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第一次ソロモン海戦 - Wikipedia

第一次ソロモン海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第一次ソロモン海戦

探照灯に照らされる米海軍の重巡クインシー
戦争太平洋戦争
年月日:1942年8月8日-9日
場所:ソロモン諸島、サボ島周辺
結果:日本の勝利
交戦勢力
大日本帝国 アメリカ合衆国
オーストラリア
イギリス
指揮官
三川軍一中将 クラッチレー少将
戦力
重巡洋艦5
軽巡洋艦2
駆逐艦1
重巡洋艦6
軽巡洋艦2
駆逐艦8
損害
重巡洋艦1沈没
重巡洋艦1小破
重巡洋艦4沈没
重巡洋艦1大破
駆逐艦2中破
ソロモン諸島の戦い
FS作戦 - ウォッチタワー作戦 - フロリダ諸島 - ガダルカナル - 第一次ソロモン - 第二次ソロモン - サボ島沖 - ヘンダーソン基地艦砲射撃 - 南太平洋 - 第三次ソロモン - ルンガ沖 - レンネル島沖 - ケ号作戦 - ビスマルク海 - ビラ・スタンモーア - ニュージョージア島 - い号作戦 - クラ湾 - コロンバンガラ島沖 - ベラ湾 - 第一次ベララベラ - 第二次ベララベラ - ラバウル攻撃 - ブーゲンビル島 - ブーゲンビル島沖 - ろ号作戦 - セント・ジョージ岬沖

第一次ソロモン海戦(だいいちじソロモンかいせん)とは、太平洋戦争時、1942年8月8日~9日に日本海軍連合軍アメリカ海軍イギリス海軍オーストラリア海軍)の間で行われた海戦。連合軍の呼称はサボ島沖海戦 (Battle of Savo Island)。

目次

[編集] 背景

ソロモン諸島の戦いも参照

日本海軍はニューカレドニアフィジーサモア方面への進出作戦であるFS作戦の準備のためガダルカナル島に飛行場を建設する計画をたてた。ミッドウェー海戦での敗北によりFS作戦は延期されたものの、失った空母の航空兵力を補うためルンガ飛行場が建設された。アメリカ軍はアメリカとオーストラリアを遮断しようとする日本軍の計画を阻止することはもちろん、ソロモン諸島を奪還するための足場確保と東部ニューギニアの戦いの間接的支援のため、ミッドウェー海戦後にソロモン諸島とサンタクルーズ諸島の奪還と確保が研究された。7月の上旬にはフランク・J・フレッチャー中将指揮の空母エンタープライズサラトガワスプを基幹とする空母部隊、リッチモンド・K・ターナー少将指揮の約1万9千名からなる海兵師団と巡洋艦8隻、駆逐艦15隻、掃海艇5隻からなる上陸部隊と支援艦隊がフィジー諸島に集結した。

そして、8月7日早朝に海兵隊約3,000名を主力とするアメリカ軍がガダルカナル島および対岸のツラギ島に奇襲上陸した。これに対し、ツラギの日本軍守備隊は偵察部隊の飛行艇隊であった横浜空要員を含めて僅か400名にしか過ぎず、奇襲を受けた日本軍守備隊は0420(4時20分)に敵を空母1隻、重巡4隻を含む20隻以上の機動部隊を含む上陸部隊と通報した上で、この海域の警備を担当するために同年7月14日に新設されたばかりの第八艦隊に至急の救援を要請したが、兵力差は圧倒的であり0610(6時10分、以下時間は数字表記)、駐留していた横浜空司令から打電された「敵兵力大、最後の一兵まで守る、武運長久を祈る」との連絡を最後に連絡は途絶。守備隊はその日夕刻に玉砕した。ほぼ同時刻にガダルカナルにも米軍が上陸。これも奇襲となったため飛行場建設のために駐留していたガダルカナル島の日本軍守備隊はとる物もとり合えずガダルカナル島内陸部西方に撤退、情況連絡する余裕もなく敗退した。

ツラギからの緊急電を受けた日本海軍第八艦隊司令部ではこの反攻作戦を単なる強行偵察程度としか認識しておらず、本格的な反攻作戦と受け止めてはいなかった。また上陸部隊の援護部隊の規模も空母1隻を含む一個機動部隊程度の小規模なものであろうと考えていた。(実際は正規空母3隻、戦艦1隻他補助艦艇多数の大部隊)従って基地航空隊で機動部隊を、第八艦隊で残る水上部隊を駆逐し、その後に一個大隊程度の陸戦隊を投入すれば占領された地域を早期に奪回できると考えて、第八艦隊参謀神重徳大佐が発案した殴りこみ作戦を採用し、即座に出撃準備を始めた。これは三川軍一中将旗下の第八艦隊旗艦重巡「鳥海」と、丁度アドミラルティ諸島付近を行動中でツラギからの緊急電によりラバウルに向かって南下していた五藤存知少将率いる第六戦隊の重巡4隻の計5隻でガダルカナル泊地に深夜攻撃をかける作戦であった。

しかしここでラバウルにいた第一八戦隊の軽巡「夕張」「天龍」と第ニ九駆逐隊の駆逐艦「夕凪」の3隻が強行に同行を申し入れてきた。この戦隊は艦齢が古い艦で構成されており、また重巡戦隊に比べて速度も遅く練度も低いため一撃離脱の夜戦には足手まといになるとして当初の作戦計画ではラバウルに置いていく予定であったが、第一八戦隊主席参謀 篠原多磨夫中佐が膝詰談判を行いこれに根負けした三川中将が同行を許可することとなった。但し、本来露払いとして艦隊前衛を務めるべき軽巡、駆逐艦であるこの3隻は夜戦の邪魔にならぬように艦隊最後尾に編入された。更にこの3艦は急遽参加が決まったため、隊内連絡に使う無線電話の設定が間に合わず、作戦中は直接指示を受けられず苦労することとなる。

出撃前の作戦会議で、第八艦隊作戦参謀神大佐は集合した兵力は一度も合同訓練を行ったことがなかったため、もっとも単純な戦法を取ることにして以下のように作戦の要点をまとめ、各部隊指揮官に説明した。

  • 第一目標は敵輸送船であること
  • 複雑な運動を避けて単縦陣による一航過の襲撃とする
  • 翌朝までに敵空母の攻撃圏外に避退すること(ミッドウェーの二の舞を避けるため)
  • ソロモン列島間の中央航路を通ってガダルカナル泊地まで進出する

この作戦計画に沿い、「鳥海」、第一八戦隊は1430、ラバウルを出撃し南下してきた第六戦隊と合流し一路ガダルカナルを目指した。

[編集] 戦闘経過

[編集] 日本軍の空襲

第八艦隊の出撃と相前後して、午前8時頃ラバウルから敵空母攻撃のために零戦17機、陸攻27機、艦爆9機が相次いで出撃。11時頃ガダルカナル上空に達したが空母の姿はなく、ツラギ周辺の敵艦船攻撃に移った。しかし、ツラギ上空にはブーゲンビル島監視員からの報告を受けた敵戦闘機約60機が待ち受けており、攻撃隊は駆逐艦一隻を小破させ戦闘機11機、艦爆1機を撃墜したものの、艦爆隊が全滅、陸攻5機、零戦2機を喪失する損害を受けた。また、この戦闘で坂井三郎一飛曹が被弾し重傷を負いつつも辛うじてラバウルに帰投している。翌八日も零戦15機、陸攻23機で攻撃を仕掛けたが、駆逐艦「ジャービス」を大破、輸送船「ジョージ・F・エリオット」に陸攻一機が体当たりして船体放棄に追い込む戦果を挙げたが、陸攻18機未帰還、零戦1機自爆という大損害を被った。

失敗に終わった敵空母攻撃であったが、米機動部隊指揮官フランク・J・フレッチャー少将は珊瑚海海戦ミッドウェー海戦で指揮下の空母2隻を失っており、今また日本軍基地航空部隊の攻撃圏内に空母3隻を含む機動部隊を置くことに危機感を覚えて一旦攻撃圏外に退避することを決断、南太平洋海軍部隊指揮官R・ゴームリー中将に対して撤退する旨を伝えてその回答を待たずに8日夕刻上陸船団の上空援護を独断で放棄して一路南下して行った。

[編集] 突撃準備

進撃していた第八艦隊は一旦ブーゲンビル島東方海面で待機、8日早朝から敵空母の位置を探るべく艦載水偵により索敵を開始した。午前9時ごろ米哨戒機に発見されるが北方へ偽装航路をとった上で対空戦闘を開始、これを追い払うことに成功した。その後偵察機の報告から250浬圏内に敵機動部隊が見つからなかったため空襲を受けることはないと判断、午前11時ごろブーゲンビル水道に向かって進撃を開始し、午後1時半過ぎに水道を無事通過すると中央航路に突入して行った。この時点で第八艦隊司令部は夜戦に関する詳細な戦闘要領を以下のように決定、各艦に通達した。

  • サボ島南側から突入しルンガ沖の主敵を雷撃後、ツラギ沖の敵を砲雷撃した後、サボ島北側から離脱する。
  • 突入は一航過とし、出来る限り速やかに空襲圏外に離脱する。突入時刻はを2330以前とし、翌日出時(0440)にはサボ島の120浬圏外に避退する。
  • 狭隘な水道内戦闘であるので混乱防止のために各艦距離1200メートルの単縦陣とし、反転突入は全く考慮しない
  • 使用速力は燃料消費率も考慮し26ノットとする。
  • 水偵をガダルカナル泊地に3機、ツラギ港外に1機進出させ吊光弾による背景照明を実施する。
  • 敵味方識別のためマスト両舷に白色吹流を掲げる
  • 右舷側への雷撃が多いと思われるので予備魚雷は全て右舷側に移すこと。

これらを伝え終えたうえで、日没後三川長官は以下のように戦闘前訓辞を発する。

   
第一次ソロモン海戦
帝国海軍ノ伝統タル夜戦ニオイテ必勝ヲ期シ突入セントス。各員冷静沈着ヨクソノ全力ヲツクスベシ
   
第一次ソロモン海戦

日本海軍第八艦隊は、重巡鳥海」を旗艦として先頭に立て、同じく重巡「青葉」、「加古」、「古鷹」、「衣笠」、軽巡天龍」、「夕張」、駆逐艦夕凪」の順に航行し、16ノットに増速して一路ガダルカナル泊地を目指した。更にニュージョージア島を通過した2100、照明隊の水偵を発進させた。 泊地突入を行なった艦艇は以下の通りである。

[編集] アメリカ軍の動向

アメリカの上陸部隊はその物資揚陸に手間取っており、どんなに急いでも9日早朝までかかる見込みであった。この輸送船団を護衛するために米水上部隊は以下の三群に分かれて泊地の3つの出入り口で警戒配備についていた。

  • 第62任務部隊(ターナー少将(米))部隊司令官
    • 南方部隊(V・A・C・クラッチレー少将(英)(水上部隊指揮官))サボ島とガ島の間の南水道警備
    • 北方部隊(フレデリック・F・リーフコール大佐(米))サボ島とフロリダ島の間の北水道警備
    • 東方部隊(スコット少将(米))ツラギ島東方とガ島の間のシーラーク水道警備
      • 軽巡「サン・ファン(米)」「ホバート(豪)」
      • 駆逐艦「モンセン(米)」「ブキャナン(米)」
    • 哨戒隊:駆逐艦「ラルフ・タルボット(米)」「ブルー(米)」サボ島南北水道外側に一隻ずつ前程哨戒配備。

戦力は圧倒的に上回ってはいたが、夜を徹して行なわれている物資揚陸作業と、日中の空襲により36時間にわたって戦闘配置が続けられており乗員の疲労は厳しいものがあった。また、8日午前中にブーゲンビル島近海で哨戒機が発見した日本艦隊は北方へ進路を取っており(先述したようにこれは偽装進路)、その後発見の報告はないことから距離的にも進路的にも8日中の日本艦隊の夜襲の恐れはないと安心しきっていた。

また、当時南方部隊旗艦「オーストラリア」は水上部隊指揮官クラッチレー少将がターナー司令官と上陸部隊指揮官バンデグリフト少将と作戦会議を行なうためにツラギ港外の旗艦輸送船「マーコレー」に向かっており、第八艦隊突入時は戦列から離れていた。そのためクラッチレー少将に代わり、一時的に米重巡「シカゴ」艦長ホワード・D・ボード大佐が南方部隊の指揮を取っていた。しかしクラッチレーは統一指揮権を誰にも移譲せぬまま戦列を離れており、これが後に連合軍の情報共有の欠如として現れることとなる。

更にターナー司令官は上述の偵察機の情報より日本艦隊はガダルカナル島ではなくイザベル島に向かっていると判断しており、万が一日本艦隊が突入してきても護衛部隊で撃退できるであろうと楽観していたため、作戦会議の議題はフレッチャーの機動部隊の離脱により上空援護のなくなってしまったこの泊地での揚陸作業を如何に翌日日中の日本軍機の空襲を受ける前に終わらせるか、ということに集中していた。

[編集] 泊地突入

日本海軍艦隊の侵入路
日本海軍艦隊の侵入路

2240、第八艦隊はサボ島南方水道に突入を始めた。2243、旗艦「鳥海」見張員が右舷側距離9000mに敵艦を発見、直ちに三川長官が「戦闘」を下令。この発見した敵艦は連合軍哨戒隊の駆逐艦「ブルー」であった。しかし、「ブルー」は島影による電波の乱反射により装備していた旧式のレーダーがまともに機能していないこともあって第八艦隊に気付かず、遠ざかっていった。直後に今度は左舷前方に敵艦が現れた。これは同じく哨戒隊の駆逐艦「ラルフ・タルボット」でこの艦も第八艦隊に気付かず遠ざかっていった。この2艦は第八艦隊突入前の2145頃、ガ島泊地へ向けて低空で飛び去る敵味方不明の水偵1機を目撃して全艦隊へ警報を発していたが、警報には航空機としか触れておらず、肝心の"艦載水偵"である旨が欠如していたため、連合軍はこれが日本艦隊来襲の前兆であることを見逃してしまった。 突入当時の天候は曇、東南東の風5メートル、視程10kmであったという。

サボ島南方に到達した2331、三川長官により「全軍突撃せよ」が下令され全艦一斉に襲撃運動に入った。この下令直後、「鳥海」の見張員が左舷約15,000mに駆逐艦「ジャービス」を発見。4,500mまで接近した後「鳥海」は魚雷4本を発射したがこれは命中しなかった。この発射直後に今度は右舷方向に巡洋艦2隻を発見、水偵に命じて吊光弾による背景照明を行なわせた。そして先頭艦の豪重巡「キャンベラ」に向けて2347、距離3,700mで魚雷を4本発射。2本の命中を確認後主砲10門による射撃を開始し多数を命中させた。後続の重巡4隻も「キャンベラ」と米重巡「シカゴ」、これらに随伴していた米駆逐艦「パターソン」に向けて砲雷撃を開始していた。

一方で米軍は「パターソン」が接近する第八艦隊を発見、直ちに警報を全軍に送るとともに照明弾を打ち上げ主砲により応戦を開始したが、間もなく2発の20センチ砲弾が立て続けに艦橋、第4砲塔に命中。艦長が戦死し中破した「パターソン」は戦列を離脱していった。「パターソン」の警報により「キャンベラ」では即座に「総員戦闘配置」が下令されたが、この配置が完了する前に「鳥海」が放った魚雷2本が命中。息つく暇もなく20センチ砲弾を雨霰と浴びせられ僅か2分間で2本の魚雷と24発の20センチ砲弾を浴びて航行不能に陥った。(翌日自沈処分)「シカゴ」も警報と同時に対応を始めたが、態勢が整う前に左舷艦首に魚雷1本が命中。直径5mの大穴が空いて浸水が始まると続いて砲撃を浴びせられ、ろくな反撃も出来ずに大破してしまった。

随伴の米駆逐艦「バッグレイ」は敵発見と同時に左急回頭を行い戦闘配置についたが、日本軍からの砲撃はなく、また行なった砲雷撃は「夕張」に命中した一発の盲弾を除いて外れたため完全に戦闘の蚊帳の外であった。

こうして連合軍南方部隊は壊滅し、第八艦隊はツラギ港外に向かった。「パターソン」が第八艦隊を発見してから戦闘が終了するまでの間僅か6分、第八艦隊は「夕張」が一発被弾した以外全く被弾せず一方的な攻撃に終始した。ただ、駆逐艦「夕凪」が電源故障により自艦位置不明となり戦闘海域から離脱し、「天龍」の羅針儀が振動で故障して自艦針路不明となり、また「古鷹」が「キャンベラ」との衝突を避けるために変針し、これに従った「天龍」「夕張」と共に「鳥海」等とは別行動をとることになった。二手に分かれて北上した第八艦隊であったが、これが後に思いもかけない効果を生む。

「鳥海」は「キャンベラ」に対して雷撃を終えた直後、艦首左方向に全く別の敵部隊がいるのを発見。これに対して探照灯を照射して敵部隊の全貌を明らかにするとともに味方に対して注意を促し、突撃に移った。新たに現れたこの部隊は米重巡「ヴィンセンス」艦長リーフコール大佐率いる連合軍北方部隊であった。リーフコールはこの頃既に当直士官に艦橋を任せて仮眠に入っており、第八艦隊と南方部隊の戦闘の砲火を見た「ヴィンセンス」見張員の報告によって叩き起こされた。自分の眼でその砲火を確かめたが先述した統一指揮権の問題により南方部隊の状況が全く不明であったため、それを南方部隊によるガ島への艦砲射撃か、侵入してきた少数の日本駆逐艦と南方部隊の戦闘であろうと思い、状況の整理がついた時点で戦闘参加すべく準備を始めようとしていた。そこへ突然左舷後方から3本の探照灯により照射されたため、彼は味方が混乱して自艦隊を照射したのだろうと思い、信号手に直ちに後方の照射艦に対し「照射を止めよ、われ味方なり」と通報するように命じ、20ノットに増速して一旦態勢を立て直してから南方部隊の増援に赴こうとしていた。彼にとって誤算だったのは、後方から接近していたのは第八艦隊主力の重巡4隻だったことである。

2353、「鳥海」はまず一番近い北方部隊3番艦の米重巡「アストリア」に対し距離5000mで主砲を斉射、第5斉射で命中弾を得た。また、後続の各艦も次々と「アストリア」に対して砲撃を加え、完全に機先を制された「アストリア」は一方的に攻撃を受け殆ど有効な反撃の出来ぬまま航行不能に陥り、翌朝転覆沈没した。「アストリア」に対して有効な打撃を与えたと判断した「鳥海」は2番艦米重巡「クインシー」に対して砲撃を開始する。3斉射目で「クインシー」は艦中央部の艦載機に直撃弾を受けこれが炎上。格好の標的となった。多数の命中弾を浴び、炎上していたところに先の南方部隊との戦闘で分離した「古鷹」以下3隻が左舷方向から突入してきた。「古鷹」隊は「鳥海」が照射した敵艦隊を認めて突入して来たのである。北方部隊は右舷側から「鳥海」隊に、左舷側から「古鷹」隊に挟撃される形となってしまった。「古鷹」隊は火災を起こしていた「アストリア」に対して砲撃を浴びせると「クインシー」に対して砲雷撃を開始。この放った魚雷が「クインシー」左舷に命中。「クインシー」は被弾しつつも「鳥海」目掛けて砲撃をしながら突撃したが、集中する砲弾のためにたちまち戦闘不能に陥り、翌9日0035、左に転覆、沈没した。残った一番艦「ヴィンセンス」も反撃態勢を取る間もなく、日本軍の砲撃を浴び艦載機が炎上。これが好目標となり集中砲火を浴びたため面舵反転離脱を図るべく転舵した直後、「鳥海」隊から発射された魚雷が3本左舷に立て続けに命中、さらに「夕張」が発射した魚雷のうち1本が命中し翌9日0003、航行不能に陥った。この後も更に砲撃を浴びて0050、転覆沈没した。日本軍ではこの間に重巡「衣笠」がツラギ港外の輸送船団目掛けて長距離調定した魚雷4本を発射したがこれは命中しなかった。また、北方部隊随伴の「ヘルム」「ウィルソン」はいち早く南方部隊の応援に駆けつけるべく航行していた所、日本艦隊と高速ですれ違った。あわてて反転してこれを追うも間に合わず、両艦とも無傷であったものの戦闘に殆ど参加できなかった。

9日0023、三川長官は戦闘終了と判断、「全軍引け」の命令を下す。バラバラになっていた各艦は単縦陣を作り直しで30ノットで高速避退に移るべくサボ島北方の集結地点に移動し始めた。軽巡「夕張」も集結すべく航行していたが、そこへ哨戒隊の一艦、米駆逐艦「ラルフ・タルボット」がひょっこり現れた。「夕張」は直ちに「ラルフ・タルボット」に対して砲撃を開始。突然砲撃を受け、全く情況の飲み込めない「ラルフ・タルボット」は味方識別灯を点灯して合図するとともに無線電話で「貴艦は味方に発砲中なり、砲撃を中止せよ」と連呼したが、これを見た「夕張」艦長 阪匡身大佐は敵艦が誤認していると判断、猛撃を加えたのである。「ラルフ・タルボット」は立て続けに命中弾を浴びて戦闘不能に陥ったが、幸運なことにスコールに包まれたため、離脱することが出来た。

[編集] 艦隊反転せず

海戦は日本軍の大勝利に終わり初期に離脱した「夕凪」も含めてサボ島北方で集結した第八艦隊では、一つの議論が「鳥海」の艦隊司令部で起きていた。現在までガダルカナル失陥の遠因とも言われる第八艦隊再突入問題である。大きく分けて意見は二つあり、「艦隊はほぼ無傷であり、直ちに反転して連合軍輸送船団攻撃に向かうべし」、という泊地再突入論と「上空援護がない限り、艦上機の攻撃を受ける愚を犯すべきではない」という早期撤退論であった。「鳥海」艦長早川幹夫大佐が特に前者を強く主張したが大西新蔵参謀長が後者を進言し、結局後者を三川長官が容れて帰投命令を発した。

[編集] 「加古」撃沈

第八艦隊はソロモン中央水道を30ノットの高速で避退し、夜明けまでに無事攻撃圏外に達した。9日0800、三川長官は同隊の解列を命じ、第六戦隊の重巡4隻はニューアイルランド島西端のカビエンへ、「夕張」と「夕凪」はショートランド泊地へ、そして「鳥海」「天龍」はラバウル泊地へ各々分離して向かった。10日朝、第六戦隊はカビエンまで残り100浬のニューアイルランド島北方海域を航行していた。上空には対潜哨戒機が1機前路警戒についており、既に味方の制空圏内でもあった。

16ノットで航行していた重巡「加古」の見張り員が「右舷に魚雷!近いっ!」と絶叫した時にはもう遅かった。「加古」の艦首、艦中央部、艦尾に1本ずつ、計3本被雷した「加古」は僅か5分で沈没した。艦長 高橋雄次大佐の対処が素早かったために犠牲者は67名で済んだが、一瞬の気の緩みを衝かれた損害であった。「加古」を雷撃したのは米潜水艦「S44(SS-155)」で距離650mから魚雷4本を発射したのである。

[編集] 結果と影響

炎上するキャンベラの救出、護衛をするブルー、パターソン
炎上するキャンベラの救出、護衛をするブルー、パターソン

本海戦では日本海軍が一方的な勝利を収め、その夜戦能力の高さを示した。しかし、本来の主目的であったはずの上陸船団への攻撃は行われなかったため、まだ揚陸されていなかった重装備などは無傷であった。この、今後のガダルカナル島での戦いの帰趨を変える可能性のあった船団への攻撃が行われなかった理由は、アメリカ空母部隊による航空攻撃への恐れより、早期退避の必要があったという有力な見方がある。また、当時の永野修身軍令部総長が第八艦隊司令長官三川中将に対して「日本は工業力が少ないから艦を毀(こわ)さないようにして貰いたい」という注意を与えていたことが早期退避の決定に影響を与えたという説もある。艦隊参謀であった大前敏一氏の戦後の証言によると「米空母部隊の無線交信が「鳥海」でも盛んに聞こえていたことが敵空母が近距離に存在していると判断する材料になり、早期撤退の結論に達した」ということである。

こういった見地から、この海戦は日本側の戦術的勝利、戦略的敗北となり、後の一連のソロモンの戦い(第二次ソロモン海戦第三次ソロモン海戦)に大きな影響を与えることとなる。

また、この海戦勝利の影で夜戦での探照灯による照射砲撃が持つ危険性(照射艦が敵艦隊から集中砲撃を浴びる)というものが戦訓として考慮されなかった。重巡「鳥海」は小破で済んではいるが、20センチ砲弾6発、12.7センチ砲弾4発を被弾しており、この頃の連合軍の砲弾の信管が粗悪で正常作動しなかったことと、鳥海の主砲塔が無装甲であったことでたまたま命中した砲弾が全て盲弾となって艦上で爆発せず、損傷が軽微で済んだだけの話であり、第3砲塔を貫通、砲員を全滅させた砲弾がもし炸裂していたら艦橋にいた司令部などは無事ではすまなかったであろうし、最悪の場合爆沈もありえた。もし作戦室を貫通した砲弾が炸裂していたら壁一枚隔てて艦橋内にいた司令部メンバーはほぼ全員戦死していたであろうといわれている。実際、これらの盲弾の命中だけで、艦は小破で済んでいるにもかかわらず鳥海だけで戦死34名、重軽傷48名という人的損害を出している。

この海戦での鳥海の損傷が味方の大勝に隠れて軽視され、また連合軍の弾薬が粗悪なのを連合軍に気づかせぬ為にこの損傷結果を三川長官が緘口令を敷いて極秘にした結果が、第3次ソロモン海海戦での戦艦「比叡」「霧島」喪失に結びつくこととなった。 とはいえ、連合軍側でも弾薬の問題は気付いており、米重巡「シカゴ」が戦闘時に発射した照明弾は44発発射して僅か6発しか炸裂せず、また8日の航空攻撃で損傷、放棄された輸送船「ジョージ・F・エリオット」を処分するために米駆逐艦から発射された魚雷4本は全弾命中したにもかかわらず、炸裂したのは僅か一発であった。この弾薬問題はこの後も暫く米軍を悩ませるが、根本的な対策を取ったため一年もするとこの問題を解決して以後問題は起きなくなったという。

日本軍ではミッドウェーの大敗北で士気が下がっていたところにこの大勝利があり大いに士気が上がったという。この作戦立案をした神重徳大佐は「作戦の神様」として祭り上げられることとなり、後々の彼の立てた無謀な作戦も比較的容易に採用されるようになる。

一方で米軍はこの敗北に対してヘプバーン委員会として知られる米海軍の本海戦に関する公式の調査委員会が組織され、引き続いて海戦に関する報告書を作成した。委員会は1942年12月以降海戦に関わった殆どの連合軍将校から数ヶ月かけて事情聴取を行った。委員会は、唯一シカゴのボード艦長のみ懲戒処分にあたると勧告した。報告は他の連合軍将校達、すなわちフレッチャー、ターナー、マッケーン、クラッチレーの各提督とリーフコール艦長については処分を求めなかった。ターナー、クラッチレー、マッケーンの各提督の以後の経歴は本海戦の敗北や、その中での失策によって影響されなかった。しかしながらリーフコールは二度と艦長になることはなかった。ボードは、委員会の報告がとりわけ彼に対して批判的であると知ると、1943年4月19日にパナマ運河地帯にある基地で自殺を図り、翌日死亡した。

戦術的に完敗した米軍は苦渋に満ちており、戦後、太平洋戦史を纏めたS.E.モリソンは以下のようにこの海戦を纏めている

   
第一次ソロモン海戦
これこそ、アメリカ海軍がかつて被った最悪の敗北のひとつである。連合軍にとってガダルカナル上陸の美酒は一夜にして敗北の苦杯へと変わった。
   
第一次ソロモン海戦
 
— S.E. モリソン, アメリカ海軍作戦史


[編集] 損害

[編集] 日本

  • 沈没喪失
    • 重巡:加古
  • 小破
    • 重巡:鳥海

[編集] 連合軍

  • 沈没喪失
    • 重巡:キャンベラ(自沈処分)、ヴィンセンス、クインシー、アストリア
  • 大破
    • 重巡:シカゴ
    • 駆逐艦:ラルフ・タルボット
  • 中破
    • 駆逐艦:パターソン

[編集] 参考書籍

丹羽文雄『海戦』 従軍記者として「鳥海」に同乗した丹羽が、作戦準備と戦闘の模様を活写している。
佐藤和正『太平洋海戦2 激闘篇』ISBN 4-06-203742-4

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ


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