ゲオルク・クーレンカンプ
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ゲオルク・クーレンカンプ(Georg Kulenkampff, 1898年1月23日 - 1948年10月5日)は、ブレーメン生まれのヴァイオリニスト。
地元でエルンスト・ヴェンデルから手ほどきを受けた後、1912年にベルリン高等音楽院でヴィリー・ヘスに師事し、1916年にブレーメン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサート・マスターとして入団する。
1925年には母校の教授に就任し、後進の指導の傍ら活発な演奏活動を行う。とりわけ有名なのは、チェリストのエンリコ・マイナルディや、ピアニストのエトヴィン・フィッシャーと組んだピアノ・トリオの活動、およびナチス主導によるロベルト・シューマンのヴァイオリン協奏曲の初演であろう。
1944年スイスに逃れ、カール・フレッシュの後任としてルツェルン音楽院のヴァイオリン科教授に就任した。チューリヒにて死去。