ドイツ社会主義統一党
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ドイツ社会主義統一党(ドイツ語:Sozialistische Einheitspartei Deutschlands 略称:SED)はドイツ民主共和国(旧東ドイツ)の政党。マルクス・レーニン主義を掲げた政権政党だった。「ドイツ統一社会党」、また逐語訳ではないが「東ドイツ共産党」と訳される場合もある。
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[編集] 概要
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1946年10月にドイツのソ連占領地区でドイツ共産党とドイツ社会民主党が合併して成立した。もっとも、西側占領地区のドイツ社会民主党は、そのまま存続して現在に至っている。ベルリンは共産党との統一の賛否を決める投票が行われた。しかし、東ベルリンではソ連軍によって投票が禁止されたため、実際投票が出来たのは西ベルリンの党員のみであった。その結果、共産党との統一に賛成したのはわずか12パーセントであったため、ベルリンは東ベルリンも含めて統一党成立後も一定期間、社会民主党が存続した(西ベルリンの社会民主党が東ベルリンでも活動を許されていた。一方で西ベルリンには西ベルリン社会主義統一党も存在した)。
合併後、最初期は指導部の半分ずつが旧共産党と旧社民党であったが、旧ドイツ社会民主党系の党員は徐々に除名され、実体は共産党と何ら変わらないものとなった。ただ1946年当時存在していた政党としてはドイツ最古であったドイツ社会民主党は、全国に強力なネットワークを持っていたため、ドイツ共産党が政権を掌握する上での利用価値は非常に高かったとされる。(合併当時、共産党員が60万名に対して、社会民主党は68万人と数の上では社会民主党のほうが優勢であった。)
1949年にソ連占領地区がドイツ民主共和国となると、国家を指導する党として事実上の一党独裁体制を敷き、東ドイツを支配した。
1989年の民主化で政権を失い、社会主義統一党/民主社会党(SED/PDS)を経て民主社会党 (PDS) と改名した。後に同党はドイツ社会民主党(西側占領地区→旧西ドイツ)の左派の一部を受け入れて、左翼党を結成。連邦議会第4党として一定の勢力を保ち、特に旧東ドイツでは根強い支持を受けている。
[編集] 歴代指導者
[編集] 議長
- オットー・グローテヴォール(1946 - 1950、共同議長)
- ヴィルヘルム・ピーク(1946 - 1950、共同議長)
[編集] 書記長
正式には「中央委員会書記長」。1953年から1976年までは「第一書記」。
- ヴァルター・ウルブリヒト(1950 - 1971)
- エーリッヒ・ホーネッカー(1971 - 1989)
- エゴン・クレンツ(1989)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
『国際軍歌蒐集館』より「ドイツ社会主義統一党党歌」・原語歌詞と日本語の対訳および音声ファイル