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ソロモン諸島の戦い - Wikipedia

ソロモン諸島の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ソロモン諸島の戦い

1942年8月8日、敵の弾幕を掻い潜り雷撃する一式陸攻
戦争太平洋戦争
年月日1942年1月 - 1945年8月15日
場所ソロモン諸島
結果:連合軍の勝利
交戦勢力
日本の旗大日本帝国 アメリカ合衆国
オーストラリア
ニュージーランド
イギリス
指揮官
山本五十六
井上成美
塚原二四三
草鹿任一
三川軍一
田中頼三
今村均
チェスター・ニミッツ
ダグラス・マッカーサー
フランク・J・フレッチャー
リッチモンド・K・ターナー
損害
戦死 80,000
艦船 50隻
航空機 1500機
戦死 11,000
艦船 40隻
航空機 800機
ソロモン諸島の戦い
FS作戦 - ウォッチタワー作戦 - フロリダ諸島 - ガダルカナル - 第一次ソロモン - 第二次ソロモン - サボ島沖 - ヘンダーソン基地艦砲射撃 - 南太平洋 - 第三次ソロモン - ルンガ沖 - レンネル島沖 - ケ号作戦 - ビスマルク海 - ビラ・スタンモーア - ニュージョージア島 - い号作戦 - クラ湾 - コロンバンガラ島沖 - ベラ湾 - 第一次ベララベラ - 第二次ベララベラ - ラバウル攻撃 - ブーゲンビル島 - ブーゲンビル島沖 - ろ号作戦 - セント・ジョージ岬沖

ソロモン諸島の戦い (―しょとうのたたかい)とは、太平洋戦争中の日本軍とアメリカ軍の間で、ソロモン諸島の争奪を巡り行われた戦闘のことを示す。ガダルカナル島での地上戦を含めた6ヶ月間に及ぶ一連の戦闘をガダルカナル島の戦いとも称する。

目次

[編集] 背景

太平洋をめぐる日本と連合国との戦いは、緒戦の南方作戦では周到に準備した日本軍が西太平洋を制し、南方資源地帯を押さえる結果となった。資源的に余裕が出てきた日本軍は第二段作戦として、陸軍の中国・インドを押さえようという案と、海軍のオーストラリアを押さえる案とが浮上してきた。しかし、海軍軍令部はオーストラリアを押さえるには新たに20万人程度の軍が必要と試算、陸軍側と折衝したが中国戦線を主戦場と見る陸軍側はこれを拒否した。このため軍令部はアメリカとオーストラリアの間の交通を分断し、オーストラリアを孤立させ、休戦させるという構想(米豪遮断作戦)を立て、陸軍の了承を得るにいたった。そのため、日本海軍は主目的をフィジーサモアとする攻略作戦(FS作戦)を計画しており、これに必要な飛行場建設地をソロモン諸島で探していた。そして見つかったのがガダルカナル島である(この地の対岸側にあたるツラギ島は、珊瑚海海戦直前の5月3日に占領し、水上機部隊を若干ながら進出させていた)。ミッドウェー海戦での敗北後、日本軍はFS作戦を行うことに決め、ガダルカナル島に飛行場設営隊を送り1942年7月16日から飛行場の建設を開始した。飛行場は8月5日には完成し、16日に戦闘機を派遣する予定だった。一方、連合軍はミッドウェー海戦後の7月2日ウォッチタワー作戦と呼ばれる反攻作戦を発動。8月7日アメリカ海兵隊第1海兵師団を主力とするアメリカ軍がソロモン諸島の島々に上陸した。

[編集] ガダルカナル島をめぐる戦い

[編集] ガダルカナル島

詳細はガダルカナル島の戦いを参照

日本軍が占領しルンガ飛行場(後のヘンダーソン飛行場、ホニアラ国際空港)を建設していた。しかし、アメリカ軍が上陸すると日本軍の度重なる奪還作戦は失敗、1943年2月に日本軍は撤退した。

[編集] フロリダ諸島

1942年時の前線
1942年時の前線

詳細はフロリダ諸島の戦いを参照

ツラギ、タナンボコ、ガブツなどの島に海軍の横浜海軍航空隊(水上機部隊)と陸戦隊(第八十四警備隊)が駐留していた。ツラギ島にはソロモン諸島の政庁が存在し、港町として発展していた。ガダルカナルと同じ7日早朝、海兵隊が上陸開始。多大な損害を与えたものの、翌8日に玉砕した。

ガブツ、タナンボコ両島は木造の連絡橋で結ばれていた。ガブツ島には7日の午前10時に米軍は上陸を開始し、同日中に守備隊は玉砕。タナンボコ島には7日21時に米軍は上陸を試みるも失敗。翌8日、米軍は15時と16時頃に攻撃を開始するも、守備隊の抵抗に遭い一時撤退する。しかし17時頃に、米軍は軽巡1隻、駆逐艦2隻を島の北方500mの至近距離に進出させ、艦砲射撃を開始した。この攻撃により、守備隊は3人を残して全員が玉砕し、その後米軍は同島に上陸を開始。同日中に無血占領を果たした。

[編集] 戦闘の経過

連合軍の補給線
連合軍の補給線

1942年5月3日、早速日本海軍はわずかな守備隊と飛行場設営隊を送り込み飛行場建設を開始した。一方この情報をつかんだアメリカ軍は、8月7日に飛行場建設が完成目前のガダルカナル島に海兵隊16,000名を上陸させ、さしたる抵抗も受けずに島を占領した。またこれと同時にフロリダ島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に対しても陸海共同の占領作戦が行われた。ウォッチタワー作戦と呼ばれるこれらの作戦は、太平洋戦線のアメリカ軍にとっては初めての攻勢であった。こうしてそれまでまったく誰からも注目されていなかったガダルカナル島は日米両軍の最大の交戦地となった。

米海軍は戦艦を含むあらゆる軍艦をこの島の周辺に送り込んだ。それに対し日本陸海軍は、ソロモン諸島奪還を目的とする「カ号作戦」を発令したが、海軍はその頃効果の現れだした米軍の通商破壊戦による影響から燃料不足に陥っており、そのため新鋭戦艦大和を保有しながらも戦艦は旧式の金剛型4隻のみを送り出した。このことは、速力や機動性(後にアイアンボトム水道と呼ばれる水域は非常に機動性の悪い海域であった)を考えても金剛型の方が適しており、長門や扶桑のほうが砲力も上であったが速力が遅く、あまり適していなかったため、このような対応になった。このことは米海軍が全力を挙げて、持てる戦力のすべてを挙げて攻勢に出ているのに対して、積極性を欠いていたとの指摘もあるが、山本五十六連合艦隊司令長官は、大和を率いて戦艦部隊全体での殴りこみを企図しており、その検討にも入っていた。しかし、なにぶん燃料不足に陥っていた日本海軍としてはこの辺が能力の限界であったとも言える。この日本海軍の行動はミッドウェー海戦とおなじく太平洋戦争の敗北原因の1つとされている。さらにこのソロモンでの戦いでラバウル航空隊は往復2,000キロもの長距離飛行を強いられた。そのため、熟練搭乗員の疲労は激しく、多くの航空機と貴重な搭乗員を無駄に消耗していった。また日本が建設しアメリカ軍が命名したヘンダーソン飛行場を巡る地上戦では、日本軍の状況判断の誤り、輸送能力の不足、戦力の逐次投入などにより攻撃はことごとく失敗し、戦況は泥沼化した。

一連の撤退作戦が行われた後、1943年2月9日ガダルカナル島からの転進を伝える大本営発表が行われた。この戦いにおける日本軍の死傷者24,000名(大部分が餓死・戦病死)、アメリカ軍の死傷者6,000名を数えるまでになっていた。こうして、戦略の失策と、圧倒的な物量差から日本軍はソロモンでの戦いに敗北、ガダルカナルから撤退し、以後戦況は悪化の一途をたどる。

[編集] 主な戦い

丸括弧内は連合軍における呼称。

1942年

1943年

これらの海戦により勝敗が決定的になることはなかったが、日本軍は最後までガダルカナル島を奪回することはできなかった。

[編集] 日本軍のガダルカナル島撤退後

日本軍のガダルカナル島撤退後、アメリカ軍の攻勢は強まり、3月5日にはコロンバンガラ島への輸送に当たっていた日本軍の駆逐艦2隻がアメリカ艦隊に撃沈された。また、ニューギニア方面でもラエへの輸送部隊が連合軍の空襲で壊滅した(ビスマルク海海戦)。さらに、連合軍はソロモン、ニューギニア方面の航空機を増強し、この方面の制空権を握っていた。この状況を打開するため日本軍はソロモン、ニューギニア方面への大規模な航空作戦を実施したが、たいした戦果は挙げられなかった(い号作戦)。そして、この作戦後前線の視察に向かっていた山本五十六連合艦隊司令長官はブーゲンビル島ブイン上空でアメリカ軍機の攻撃を受け戦死した(海軍甲事件)。

6月30日、アメリカ軍はニュージョージア島の日本軍の飛行場があるムンダの対岸のレンドバ等に上陸した。日本軍の守備隊は少数ですぐに占領した。そして、7月7日にはそこからムンダへの砲撃を開始し、5日にはニュージョージア島にも上陸した。日本軍は何度か増援部隊を送り、これを阻止しようとするアメリカ軍との間で海戦が発生した。8月5日にはアメリカ軍はムンダを占領し、下旬には日本軍はニュージョージア島から撤退した。

8月13日、日本軍は中部ソロモンからの撤退(転進)を決め、10月6日にはベララベラ島からの撤退が行われた。アメリカ艦隊と交戦した(ベララベラ海戦)もののこの撤退は成功した。

11月1日、アメリカ軍はブーゲンビル島タロキナへ上陸した。

[編集] 主な戦い

ソロモン諸島とその周辺
ソロモン諸島とその周辺

1943年

[編集] 結果

日本海軍に大打撃を与えた1942年6月5日ミッドウェー海戦と並び、このガダルカナルの戦いも太平洋戦争におけるターニング・ポイントだと考えられている。日本の勢力圏に最初の突破口を開いた連合軍にとっては太平洋戦線における反攻の開始を意味し、日本軍にとっては敗北の始まりであった。

1944年にはソロモン諸島とニューギニアのほぼ全域を支配したアメリカは帝国海軍の一大拠点であるトラック島の無力化を目標とし、ギルバート・マーシャル諸島の戦いに移っていく。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク



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