エンリコ・マイナルディ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クラシック音楽 |
---|
作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ |
ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 |
ルネサンス - バロック |
古典派 - ロマン派 |
近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 |
木管楽器 - 金管楽器 |
打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 |
交響曲 - ピアノ協奏曲 |
ピアノソナタ |
ヴァイオリン協奏曲 |
ヴァイオリンソナタ |
弦楽四重奏曲 |
指揮者 - 演奏家 |
オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 |
宗教音楽 |
イベント |
音楽祭 |
メタ |
ポータル - プロジェクト |
カテゴリ |
エンリコ・マイナルディ(Enrico Mainardi , 1897年5月19日-1976年4月10日)はイタリアのチェロ奏者。
ミラノに生まれ、4歳からチェロ奏者だった父から手ほどきを受けた。 地元の音楽院に進学し、ジュゼッペ・マグリーニに師事。1910年には音楽院を卒業し、ヨーロッパ中を演奏して回った。一方で、ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院で作曲を習得し、ベルリン音楽院のフーゴー・ベッカーのもとで研鑽を積んだ。 その後、ベルリン国立歌劇場のチェロ奏者になる傍ら、ゲオルク・クーレンカンプやエドヴィン・フィッシャーらとトリオを結成し、室内楽での名声を高めた。 1933年からフーゴー・ベッカーの後を継いでベルリン音楽院のチェロ科教授になったが、翌年には聖チェチーリア音楽院の教授に転出し、1936年まで務めている。 ミュンヘンで死去。