スパーキー・ライル
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スパーキー・ライル Sparky Lyle |
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基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ペンシルバニア州デュポワ |
生年月日 | 1944年7月22日(63歳) |
身長 体重 |
187cm 86kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
守備位置 | 投手(救援投手) |
プロ入り | 1964年 |
初出場 | 1967年7月4日 |
最終出場 | 1982年9月27日 |
経歴 | |
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スパーキー・ライル(Albert Walter "Sparky" Lyle , 1944年7月22日 - )はアメリカ・メジャーリーグで活躍した投手。左投左打。アメリカ合衆国ペンシルバニア州デュボワ出身。
救援投手、特にクローザーにスポットライトが当てられるようになった1970年代に、ローリー・フィンガースと共にメジャーを代表するクローザーであった。
目次 |
[編集] 人物・来歴
まだドラフト会議が行われていなかった1964年6月17日にボルチモア・オリオールズと契約したが、その年の11月30日にはボストン・レッドソックスに移籍。1967年7月4日にメジャー初登板。後半戦だけで27試合に登板して1勝2敗5セーブ、防御率2.28の好成績をあげ、チームの大逆転リーグ優勝・ワールドシリーズ進出に貢献。レッドソックスには1971年まで在籍し、1972年開幕直前の3月22日に、2選手との交換トレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍。
ヤンキースのリリーフエースとなって、移籍初年度の1972年には59試合に登板して9勝5敗35セーブ、防御率1.92の大活躍。35セーブは当時のア・リーグ新記録で、MVP投票でも3位に入った。1973年には初のオールスター出場を果たし、5勝9敗27セーブ、防御率2.57と活躍。一時不調のシーズンもあったが、1976年には再びリーグ最多セーブ(23)を記録し、ホイト・ウィルヘルムの154セーブ(ア・リーグ記録)を更新。1977年にはリーグ最多の72試合に登板し、13勝5敗26セーブ、防御率2.17の活躍でサイ・ヤング賞に選ばれ、チームのワールドシリーズ制覇に貢献した。
この年までに通算セーブを201と伸ばし、当時のメジャー記録(前述ウィルヘルムの227)を射程圏内に収めたが、ヤンキースは1977年のオフにフリーエージェント(FA)でリッチ・ゴセージをクローザーとして獲得し、1978年にはセットアッパー(中継ぎ)に降格となった。1978年11月10日に、のちにヤンキースのクローザーに成長するデーブ・リゲッティら4選手プラス金銭との交換トレードで、テキサス・レンジャーズに移籍。移籍後もセーブ数は伸びず、その間にメジャー最多セーブ記録はローリー・フィンガースによって更新されてしまった。1980年9月13日にフィラデルフィア・フィリーズに移籍。チームは球団創設以来初のワールドシリーズ制覇を成し遂げたが、プレイオフ登録期限(8月31日までにチームに合流)を過ぎての移籍であったために、ポストシーズンでの登板はなかった。1982年8月21日にシカゴ・ホワイトソックスに移籍。シーズンオフに解雇され、現役を引退した。結局、1978年以後の5シーズンでは37セーブに終わった。 また、通算登板は899、通算勝利は99という成績に終わっていた。
ア・リーグでの通算232セーブはア・リーグ記録であったが、1985年にフィンガースによって破られ、左腕投手としてのア・リーグ記録も1991年にリゲッティによって更新された。引退後、1998年に球団設立した独立リーグアトランティックリーグのサマーセット・ペイトリオッツの初代監督に就任。5回の地区優勝、3回のリーグ優勝を果たし、現在でも現役時代と同じ背番号28を背に監督を務める。ファンの求めるサインには必ず応じ、地元ファンの人気者である。
[編集] 受賞歴・記録
[編集] 通算成績
- 実動16年 99勝76敗238セーブ 防御率2.88 登板899 投球回1,390回1/3 安打1,292 失点519 自責点445 本塁打84 死球14 与四球481(うち敬遠81)奪三振873 勝率.566 ボーク10 暴投66 被打率.251
[編集] エピソード
- 先発0投手の歴代1位はジョン・フランコの1,119試合、2位はケント・テカルビーの1,050試合。
- 通算238セーブは、2007年9月時点でメジャー史上29位。
- 1972年には左腕投手として史上初の通算100セーブを達成。
- レッドソックスでのデビュー以来、背番号はほぼ一貫して「28」であったが、フィリーズでは1980年途中の移籍以後は「39」をつけ、翌1981年に28に変更となった。
- 救援投手で試合前半はロッカーに出入りすることが多いため、選手の誕生日に届いたバースデケーキにお尻の跡をつける悪戯をよくしていた。
- 上記の仕返しに、ライルに届いたバースデーケーキの上に、ある選手に「排出」されたことがある。
[編集] 外部リンク
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2 ポール・ブレア / 6 ロイ・ホワイト / 9 グレイグ・ネトルズ / 10 クリス・チェンブリス / 11 フレッド・スタンリー / 14 ルー・ピネラ / 15 サーマン・マンソン / 17 ミッキー・リバース / 19 ディック・ティドロ / 20 バッキー・デント / 24 マイク・トッズ / 25 ジョージ・ゼバー / 28 スパーキー・ライル / 29 キャットフィッシュ・ハンター / 30 ウィリー・ランドルフ / 35 ドン・ガレット / 41 クリフ・ジョンソン / 44 レジー・ジャクソン / 49 ロン・ギドリー / 50 ケン・クレイ 監督 1 ビリー・マーチン |