テレビマンユニオン
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場
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略称 | テレビマンユニオン |
本社所在地 | 日本 150-0001 東京都渋谷区神宮前5丁目53番67号 コスモス青山south棟 |
電話番号 | 03-6418-8700 |
設立 | 1970年2月 |
業種 | テレビ番組制作業 |
事業内容 | テレビ番組制作、コンサート企画制作、映画企画制作 |
代表者 | 代表取締役社長 白井博 |
資本金 | 1億5000万円 |
売上高 | 59億8355万円(2006年3月期) |
従業員数 | 約300人(契約者含む) |
主要株主 | TBS、従業員持株会、東通、IMAGICA、仕事、東京コンサーツ、萩本欽一 |
主要子会社 | トゥディ・アンド・トゥモロウ、ジェノム、シネフィル |
外部リンク | http://www.tvu.co.jp/ |
特記事項:役員 / 代表取締役会長・CEO 重延浩、代表取締役社長 白井博、代表取締役副社長 浦谷年良、取締役副会長 今野勉、専務取締役 村田亨、常務取締役 土橋正道・田中直人・加藤義人、取締役 高橋龍一・杉田浩光、取締役<非常勤> 村木良彦 主要取引先 / NHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京、毎日放送、朝日放送、関西テレビ、読売テレビ、WOWOW、電通、博報堂、IMAGICA |
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株式会社テレビマンユニオンは、日本のテレビ番組制作会社である。
目次 |
[編集] 歴史・概要
1970年2月25日、TBSを退職したディレクターが中心となって設立した日本で最初の独立系制作プロダクションである。技術分室は東京都港区赤坂6-4-2 赤坂MSビルディング。
設立の背景には、1968年のTBSのニュース番組『JNNニュースコープ』のベトナム戦争報道を巡り、担当したスタッフが現場から外されたことに対して、労働組合(ユニオン)員の報道局員がストライキをうった労働争議があった。この流れのなかで報道部門の萩元晴彦と村木良彦、ドラマ部門の今野勉らディレクターが1969年、TBSを退社。翌年のテレビマンユニオン設立に繋がった。
やがてTBSとの関係を修復したテレビマンユニオンは、TBSから発注された仕事を中心にこなしながら、数々のヒット番組を制作する。その成功に倣って、以降、制作プロダクションが続々と設立された。
[編集] 「テレビ論」
独立系制作プロダクションの草分けと位置付けられ、制作業界ではオピニオンリーダー的立場を担ってきた。制作する番組は、テレビ番組に贈られる各賞を毎年のように受賞する。
同社がオピニオンリーダーと目される理由は、メンバーたちが徹底したテレビ論を発信し続けている点にある。
設立メンバーである萩元晴彦・村木良彦・今野勉の共著「お前はただの現在にすぎない テレビになにが可能か」(1969年)では、テレビ的表現とは何かを様々な人物へのインタビューなどを通して掘り下げた。テレビマンユニオンメンバーの精神的支柱ともなっているこの本は、表現の世界を志す大学生などに影響を与え、この本を契機にジャーナリストを志した者も多いという。現在もなお、テレビ論の名著と高く評価されている。
[編集] 演出手法
表現論でも様々な手法を開拓してきた。日本初のドキュメンタリードラマ『欧州から愛をこめて』(1975)では、ドラマとドキュメンタリーという異なるジャンルを融合させた。また、日本初の3時間ドラマ『海は甦える』(1977)はのちの長時間ドラマブームの先駆けとなった。
制作会社で小型ビデオカメラを使った撮影を行ったのは同社が最初である。 発足当初の1970年代にはスタジオを使えなかったという事情を逆手にとって、小型のビデオカメラを用いて屋外ロケをする番組を次々と制作。『遠くへ行きたい』、『マイテレビジョン』などは、当時出始めたENGと呼ばれる小型ビデオカメラを使用した先駆的な作品と評されている。それまでビデオカメラは大型で、ロケでは16ミリのフィルムカメラを使用していた。
また、日本で初めてビデオ撮影の海外ロケを行なったのも、同社の『欧州から愛をこめて』の撮影においてである。独立プロダクションの同社のビデオ撮影作品を支えたのは、1975年に東洋現像所(現・IMAGICA)が設立したビデオのポスト・プロダクション施設だった。
[編集] 「下請け」からの脱却
制作会社=テレビ局の下請け、という構図から脱却し、独立した創造集団を目指してきたのも同社の特徴である。
『海は甦える』の制作においては、放送局のTBSではなく広告主である日立製作所へ企画を持ち込んだ。そして日立を直接スポンサーとして迎えた後に、TBSへ放送を持ちかけている。同じような手法で番組が立ち上がった『日立 世界・ふしぎ発見!』は日立(グループ)の単独提供として20年以上続く長寿番組となっている。
[編集] 積極的な経営
同社のドキュメンタリーディレクター・是枝裕和が1995年、映画『幻の光』を監督したのを皮切りに映画制作も積極的に行っている。同作品は、第52回ヴェネチア国際映画祭で金のオゼッラ賞を獲得したほか、2004年に制作した映画『誰も知らない』(監督・是枝裕和)では主演俳優・柳楽優弥が、第57回カンヌ国際映画祭の最優秀男優賞を受賞した。
1996年の5月には、シネフィルの設立に際して出資を行なった。シネフィルはパーフェクTV!(後にスカイパーフェクTV!)で芸術的な映画を専門に放送するチャンネル「洋画★シネフィル・イマジカ」を運営する会社である。
[編集] 社名らしい経営手法
株式会社ではあるが、「ユニオン」の名が示すように、組合的な会社運営がなされる。スタッフ全員が株主であり、役員はスタッフの互選で選ばれる。また、待遇も採用の初年度こそ社員扱いであるが、数年経つと全員が優先契約者となり、月給でなく稼ぎ高に応じた歩合を支給。メンバーは組織の一員ではなく、個人の才覚を重視して独立性が重んじる方針をとる。テレビマンユニオンではこの制度をメンバーシップ制と呼んでいる。
ちなみに、主要株主として設立以来欽ちゃんことタレントの萩本欽一が名を連ね、かつては映画監督の伊丹十三も株主のひとりだった。
[編集] 制作番組
[編集] 放送中のテレビ番組(2008年5月現在)
- 日立 世界・ふしぎ発見!(TBS)
- 世界ウルルン滞在記"ルネサンス"⇒世界ウルルン滞在記2008(毎日放送)
- 遠くへ行きたい(読売テレビ/ytv)
- テスト・ザ・ネイション 全国一斉IQテスト(テレビ朝日)
- 食彩の王国(テレビ朝日)
- 未来創造堂(日本テレビ)
- 情熱大陸(毎日放送、制作協力)
- わたしが子どもだったころ(NHK)
[編集] 過去のテレビ番組
- アメリカ横断ウルトラクイズ(日本テレビ)
- オーケストラがやってきた(TBS)
- 3時間ドラマ『海は甦える』(TBS)
- ピーマン白書(フジテレビ)
- ターニングポイント(朝日放送)
- 健康クイズ(テレビ東京・フジテレビ)
- ジャングル・ブック(テレビ朝日)
- マジック王国(テレビ東京)
- 時空警察PARTI~V(日本テレビ)
- 世界プチくら!(朝日放送)
- 三宅式こくごドリル(テレビ東京)
- 怨み屋本舗(テレビ東京)
- グレートマザー物語(テレビ朝日)
- おかえり!(テレビ朝日)
- アートの遺伝子Z(日本テレビ)
- クイズモンスター(NHK)
- モテケン(テレビ東京)
- 語源刑事(テレビ東京)
- 奇跡の動物園~旭山動物園物語(フジテレビ)
- オトナの資格(日本テレビ)ほか。
[編集] 制作映画
- 幻の光(1995) 監督:是枝裕和
- 落下する夕方(1998) 監督:合津直枝
- ワンダフルライフ(1998) 監督:是枝裕和
- DISTANCE(2001) 監督:是枝裕和
- うつつ(2002) 監督:当摩寿史
- 蛇イチゴ(2003) 監督:西川美和
- カクト(2003) 監督:伊勢谷友介
- 誰も知らない(2004) 監督:是枝裕和
- スクールデイズ(2005) 監督:守屋健太郎
- TAKI183(2006) 監督:小林正樹
- 花よりもなほ(2006) 監督:是枝裕和
- ゆれる(2006) 監督:西川美和
[編集] おもな受賞歴
[編集] 1972年
- 「遠くへ行きたい 伊丹十三の日の出撮影大作戦」 ギャラクシー賞 第20回期間選奨
- 「オーケストラがやって来た」 テレビ大賞 優秀番組賞
[編集] 1975年
- 萩元晴彦を代表とするテレビマンユニオン テレビ大賞 特別賞
- 「欧州から愛をこめて」 テレビ大賞 優秀番組賞
[編集] 1977年
- 「海は甦える」 テレビ大賞 優秀番組賞
[編集] 1978年
- 「蒸気が世界を動かした」 ロンドン科学博物館 第12回科学放送賞
[編集] 1980年
- 「小澤征爾の世界~萩元晴彦音楽レポート」 ギャラクシー賞 第17回選奨
- (株)テレビマンユニオン テレビ大賞特別賞
[編集] 1982年
- 「印象派・光と影の画家たち」 ギャラクシー賞
[編集] 1983年
- 「ドキュメンタリー特集・生命潮流」 テレビ大賞 優秀番組賞
- 「波の盆」 テレビ大賞 優秀番組賞、文化庁芸術祭 テレビドラマ部門大賞
[編集] 1984年
- 「波の盆」 ATP賞 グランプリ
- 「ふたりの約束」 テレビ大賞 優秀番組賞
[編集] 1987年
- 「史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ 10周年記念シリーズ」 ギャラクシー特別賞、ATP賞 優秀賞
[編集] 1988年
- 「史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ」 ギャラクシー賞25周年記念 特別賞・ユーモア賞
[編集] 1991年
- 「NONFIX しかし…福祉切り捨ての時代に」 ギャラクシー優秀賞
- 「ベルリン美術館 もうひとつのドイツ統一」 ギャラクシー特別賞
[編集] 1995年
- 「NONFIX SPECIAL 彼のいない八月が」 ギャラクシー第32回選奨
- 「月曜スペシャル 真昼の月 続・病院で死ぬということ」 第21回放送文化基金賞(ドラマ部門)奨励賞
- 「赤い夕日 小澤征爾、故郷の指揮台に立つ」 文化庁第10回芸術作品賞
- 「三宅一生ドキュメンタリー ISSEY MIYAKE MOVES」 第42回コロンバス国際映画ビデオ祭 ブロンズ・アワード
、第30回シカゴ国際映画祭 優秀賞、第28回ヒューストン国際映画祭 芸術文化部門 ブロンズ・アワード、第25回ナショナル・エデュケイショナル映画ビデオ祭 金賞
- 映画「幻の光」 第52回ヴェネチア国際映画祭 金のオゼッラ賞、第14回バンクーバー国際映画祭 ドラゴン&タイガーヤングシネマ賞(新人賞グランプリ)、第31回シカゴ国際映画祭 グランプリ(ゴールドヒューゴ賞)、第28回ジョルジュ・サドゥール賞 審査員特別賞
[編集] 1996年
- 「ドキュメンタリー人間劇場 鬼が染めし一竹辻が花」 第44回コロンバス国際フィルム&ビデオ・フェスティバル ブロンズ賞
- 「NONFIX SPECIAL 彼のいない八月が(NONFIX "August Without Him")」 第44回コロンバス国際フィルム&ビデオ・フェスティバル 優秀作品賞
[編集] 1997年
- 「世界ウルルン滞在記」 第5回橋田賞
- 「記憶が失われた時~ある家族の2年半」 第23回放送文化基金賞
- 「神々の指紋スペシャル」 第45回コロンバス国際フィルム&ビデオ・フェスティバル 優秀作品賞
[編集] 1998年
- 「神々の指紋スペシャル」 第40回ニューヨークフェスティバル テレビ番組ドキュメンタリーヒストリー&ソサェティー部門 銀賞
- 映画「ワンダフルライフ」 ナント三大陸国際映画祭 グランプリ、サン・セバスチャン国際映画祭 国際映画批評家連盟賞、トリノ国際映画祭 最優秀脚本賞
[編集] 1999年
- 映画「ワンダフルライフ」 ブエノスアイレス映画祭 グランプリ
- 「課外授業ようこそ先輩」 第25回放送文化基金賞 個人・グループ部門(放送文化)
[編集] 2000年
- 「花の中の華、桜と牡丹を描く ~中島千波・創作の軌跡~」 第48回コロンバス国際フィルム&ビデオ・フェスティバル 優秀作品賞
[編集] 2001年
- 「子供が見たルーヴル美術館」 ニューヨークフェスティバル アートドキュメンタリー部門 金賞、第37回シカゴ国際テレビジョン 教育部門 優秀賞
- 映画「ディスタンス」 第16回高崎映画祭 最優秀作品賞
- 「世界ウルルン滞在記」 グッドデザイン賞・審査委員長特別賞・メディアデザイン賞
[編集] 2002年
- 「世界ふしぎ発見」 橋田賞
[編集] 所属タレント
- 竹内海南江(『世界・ふしぎ発見!』リポーター)
[編集] 関連項目
- 萩元晴彦(創設メンバー)
- 萩本欽一(創設以来の株主)
- 全日本テレビ番組製作社連盟