもっと速く走らせようと考え、出力の高いモータに変えるなどの改造を行った結果、重量も同時に上がり、軌道の許容重量を超えてしまった。
[編集] 運行休止中の動き
ドリーム交通は、モノレールの設計元である東芝を提訴したが、1981年1月に和解が成立した。
1982年3月、ドリーム交通は、同路線の経営権や事業免許をダイエーの子会社であるドリーム開発に譲渡し、解散した。さらに1988年、日本ドリーム観光もダイエーの傘下に入った。
JR大船駅から数100メートル先、柏尾川沿いにあったドリーム交通大船駅のプラットホームは長らく放置されていた。1980年代後半に芸術家グループが駅本屋を「ワークショップ」として利用していたこともある。しかし、経年劣化により腐食した鉄骨が崩壊する恐れがあったため、1992年2月に軌道のみを残して撤去され駐車場となり、軌道・橋脚撤去後の2005年には建売住宅が建設された。
同じく放置されていたドリームランド駅も2003年に撤去されている。
ドリームランド駅の先にはモノレールの車両基地があり、休止後は構内に放置された車両とともに廃墟となっていたが、1987年に整地され跡地はバス停や、当時ダイエー系列だったコンビニエンスストア・ローソンとなった。後者の店名は「ローソン横浜ドリームランド駅前店」で、鉄道事業休止から20年が経過して開店したにも係らず駅名が採用されていた。同店舗は2005年9月18日まで営業しており、2006年3月に僅かに位置を変えて「ドリームバスターミナル前店」として再開している。
[編集] 再開計画
運行再開については、いくつかの事業計画が出されては立ち消えとなっていた。1995年、運行方式をモノレールから急傾斜に強い浮上式鉄道(HSST)に変更し、路線名もドリームランド線へと改称する最後の再開計画が立案された。この計画は、途中に3駅を設け、通勤路線化も目指したものであり、相鉄いずみ野線延長線上の下飯田付近(現:ゆめが丘駅)への延長計画もあった。
しかし、軌道から車両を浮かすほどの大量の磁気が放たれる、というHSSTに対するイメージにより、沿線住民が電磁波によるテレビ・携帯電話等の電波障害、医療機器の誤作動、脳腫瘍など人体そのものへの悪影響、他の種々の被害を不安視した。また、平日は通勤時間帯以外の利用者確保に目処が立たないため、建設コストの大きいHSST方式では設備投資の回収が見込めないことなどから、2001年9月にはHSSTのほか、新しい技術である小型モノレール方式や上下分離方式の可能性等も検討された。
[編集] 廃止へ
結局、横浜ドリームランドがダイエーグループの経営再建の一環として2002年2月17日に閉園されると、モノレールの再開計画も不採算必至と判断され、同年8月21日に運行再開の断念と廃止が発表された。
モノレールの軌道や設備の一部は、運行休止後40年近い間残されたままとなっていたが、事業計画が中止された後に大部分の跡地が横浜市に売却された。橋脚などの早期撤去を条件に売却されたため、2003年9月1日から一部の施設の撤去が行われ、2005年上半期までに殆どの軌道・橋脚が撤去された。免許も2003年9月18日に廃止された。
それらの跡地は、宅地開発や、2004年10月に発生した台風22号による土砂災害の復旧工事などで大きく姿を変えている。そのため、現在では古い地図を見ながらでなければ、軌道の存在した場所を探しあてることは困難である。しかしながら、休止期間が大変長かったために、ファンが撮影した軌道の写真等はよく残っている。テレビの廃墟特集等でも何度か取り上げられた。
[編集] 廃止後の動き
1970年代に一部売却された旧ドリームランドの敷地に建設された団地「ドリームハイツ」は、分譲の際にドリームランド線の再開を前提に募集を掛けていた経緯もあり、住民のあいだでモノレールもしくはそれに準じた交通システムの再開を望む声が多い。横浜ドリームランド跡地へ学校法人都築第一学園によって横浜薬科大学が2006年4月に設立されてからは、その声は非常に高まっている。
旧ドリームランドへは大船駅・戸塚駅・横浜市営地下鉄立場駅などを発着するバスしか交通機関がない。戸塚駅・大船駅に対してはかなりの頻繁運転だが、一部便を除いては、県下屈指の渋滞箇所として悪名高い国道1号・原宿交差点を通らなければならない。そのため、「横浜薬科大学に通学する学生の輸送のためにバスの便数が増え、ただでさえ酷い原宿交差点の渋滞をさらに悪化させてしまう」というのが再開希望派の住民の主張である。
しかし、現実問題として、
- 用地の再取得が不可能。
- 現在ではかつての延長計画とほぼ同一のルートで、ドリームランド線の代替とも言われる市道環状4号線が開通し、立場駅から湘南台駅までの横浜市営地下鉄沿線へバス路線を増やせる見通しが立った。
- 原宿交差点も立体交差化工事が着手されている。
- ドリームランド線の事業者だったドリーム開発株式会社が2005年11月に解散している。
- 現在の土地所有者でもある横浜市が、横浜薬科大学への交通便をバスに限定する方針を宣言していることから、ドリームランド線の今後は横浜市に委ねられている。
などの要因により、仮に横浜市の考えが変わったとしても、運行再開が実現する可能性はないと考えられる。
なお、1997年に策定され横浜市企画局が推進している「ゆめはま2010プラン」の中にドリームランド線運行再開事業があり、1996年事業化検討、2001年実現を目指していた。
[編集] 駅一覧
大船駅 - (小雀信号所)- ドリームランド駅
[編集] 接続路線
- 大船駅:東海道本線・横須賀線 (根岸線・湘南モノレール江の島線は、営業当時は未開業)
[編集] 外部リンク
- ドリーム開発株式会社(Internet Archive)←閲覧の際文字化けが発生する場合はエンコードをShift_JISに変更されたし。
- ダイエー子会社(ドリーム開発株式会社と他1社)の解散に関するお知らせ
- 横浜市 都市整備局 都市交通 ドリームランド線
- ダイエー:「モノレール大船・ドリームランド線」のモノレール事業中止に関するお知らせ
- 日本のモノレール ドリーム交通
- ドリーム交通モノレール線
- 夢破れた悲運のモノレール ドリーム交通
- 過去の栄華 ドリーム交通
- ドリームランド・メモリーズ
- ドリームランドモノレール線
- 写真の缶詰 ドリームランドモノレール
- 平成15年 交通問題対策特別委員会 ドリームランド線について